第185話

 キーブスは、手で摘まめるものをお昼として用意してくれていた。軽い食事とお風呂を済ませて、全身を磨き上げてもらう。

 今日は、少しでもくたびれているように見えてはいけないのだ。


「髪型、悩ましいですね。最初はドレスの雰囲気に合わせて全部アップにする予定でしたけど……旦那様のあのご様子を見ると、奥様のうなじが衆目にさらされるのも嫌がりそうですもの」


 ブラシを持ったクララがずっと悩んでいる。

 ハーフアップにしてみたり、片方に束ねて流してみたり。


「あ、そうだ!」


 あれこれと私の頭を弄っていた彼女はしばらくしてなにか思いついたらしく、明るい表情になって手をパチンと打ち鳴らした。


「ちょっと失礼いたします」


 クララは早足で部屋を出ていく。メイクをしようとしているアミカは、私の胸元に残された跡を見てずっと唸っていた。


「旦那様は化粧で隠してはいけないとおっしゃっていましたし、下手なものを塗るとドレスが汚れてしまいますね。ダンスの時に旦那様のジャケットにもついてしまいそうですし……」

「ドレスで隠れないかしら?」


 今日のために用意したドレスは、胸元が大きく開いているものの、首元まで薄いレースで覆うようなデザインになっている。直接的に肌が見えるわけではないが、肌感がわからないわけでもない。むしろこの方が目を引いてしまうような気もしたのだけど、マクス様がこれが良いと選んだものだった。


「なんとか隠れるように調整してみます」

「ありがとう」


 ドレスを着てみると、ほのかに赤い輪郭の一部が見えてしまう。なるべく胸元の布を持ち上げるようにしてレースを寄せて影を作る。


「うぅん……動いているうちにずれてしまいそうですが」

「一旦、お父様やお母様に見つからなければ良いわ」


 今日の夜会は、イウストリーナ家の馬車で向かうことになっていた。城に向かう前に、実家を訪問しなければいけなかった。いくらいろいろと報告したとはいえ、こんな生々しい跡など見たくはないだろう。


「普段身に着けていらっしゃるこのアクセサリーはどうしましょうか」

「そうね、このドレスには似合わないものよね。本当はつけていきたいのだけど……」

「旦那様が常にお側にいらっしゃるのなら、万が一ということはないと思われますし、私たちよりもよほどお強いのでそういう意味での不安はありません。しかし」


 どうしてもマクス様と離れてしまうタイミングがあるかもしれないと思えば、心配にもなるのだろう。


「一応、身を守る魔法は覚えているわ。大丈夫よ。私になにかあればマクス様が来てくださるでしょうしね」

「そうですね、では、外しておきましょう」


 お守りのように通学時身に着けていたネックレスとブレスレットを外して、化粧台の上に置いてあるトレーの中に入れる。胸元を撫でて、そこになにもないのを確認する。


「いつも着けているものがないと、落ち着かないわね」


 にこりと微笑んだアミカが化粧用のブラシを取ると、顔から首、胸元に掛けて粉をはたいてくれる。しっかりとした色やラインを引いてしてしまうとかなりきつい顔立ちになってしまうから、私の顔に化粧をするのはとても大変だと思う。この2年間でだいぶアミカも私の顔に慣れて、今ではごく自然に柔らかい雰囲気に仕上げてくれるようになっていた。

 

「今日は旦那様に合わせて、凛とした雰囲気にいたしましょう」

「アミカの腕は信じているけれど、キツく見えないかしら」


 聖女ミレーナと、そのライバルのキツい顔立ちの令嬢、というような図にはしたくない。ミレーナはただでさえ私とは違って非常に柔らかく愛らしい顔立ちをしているのだ。彼女と比較されるだろうことを考えると、どのような化粧にするか悩ましいところだろう。


「旦那様の隣にはこの人しか立てないと周囲を納得させるような雰囲気にしてほしい、とお願いされていますので、気合を入れてお化粧いたします」


 アミカは丁寧に、しかし手早く化粧を施してくれる。完成しました、と言われて鏡を見れば、いつもよりも落ち着いた、凛とした雰囲気の大人の女性がそこにいた。


「……私じゃないみたいだわ」


 きりっとしているが、冷淡には見えない。色合いやラインの長さなど、詳細まで計算しつくされている。口紅がはっきりとした濃い色ではなく淡い色が選ばれていることで、そこにわずかな若さも感じられる。頬紅の位置も、いつもとは違っているようだった。


「お気に召していただけましたか?」

「ええ、素敵だわ」

「では奥様、髪も完成させてしまいますね」


 クララはどこかから持ってきた銀色のリボンを振った。リボンを髪と一緒に編み込んでいき、ゆるい三つ編みを一本作ってサイドに流す。


「……あの、クララ、このアレンジは……」

「はい! いつもの旦那様風にしました!」

「ええと……え?」


 出来上がったのは、普段マクス様がしているような髪型だった。しかも、クララの持ってきた銀のリボンはマクス様の髪色のようで、見ているとむずむずしてくる。


「いつもの旦那様の髪型だってわかるのは、奥様のご両親とお兄様、それにミレーナ様やソフィー様など一部の方と、ご本人だけです。これは喜ばれますよぉ。これでもかっていうくらいに完全に旦那様を主張してますからね!」

「やりすぎではないの?」

「でも、今日のドレスにもお化粧にもお似合いですよ。髪までしっかりと結い上げてしまうと必要以上に精悍な雰囲気になってしまうでしょうから、ここで少し抜いてみるのも良いのではないかと!」


 自分のアイディアに満足そうにしたクララは「では、旦那様もご準備が済んでいる頃ですから、参りましょうか。早めにご実家に向かえたら、ご両親ともゆっくりお話しできるでしょうし」私に手を差し伸べ椅子から立たせると、そのまますたすたと玄関ホールへ向かっていく。彼女に引っ張られるように歩いている私は、この髪型をマクス様に見られるのが恥ずかしくて恥ずかしくてならなかった。


「ああ、ビー。私も今ちょう、ど……き……た、ん、だが……」


 こちらを振り返ったマクス様の目が真ん丸に開かれて、動きがとまる。


「あの、なにか変でしょうか」


 サイドの髪を耳にかけながら視線を逸らしつつ尋ねれば、彼はゆっくりと瞬きした。それから、私の方へやってくると、両腕を広げた格好で固まる。そのまま、真剣な顔で私を見るばかりでなにも言ってこないし、しても来ない。どうしたのかしら、と見上げれば、クッ、と小さく唸って眉を寄せ、目を瞑って天を仰ぐ。


「マクス様?」

「あなたを思い切り抱き締めたいのだが……そんなことをしてしまったら、せっかく綺麗にしてきたのが乱れてしまうかもしれない、と、今、とても葛藤している……っ」


 しばらくそうしていた彼は、大きく息を吐くと顔の位置を戻して私と視線を合わせた。


「とても良く似合っているよ」

「マクス様も素敵です」


 ルミノサリアの貴族然とした盛装に、髪はきっちりと1本に括られている。そこを飾っている髪飾りの色は金色だった。


「クララ、アミカ。妻をこんなに美しく仕立て上げてくれたことには感謝しかない。礼を言う」

「いえ旦那様、奥様がお美しいのは元からですから!」

「ははッ、確かにそれはそうだ」


 いってらっしゃいませ、と揃って頭を下げる使用人たちに頷いたマクス様は「では、行こうか」と手を差し出さしてくる。私の手が触れた瞬間、ぐっと自分の方に引き寄せたマクス様は


「ああ、こんなに素敵なあなたを他の男に見せなければならないなんて……なんて悩ましいんだ」


 またそんなことを言って、冗談だとでもいうように笑ってみせた。

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