第184話

「マクス様!」


 城に戻るなり、私はマクス様の部屋に駆けこむ。


「ああ、お帰り、ビー」


 立ち上がって出迎えてくれようとする彼がこちらに来るよりも早く小走りに近付いて、受け取った証書を差し出す。


「卒業、してきました」

「ん、おめでとう。それはどこかに飾らなくてはいけないな?」


 アレク先生が巻いてくれたリボンを目を細めて見たマクス様は、開いて私の名前の書かれている部分を愛しそうに指先で辿る。


「そんなことはしなくて良いです」

「そうか?」

「それから、学院長のお部屋に繋いである転移魔法陣の解除をお願いします」

「ん? あー、忘れていたな。そうか、もう使うことはないか」


 マクス様はその場でパチンと指を鳴らす。多分、これで解除が完了したのだろう。今頃、部屋から消えた魔法陣のあった場所を見て、学院長は胸を撫でおろしているかもしれない。それはともかく。


「マクス様、夜会に参りますよ」

「……どうしてもか」

「どうしてもです」


 国王様からの招待状には、必ず出席するように、との言葉が直筆サイン付きで書かれていた。ルミノサリアの辺境伯としてのマクス様は、国王の命令に逆らうことは出来ない。ここで大きな理由もなく欠席などしたら反逆罪と言われてしまうかもしれない。

 ――あの国いるか? なんて言い出しそうだから怖いのだわ。

 彼が本気になれば、ルミノサリアなどあっという間に滅ぼされてしまうのだろう。コレウスの顔を見ていれば、冗談ではなくそういうことを言い出すひとなのだということはわかる。

 ――ああもう! なんて面倒な方!

 朝から行きたくないと連呼しているマクス様は、案の定まだ覚悟が決まらないようだ。ビーの美しい姿を他の男に見せたくないのなんのとゴネている彼に「諦めてください」と何度目かの説得を試みる。


「私が、注目を集めてしまうのは仕方のないことです。今日の主役と思われるエミリオ様の元婚約者なのですから」

「だから嫌なんだ。ビーをあの王子の元婚約者という立場で見られるのがなによりも嫌だ」

「とは言え、もうあの件からは2年ほど経っているので私だけが変な目で見られるということはないと思います。ミレーナも来るのですよ。聖女様の方に注視する方は多いはずです」


 私とエミリオ様を繋げて見られるのが嫌だ、というのが彼の主な主張だ。しかし、過去は変えられない。私とエミリオ様が婚約していたのも、結婚直前までいったのも事実で、なかったことにはできないのだ。


「駄々をこねないでください」

「ビーは私のものだ」

「当然です。私は他のだれのものでもありません。私はマクス様の妻で、マクス様だけが私の夫です」

「ああ、そうだな。あなたの夫は、私だけだ」


 その言葉に少し気分を良くしたようだが、しかしこれだけでは出席するという言質は取れない。

 私のドレスの意向はどれもマクス様を表しているものだ。用意された宝石も、すべて彼の瞳の色。独占欲の塊のようなドレスを用意しておいて、それを着せようとしながらもまだ納得していない。


「あのドレスを着ていれば、どう見ても私がエミリオ様に未練などないとわかると思うのですが」


 それどころか、マクス様に用意された正装もあちこちにマルベリー色と金色がちりばめられている。お互いの色を身に着けているだなんて、既に彼と思い合っているのが明確ではないか。

 ――もう! どうしてこういう時には子供のようになってしまうの、このひと。

 これだけは口にするまいと思っていたのだけど、最終手段を使うことにする。


「……ずっと腰を抱いていても構いませんから」

「……ん?」

「頬へのキスまでは、許可しますから」

「…………」


 人前であまりそういう仲の良さを見せつけたくはない。恥ずかしい。しかし、それで彼の気が済むのなら安いものだ。


「本当に?」

「はい。ずっとは困りますけれど」

「――わかった、行こう」

「マクス様!」


 やっとわかってくださったのですね! と喜ぶ私を手招いた彼は、いつものように膝に乗せてぎゅうっと強く抱き締めてくる。いいこいいこ、と頭を撫でれば幸せそうな顔をしてくれるから――油断した。

 マクス様がまた指を鳴らす。その瞬間、しゅるりと音がして、制服の前がはだける。


「?!」


 なに?! と胸元を押さえようとした手は、マクス様に握られている。止める間もなく、胸のドレスで隠れるかどうかというギリギリの場所に口付けられ、きつく吸われる。この感覚は知っている。きっと今、私の肌の上には――


「マクス様、なにをして……!!」

「私のものだという印をつける」

「ま、待ってください、それは」

「化粧で隠してはいけないぞ」


 にんまりと微笑んだ彼の頬を、解放された両手で即座に挟んで潰す。む、と唸ったマクス様に、私は顔を近付ける。


「なんてことをなさるんですか」


 一瞬、キスされるとでも思ったのだろうか、目を閉じかけた彼は、ふにゃんと眉を下げた。


「どうにもあなたのこととなると、冷静ではいられないんだ。余裕のない私は嫌いかい?」


 雨に濡れている大型犬のような落ち込んだ顔を見せられると、駄目と言えなくなる。いや、しかし、ここは言わなくてはいけない。甘やかしすぎては良くない。

 私は、キッと彼を睨みつける。そんな顔を向けられたことのほぼない彼は途端に狼狽えたように瞬いた。


「私の言葉を信じてくださらないマクス様は、嫌です」

「なっ?! え? ビー、嫌ってそれは……」

「私が恋して、心から愛しているのは、マクス様だけです。この先もずっと、私にはあなただけです。そういう私の言葉を信じていない証拠ではないですか。こんな、所有の証などつけて」

「え、あ、いや、私はそういうつもりでは……!」

「準備をしてまいります。それでは、また後程」


 縋りついてくる彼を振り払って膝から降りる。

 話を聞いてくれ、というマクス様を無視して服を整えてから廊下に出れば「それで正しいと思います」とそこにいて話を聞いていたらしいコレウス、クララ、アミカは真面目な顔で大きく頷いた。

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