第183話
学院の予定など、ルミノサリア王家からすれば気に掛けるほどのことでもないのだろう。王家が諸貴族を呼び出したのは、学院の卒業の証書が渡される日の夜だった。
――どう考えても、今期に限って言えば関係者がたくさんいると思うのですけど。
エミリオ様も、ミレーナも、それから私も。マクス様だってまるっきり無関係ではないし、ソフィーだってミレーナの世話係として呼ばれているのではないだろうか。
研究発表で合格点を得られた生徒たちは、卒業証書を受け取ることで学院の卒業となる。入学式と同じように、卒業生全員が揃って学院長からのお話を聞いた後は、それぞれの教室で証書を受け取る。教室に戻る最中、タイミングを見計らっていたらしいアナベルがそっと身体を寄せてきた。
「ベアトリスは、卒業式のあとどうしますの?」
「ごめんなさい、私、夜に予定があるのですぐに帰らなくてはいけなくて」
「やはり、そうですわよね」
アナベルも、今日の夜のことは把握しているようだ。
貴族クラスの生徒たちも、家柄や家庭の方針によっては夜会に参加することになっているだろうから、この後に食事会でも、というクラスの方々からの誘いは断らざるを得なかった。
「うちは招待されてませんけれど、話だけは聞いていますわ」
なんと返していいものかわからずに、黙っていると「ベアトリスとシルヴェニア卿が一緒にいらっしゃるところ、拝見したかったわ」なとど言い出す。
「見ても楽しいものではありませんよ?」
「そんなことはありませんわ! 『真実の愛』のシルヴェニア夫妻が並んでいるところなんて、見たいに決まってます。それに、あれだけベアトリスが素敵だと言い続けている旦那様ですもの、一度お会いしたかったのに」
「会いに来れば良いではないですか、うちに」
どうして夜会でなければ会えないと思うのだろう。いつでも、こちらの都合が悪くなければ会うことはできるのに。
「……良いんですの? わたくしなんかが訪問させていただいても」
「当り前よ。お友達ですもの」
「……ッ! ベアトリス!」
卒業式の最中には一切涙を見せなかったアナベルが、一気に瞳を潤ませる。
「ああ、ありがとう……ありがとうございます! 絶対にご連絡しますわね」
「待ってるわ。それに、私からお手紙を書いても良いかしら。アナベルは旅に出てしまうかもしれないから、ご実家宛になるかしらね」
「ええ」
ありがとう、と何度も言って手を握ってくるアナベルに、大袈裟ね、と笑った私は、入学式の日と同じ教室に向かった。
初日と同じように教室の前に立ったアレク先生は教室中を見回す。なにやら感慨深そうな顔をして、最後に私を見た。
「皆さん、ご卒業おめでとうございます」
ありがとうございます、という生徒たちからの声にアレク先生は優しい笑みを浮かべる。
「……本当に、この代は色々とありましたね」
アレク先生は、再びしっかりと私を見る。教室中の視線を浴びた私は、頬が赤くなるのを抑えられなかった。
確かに個人的にもやらかしたことは山とあるし、エミリオ様やミレーナともかなり学校中の注目を集めるようなトラブルも起こした。生徒たちには知られていなくても、アレク先生は認識している頭を悩ませただろう出来事は片手では足りない。
さらにはマクス様までもが無理難題を押し付けていた可能性を考えると、このエルフからすれば短い期間でとんでもなく苦労をかけてしまったアレク先生には、どれだけのお礼や謝罪を重ねても足りない。
「私の教員人生において、忘れられない経験をたくさんさせていただきました」
ごめんなさい、と声に出すのも違うだろうと、私はせめて心の中で謝罪を口にする。
「皆さんと頻繁にお会いできなくなるのは寂しいような気もしますが、ぼくはまだここにいますから、いつでも会いに来てください。では、証書をお渡しします。証書と交換で石板の返却をお願いしますね。それぞれ受け取ったら解散になりますので、そのまま、教室を出ていってください。名残惜しい方にはホールを解放していますから、そちらで別れを惜しんでいただければと思います」
「あの、あとでアレク先生もいらっしゃいますか?」
「はい、ぼくだけでなくて、手の空いている教職員は顔を出すはずですよ」
にこりと笑うアレク先生に、質問した生徒はもう感極まったように目を潤ませていた。
ひとりひとり順番に名前を呼ばれ、書かれている名前に間違いがないかを確認したあと、アレク先生は軽く指を振る。魔法でしゅるしゅると巻かれた証書に、その手でリボンを結んで渡してくれていた。それはそれぞれの生徒をイメージしたものなのだろうか。素材や色、太さはどれも異なっていた。
石板を返した生徒たちは素直に教室から出ていき、徐々に人が少なくなる。最後に呼ばれたのは、私だった。
「ベアトリス・シルヴェニアさん」
「はい」
教室の前に、荷物を持って進む。石板を取り出して返却すれば、アレク先生はそこに刻まれた私に加護を与えてくれているひとたちの名前を撫でた。
「あなたのような生徒は、はじめてでした」
「……重ね重ね、申し訳ございませんでした……」
頭を下げれば、軽い笑い声が降って来る。
「今のような名前でお呼びするのも、これが最後ですね。これからは、魔導師の塔所属の魔導師同士、よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いいたします、サブマスター」
「あなたからそう言われるのは、変な感じがしますね」
アレク先生に名前を確認され正しいと答えれば、彼は自らの手で証書を丸め、銀色の、薄水色の細い糸で刺繍がほどこされたリボンを巻いてくれた。
「それでは、また」
「はい」
私は、改めて正式な礼で彼に対する敬意を示し、そのまま早足に学院長の部屋へ向かった。なにやらホッとした顔をしている学院長にも、これまでのお礼と謝罪を口にする。
「本当に、ご迷惑ばかりお掛けしてしまい申し訳ありませんでした」
「そんなことはないですよ! 頭を上げてください、奥様っ」
卒業してしまえば、学院長の私の扱いは自分の学校の生徒ではなくなり、完全にマスターの妻という一点に集約したようだ。これまでも私を見る目に若干の怯えは見えていたのだけど、今や完全に畏怖の対象というような目で見られている。
――学院長にとって、マクス様ってどういう存在なのかしら。
そんなに怖い方ではないのに、と何度も思ったことをより強く感じてしまう。
「この転移魔法陣は、どうすれば良いのでしょうか?」
「マスターにお任せしておけば大丈夫ですよ」
「では、失礼いたします」
学院長にも最大限の敬意を示した礼をすれば「あああぁぁああ、おやめください奥様!」と大きな声で止められる。
「それでは」
笑いを噛み殺しながら、陣を踏む。一瞬でアクルエストリアに戻ってきた私は、そのまま駆けるように城に足を進めた。
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