第182話
なんだかんだ好きなように過ごしているうちに、学院の生活もあとは卒業当日を待つだけとなった。
残念ながら今回は卒業が認められない、とされた人も幾人かいるようだ。その他大多数の卒業が確定した人たちは、それぞれにこの先どうするかも決めて、心穏やかに証書を受け取る日を待っていた。
のだけれど――
「本当に来たな」
マクス様は、王家の紋章の入っている封筒をまるで汚いものを触るかのように指先で摘まんで、嫌そうな顔で頬杖をついた。
「父が言っていた王家からの招集ですね」
「一応夜会ということになってはいるが、まあ……あの王子やらミレーナ嬢に関係するなんらかの発表ということだろうな。先日のビーのご両親の話を聞いても、ただの夜会とは誰も思っていないのではないか?」
「でも、やっぱり婚約発表ではなさそうですよね。ミレーナもそんなことは一切言っていませんでしたし」
ミレーナの性格からして、婚約話が持ち上がってきた時に私に対してなにも言わないということはないのではないだろうか。彼女は人懐こそうに見えて、誰とでも平等に付き合っているように見えて、本人の気持ちや意見をはっきりと伝える相手は多くないようだ。彼女は転生者であることなど周囲に隠している話が多いせいで、気を遣わずに話をできる相手は数えるほどなのだろう。
ここだけの話、ミレーナが一番気を遣わずに話せている相手がマクス様のように見えるのは若干気になっていることではある。のだが、どちらもお互いに対して特別な感情がないというのもわかっている。マクス様の愛情を疑ったことはないし、ミレーナが私に対して害をなすようなことはない、と今なら言い切れる。でも、それと私の感情というのはまったく関係のないもので、どちらかの口からそれぞれの名前が楽しそうな会話内容と共に繰り出されると、やっぱり胸の奥がチクチクする。
あまりふたりきりで話さないでください、なんてお願いするのはみっともない。私の心の狭さが露呈するだけだ。
――でも……ミレーナって、内緒話をする時に周囲に誰もいなくても顔を寄せてくる癖があるから。
あれをマクス様にもしているのではないだろうかと思うと、もやもやするのだ。
「ビー? どうした?」
「いえ、なんでもありません」
にこりと笑顔を作ればなにか言いたそうな顔をして、しかしそれ以上追及してくることはなく、彼は招待状を机の上に放り投げた。
「行きたくないな」
「そういうわけにもいきませんよ」
「私は、年1回の夜会以外は参加しなくていいことになっているんだ。それも、国王に挨拶をしたら帰って良いと言われている。噂通りの内容だとしたら、なんでこんなのにこの私がわざわざ行かなければいけないんだ。なんとかして断れないか?」
またわがままを言い出すマクス様に、コレウスはお茶を置きながらも冷たく言う。
「このような招待があるだろうと聞いた時、即座に嬉々として奥様のドレスを発注していらしたのはどこのどなただったんでしょうか」
「…………」
コレウスは嫌味のように、いつにない完璧な笑顔でマクス様に問うた。
ドレスを発注するとなった時、それはそれは大変だったのだ。人間の仕立て屋に頼むとなると、納期までに日にちが必要になる。かといって既に完成しているドレスは、たとえ一点物であっても嫌だと言い出したマクス様が呼び出したのはエルフの仕立て屋だった。
しかも、その場で作れという横暴っぷりを見せた彼に私は驚きとめようとしたのだけど、彼女たちはそんなやり方にも慣れているのか「仰せのままに」と言って本当にその日その場でドレスを作り上げてしまった。
仕事のできる男コレウスは、こんな時のために今ルミノサリアの社交界で流行っているデザインと、また今だと流行遅れと取られてしまうだろうデザインの一覧を集めていた。
今流行りのものを身に着けたいわけではないけれど、明らかに流行遅れなものを、注目を集めること必須な私が着ていくわけにはいかないのでとても助かった。王都の流行りも知らない田舎者、と陰口を叩かれる要素は一つでも減らしておかなければいけない。私のドレス1つで、普段顔を出さないからなにも知らないのだ、と、マクス様が侮られることになってはいけなかった。
エルフの仕立て屋の仕事ぶりは、人間のそれとは全く異なるものだった。
シンプルなドレスを着させられたかと思えば、マクス様の要求に合わせてそれがあっという間に形を変えていく。色も、装飾も、胸元の開き方や袖のデザイン、腰から足にかけてのラインや、質感も、仕立て屋たちが指先を宙に踊らせるだけでイメージした通りのものへとなっていくのだった。
「そうだな、次はもう少し胸元を詰めてみてくれるか……ああ、これも素晴らしい。が、いや、比べて見れば先程の方が美しいか? しかし、それではビーの柔肌が他の男の視線にさらされるということになる。それは嫌だ」
そんなのは許しがたい、と真面目に葛藤しだすマクス様に「言うと思っていました」と言いたげな貼り付けた笑顔のコレウスとクララは壁際に立っている。
私に対するちょっと難ありな彼の発言をとめる人がいないのはいつものこと。だけど、この城のひとやミレーナたちの前以外ではやめてほしい。私が彼の言葉にどれだけ辱められているのか、誰も理解してくれていない。
とはいえ、そんなことお願いしたところで「旦那様をとめられると思いますか」の一言で切り捨てられてしまうのだろうけど、彼らは自分たちの主人がアレで構わないと本気で思っているのだろうか。
人間のドレス作りの時とは違って、見本を次々に着替える必要がないのは楽だ。しかし、なにを着ても絶賛されて絵姿に残したいと声に出して言われるのはかなり恥ずかしい。
「だめだ、私のビーが可愛すぎる。全部似合う。私には選べない」
最終的にそう結論づけて顔を覆ったマクス様を横目に見ながら
「あの、本当にごめんなさい。突然呼び出して無茶を言った挙げ句に、こんな……あのお恥ずかしいところをお見せしてしまって……」
彼の代わりに謝れば、彼女たちは首を横に振った。
「こんなに早く王妃様のドレスを仕立てさせていただけるとは思っておりませんでした」
「あのように楽しそうな王のお姿を拝見させていただけたのも幸せです」
「だったら良いのですけど」
改めて王妃などと言われたことはほぼなかったので妙に気恥ずかしくなってしまう。同時に、彼女たちに対して申し訳ないという気持ちが膨れ上がるのだ。
あまりにも偶発的に彼らの王の配偶者になってしまった私に対して、エルフたちは決して良い感情は持っていないだろう。などと考えてしまうのは私の良くない癖で、少なくとも現段階で明確な悪意を向けられたことはないのに。
「ビー」
「はい」
「あなたはまた妙なことを考えていたな?」
「はい?」
黙っていたのに、なにを考えたか気付かれてしまったらしい。人前にも関わらず私を背後から抱き締めたマクス様は、耳元に囁く。
「私の妻になるのは、あなた以外は考えられないといつも言っているではないか。私の決定には、誰にも文句は言わせない。言う権利も資格もない。あなたはなにも気にする必要はないんだよ、ビー」
「それは、わかっているのですが」
「まったくあなたは。どうしてそんなに自信がないんだ? 私の言葉や態度が足りないというのなら、もっとちゃんと伝わるようにしようか?」
どうだ? と囁いてくる声は甘く、そのまま唇が首筋に降りてきそうでひやひやする。
「いえ! それはわかっているつもりですから大丈夫ですっ」
私は彼の腕から逃げ出そうとするが、逃がしてはもらえない。そんなに強く抱きしめてはドレスの型が崩れてしまう、とやめさせようとしたのだけど、周囲はそのままで構わないといった様子で生温く見守っているだけだった。
――コレウスたちはともかく、どうして仕立て屋のエルフたちまで同じような顔で見るの?
恥ずかしくて堪らなくなり、首元に回されているマクス様の腕を両手で掴んで、顔を埋める。
「わかっているのですけど、どうしても自分で良いのか不安になってしまって」
「私の言葉はそんなに信じられないのかい?」
ビー、と呼んでくる声は、やっぱり人様の前で出されていいような声色ではない。
「信じています、けれど……」
「けれど?」
「マクス様があまりにも素敵で、私の夫だという事実が幸せすぎて未だに信じられなくて、マクス様に愛されていると理解してるからこそ、こんな私で良いのかと自信なんて持てなくて」
誰にも聞こえないのではないような大きさで呟いた言葉はしっかりと彼に届いていたようで、息を呑む音が聞こえると同時に
「すまない、皆もう帰ってもらえるか」
どこまでも真剣なマクス様の声が聞こえて
「言うと思いました。駄目ですよ旦那様。なにも止めないので、それは奥様のドレスの発注を終えてからにしてください」
すぐさまクララがそんなことを言い返した。
――もう嫌……恥ずかしすぎる……っ!
全身茹りそうな私を見たエルフの仕立て屋たちは「あら王妃様、お可愛らしい」と、やっぱり微笑ましいものを見ただけのようなあっさりとした反応で。さすが長寿だけあって、若く見えても踏んできた場数が違うのだろう、とひそかに感心するばかりだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます