第181話
私との婚姻関係の継続をまったく反対されなかっただけではなく、むしろ歓迎されている様子に、マクス様は戸惑いを見せる。本当に良いのかと何度も確認するマクス様に、お兄様は貼りつけたような笑みで答えた。
「なんです? 別れろと言われる方がご都合が良いのですか?」
「そんなことはまったくない。許してもらえるのなら、それ以上は求めない」
「いやー、まさかノルティスの言うことが正しいとは思いませんでしたよ。心変わりなどというのはよくあることですし、最初から反対などしていませんでしたしね」
「もう、突然いらっしゃるんですもの、驚きましたわ」
お母様は頬に手を当てて、おっとりと言う。
「私と主人は、てっきり近々孫が抱けるという知らせかと思って楽しみにしておりましたのに」
「っ、な……っ、なにを言い出すんですか、お母様っ?!」
絶句するマクス様の代わりに私がお母様に抗議をする。そういう話では一切ない、と言えば「そうなの?」とパチパチ瞬きで返してくる。
「だって、あなたどう見ても愛されている顔をしているじゃない。夫婦でしょう? そういう話はなにも不思議はな――」
「お母様、あの、そういう話は僕の前でしないでいただけますか」
苦い顔をしているお兄様の制止に救われる。これ以上の話は刺激が強すぎたし、お兄様などは一番聞きたくない話だろうと想像できる。
「あら、でもそのうち、と楽しみにしても良いのよね?」
しかし、うきうきしているお母様は止まらない。夢見る少女のように手を組んで、満面の笑みで続けるのだった。
「私たちの可愛いベアトリスと、これだけの美貌のシルヴェニア卿との子供でしょう? 可愛いに決まっているわ」
「あー……いや」
マクス様は歯切れ悪く視線を逸らした。彼の言いたいことはわかっている。しかしお母様からすれば、エルフと人間の間に子供――ハーフエルフが生まれる可能性があることしか知らないのだ。当然、私たち夫婦の間にも子供は出来るだろうと信じているのだ。
「エルフと人間の間に子供は生まれる。しかし、その確率は限りなく低い」
「あら」
「だから、確実に、というお約束はできない。私もビーに無理強いはしたくないのでな」
この場合の「無理強い」の意味を正しく理解しているのは、この場では私だけだ。動揺を見せてはいけないと、真面目な顔を取り繕う。
残念、と呟いた母は、しかしショックを受けたようでもなかった。
「だったら、ノルティスが頑張らなければいけないわね」
「僕には期待しないでください」
「何人いても良いのよ」
「お母様」
そんなやりとりを後ろに聞きながら、お父様はマクス様に手を差し出した。
「改めて、娘のことをよろしくお願いいたします」
「ああ、こちらこそ」
しっかりと手を握り合ったふたりを見て、完全にマクス様の杞憂だったのだと安堵する。ついでのように、私が魔導師の塔の所属になる話をすれば、さすがのお父様もお兄様も驚いたようだった。
「それは、シルヴェニア卿の縁故という枠での採用でしょうか?」
「あそこは、そんなもので招かれるような場所ではない。間違いなくビーの実力だ」
「ああ……そうなのですね。では、幼い頃にもし我が家がビーに適性を調べさせていれば――今頃は魔導師として立派に活躍していたのかもしれないのですね」
そうであれば、エミリオ様とのあのような話もなく――とお父様は言ったのだけれど、マクス様は懐疑的な様子だった。
「いや、もしその頃に魔導師としての才能があると認められていたとしたら、もっと面倒なことになっていたかもしれない」
「おや、ビーはなにか特殊な……いえ、聞かないでおきましょう」
ライラの手助けをした精霊を呼び出せる召喚魔導師というのが私だ。マクス様が契約の手伝いをしていなかったとしても、ルクシアとノクシアはやってきただろう。彼女たちの姿が見えて直接的に話が出来るというのを見られたら、その段階で騒ぎになった可能性が高い。私は公私共にマクス様の完全なる庇護下にあるから国としても安易に手を出すことが出来ないのだけど、もし、この立場にいなかったら。
どのように扱われるか、わかったものではない。
詳しい話はそのうちに、と言うマクス様を全面的に信用すると言ったお父様は「そういえば」と小さく眉をひそめた。
「王家から、近々大きな発表があるという噂をご存じですか?」
「いや――」
興味がない、と言い出しそうなマクス様の手を引いてそれ以上の発言をとめる。
「一部では、ミレーナ様とエミリオ様の正式な婚約発表ではないかという噂も立っているようです」
お父様の言葉に、お兄様は首を横に振った。
「それは絶対にない、とソフィー嬢が言っていました。今代の聖女に関して彼女以上に近い立場の人はいないでしょう。ですから、これは信用できる情報ではないかと思っています」
「まあ、あのミレーナ嬢があの王子を今になって婚約する気になるようには見えないな」
「エミリオ様も、ミレーナに対してなんとも思っていないようですよね。とはいえ、貴族や王族の結婚というのは本人たちの感情とは関係のない部分も多いので、おふたりにその気配がないからと言って、絶対にないと言い切ることは出来ないと思います」
私の言葉に、みんなが頷く。確かに、と言うお父様を横目に、私はお兄様を見ていた。
――ちょっと前まで、ソフィーのことはソフィエル嬢って呼んでなかったかしら。
いつの間に仲良くなったの? とそんなことが気になってしまう。
「なにか公表しなければいけないことがあるとすれば、国民全体への周知の前に、主要な貴族へは知らせがあるというのだろうな」
「では、ここへ知らせが届くかもしれないということですね」
「シルヴェニア卿も辺境伯なのですから、当然呼び出されるのではないか?」
「……あー」
確かに、と真顔になったマクス様は私を振り返って「ビー、ドレスがないぞ」慌てたように言う。先日着たものではいけないのかと問えば、もう国王様やエミリオ様たちには見られているから駄目なのだという。
「でも、貴族のみなさまのほとんどはご覧になっていないドレスですよ?」
「ビーに、新しいドレス1つも買ってやれないのかと侮られるのは絶対に嫌だ。なんとかしなければ」
「どう思われても良いではないですか」
「嫌だ。そのような機会があるのなら、美しいあなたが選んだのは私なのだと見せびらかしたい」
マクス様は真顔で言って立ち上がると私の腕を取る。呆気に取られている両親に慌ただしく挨拶をすると、その足でアクルエストリアに戻って新しいドレスの手配を命じたのだった。
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