第179話

「帰る前に、マスターに一言掛けてみなよー」とニヤニヤ笑いのメニミさんは私を塔の最上部へ連れて行った。

 その前に「はい、これ着てね」とローブを渡される。先程アルスさんが着ていたもの、そしてメニミさんが普段着ているだぼだぼのローブととおなじようなもの。私には若干短いようだけれど、古代魔法部門の制服なのかしら、と思いながら袖を通した。


「あのメニミさん」

「なんだい?」

「私、まだここへの入室許可はないのではないですか? まだ正式に所属しているわけでもないのに、呼ばれたわけでもなくここに来てしまっては問題ありませんか?」

「ないない。絶対にないよー」


 メニミさんは扉をノックする。先ほどの広い部屋と違って、こちらの扉はかなり質素なものだった。


「なんだ。私は暇ではないぞメニミ」


 中から聞こえてくる声は非常に不機嫌そうだ。ね? と目だけで片眉をちょっと上げてみせたメニミさんは「大正解! ボクだよー!」と言いながら扉を開ける。


「だから暇ではないと……」


 顰め面でこちらに視線を投げたマクス様は、すぐに私を見つけてぽかんとした顔になる。


「は? ビー?」


 どうしてここに? と思われているのは言われなくても伝わってくる。やっぱり来るべきではなかった。慌てて頭を下げてメニミさんの袖を引っ張る。


「っ、申し訳ございません。許可もなく来てしまって……ほら、メニミさん、やっぱりご迷惑ですよ。帰りましょう」

「いや、待て。待ってくれビー。こら、メニミ、どうしてそうやってビーの魔力を隠すような魔法具を着せるんだ。すまない、あなたがいるとは思わず」


 すぐさまこちらに飛んできたマクス様は、私の手を引いてソファに座らせる。


「どうした? なにか問題でも生じたか?」

「いやー? アルスとも顔合わせしたしねー。なんの問題もないよー」

「ん? ではどうしてここへ?」

「嫌だったのかい?」

「全然」


 真面目な表情を浮かべて答えたマクス様は、私を膝に乗せようとする。しかし、まだ仕事中だとわかっているひとの邪魔をすることはできない。そっと断れば露骨に残念そうな顔をされる。


「もう帰るのか?」

「はい。ご挨拶は済みましたし、いつまでもまだ部外者の私がウロウロしていては気になる方もいらっしゃるでしょうし」

「ああ、そうか。そうだな。うん、だが」


 離れるのが惜しいとでも言いたげな表情の彼に、私は微笑みかける。


「では、マクス様」

「ああ」


 わかった、と言う割にはぎゅっと握られている手を離してくれる様子はない。


「一足先に帰ってお待ちしておりますね」

「うん」


 まだゴネるのかと思いきや、彼は素直に頷いて立ち上がった。そのまま自分の机に戻ると、目の前に積まれている書類を次々と処理していく。その速度で済ませられるのならば、こんなに山になることはないのでは? と思うが、要するにやる気にならなければ基本的には事務作業をしたくないのだろう。

 ――私の周りは、こういうお仕事が苦手な方ばかりなのかしら。

 エミリオ様もそうだったし、メニミさんも事務作業を手伝ってほしいと言っている。溜まる前に終わらせてしまえばいいものを、面倒臭がって1つ1つやっていかないからこんなことになって、もっと嫌になるという悪循環になる。


「これだけ終わらせたら、今日は戻れる」

「はい。頑張ってくださいね」

「ああ」


 ほーら、やる気になった。と呟いたメニミさんはニヤついている。

 

「皆様の思惑通りですか?」


 下に降りて、また廊下を歩きながら尋ねれば「だろうねー」と含み笑いの彼は跳ねるように歩いていく。


「さあ、帰ろう帰ろう」

「え? メニミさんも帰るんですか?」

「え? 帰るよー?」


 当然のように言って、塔の入口に向かおうとした。そこで私は、ポーチの中に入れていたものを思い出した。


「あっ、ちょっと待ってください」


 メニミさんのフードを掴んで止める。


「おおっと。なんだいー?」

「あの、アレク先生にお渡ししたいものがあるんです。さっき学院に行ったのですけどいらっしゃらなくて、城に戻ろうとしたところで呼び出されたので、まだ持っているままでしたから」


 そういうことなら、とメニミさんはさっきの部屋とは逆方向に歩いていく。


「アーレクー」

「はい。おや、ベアトリス嬢もいらしたんですね」


 ノックもせずに扉を開けて入ってきたメニミさんに驚く様子もないアレク先生も、なにやら事務処理をしているようだった。立ち上がろうとする彼を止めて、机の側まで近付いてポーチから小さい包みを取り出す。


「もしご迷惑でなければ、受け取っていただけますか?」

「なんでしょうか」

「クッキーです。昨日作ったものなのですが」


 手を差し出しかけたアレク先生の動きが止まる。心なしか表情も強張っているように見える。


「手作り、ですか?」

「あっ、食べられるものになっているのは保証します」

「そこは信用していますが、その……ベアトリス嬢の手作りのお菓子……ですか」


 渋い顔になるアレク先生に、やはり素人の作ったものをお渡しするのは失礼だったかもしれない。引っ込めようとすれば「断ったら断ったで面倒なことになりそうですよねぇ」と唸っているのが聞こえてきた。

 ――面倒とは? 

 首を傾げつつ「あの……」ご迷惑なら引き取るつもりでいれば、気を取り直したかのようににこりと微笑んだアレク先生は包みを受け取ってくれる。机の上に包みを置くと、さっそく開いて1つ口に入れてくれた。


「美味しいですね。ありがとうございます。手作りのものが嫌だというわけではありませんよ」

「私の作ったものだけではなくて、ミレーナさんが作ったものも入っているのですけど」

「なるほど」


 さして多くを包んだわけではなかったのだけど、アレク先生はあっという間に全部食べてしまった。

 ――そんなにおなかが空いていらっしゃったのかしら?

 何故か返された小箱をポーチに戻して、部屋を出ようとする私の背中に声がかかる。


「ごちそうさまでした。それではまた学院で」

「はい、それでは失礼いたします」

「ベアトリス嬢ー帰るよー」

 

 用事が済んだらさっさと戻ろうとメニミさんが廊下から手招きする。


「あ、そうだ。さっきマスターに活力注入しておいたから、今日は真面目に仕事すると思うよー」


 なるほど、と納得した顔になったアレク先生に軽く手を振られ、もう一度頭を下げた私は、また先ほどの塔の入り口近くに案内されていた。柱の陰になるような目立たない場所に壁とほぼ同じような色と素材の扉がある。開ければ、人が2人ギリギリ立てるくらいの広さの空間があった。

 

「ここに城からの転移魔法陣があるからさー? これ使えば一瞬だよー」

「コレウスもこれを使っているのですね」

「そうそう」


 アルスさんに仕事を押し付けたままのメニミさんは、私と一緒に城に戻ってきた。それで良いのかと残されているアルスさんのことが気になるけれど、彼らの関係について横から口を挟むべきではない。どうしても気になるのなら、ちゃんとあそこで仲間と認められてからにすべきだろう。


「メニミさんも、アルスさんのことをあまり困らせないようにしてくださいね」

「困らせてないよー、あの子がボクの役に立ちたいって言って手伝ってくれてるんだからさー?」

「甘えていますね」

「ボク可愛いからなー」


 もう、なにも言うまい。自分の見た目が相手に与える効果を熟知しているひとって怖い。


「奥様、おかえりなさいませ! どうでしたか?」


 帰りを待ってくれていたらしいクララとアミカに、卒業後はメニミさんの助手をすることになったと伝える。助手じゃないって、と彼は言うのだけど、彼女たちもなにか察したようで「奥様……」と慰められてしまい、そんな反応に不安はつのるばかりだった。

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