第178話

 もう少し話していても良いだろう、と言っているマクス様を丸っと無視したアレク先生は、メニミさんに笑顔を向ける。


「では、この後はメニミさんにお任せしましょう。さ、行ってください」


 これ以上マスターの前に顔を出していると仕事にならない、という意味だろうと理解して、改めて深く頭を下げて部屋を出る。


「いやー、ベアトリス嬢に断られたらどうしようかと思ってたよー」

「書類を押し付ける相手がいなくなるからですか?」

「そんな意地悪言わないでおくれよー」


 よよよ、と泣き崩れる真似をしながらメニミさんは頭の猫のような耳をペタンと伏せる。冗談ですよ、と言えば「ベアトリス嬢、言うことがアレクサンダーに似てきたよねー?」と唇を尖らせた。


「それを聞いたら、マクス様は複雑な顔しそうですけれど」

「なんでボクにそんなに冷たいんだい?」

「冷たくないですよ」


 いやぁでもさー、などとぶつぶつ言っているメニミさんに、廊下の半ばにあった古ぼけた扉の前に連れてこられた。古代魔法部門と書かれているそこにメニミさんが杖を触れさせると、ここも自然と開いていく。

 

「それぞれの部門はさー、部門外には知られてはいけないような研究をしてたりするわけさー。今度支給されるだろうけど、この杖は魔法を使うためじゃなくて、自分が入っても良い場所の扉を開けるためのものなんだよー」

「では、それぞれで立ち入れる場所が違うのですね」

「そうそう。全部の場所に入れるのはマスターだけで、あとはコレウスやアレクサンダーも入れない場所はあるよー。ベアトリス嬢は、公共の場所と、ここと、それからマスターの私室も入室許可が出るんじゃないかなー」


 それは特別扱いなのでは? と一瞬思ったのだけど


「ベアトリス嬢に応援の言葉をかけてもらった方が仕事がはかどる時もあるだろうしさー」


 笑顔で言われると、私は本当に魔導師としての力を買ってもらえたのだろうか、と不安は増すばかりだ。アレク先生の言葉を信じて、少なくとも合格点だと思いたい。でも、どう考えたって『メニミさんは事情が分かっている助手が欲しい』『仕事をサボりがちなマスターに真面目に仕事をするようにさせたい』という2点を満たせる人間というのが過分に評価されているようにしか感じられない。


「もし、私がメニミさんの事情を知らなくて、古代魔法の研究をしていなくて、マクス様の妻でなかったとしてもここに招かれましたか?」

「そんな仮定をしても意味はないけどさー? どっちにしてもベアトリス嬢はライラの生まれ変わりってことで精霊から愛されているんだろう? どこかで魔法の勉強を始めていたら、召喚魔法を使えるようにはなってたんだろうし、召喚魔導師は貴重だからねー? よほどじゃなければ勧誘されてたと思うよー?」

「ライラの生まれ変わり……と言われても、その頃のことを覚えているわけではないので実感はないのですけど」


 マクス様とエミリオ様の魂が一つの魂を割ったものだというのも、いまいち納得できてはいない。あのふたりが元は同じ人物だったとは思えないからだ。それに、伝えられているオスリアン王の性格とふたりの性格は全く違うのだ。


「ライラとベアトリス嬢の性格だって違うだろう?」

「ヴォラプティオはそれなりに似ていると思っているようですよ」

「あー、そこら辺もねー、本当は研究したいんだよねー」


 扉の中には転移魔法陣があり、一瞬で古代魔法の研究部門に移動する。特にここは塔の中でも上層にあるから、歩いて階段をのぼるのはあまりにも重労働だそうで。


「アルスー? アルスはいるかいー?」

「師匠っ! どこ行ってたんですか!?」


 本の山の影から、小柄な人物が頭を出す。しかしすぐにメニミさんの後ろに立っている私を見つけて「ぴあっ!?」と妙な鳴き声を上げて隠れてしまった。


「アルスー、ほら、こっちはベアトリス嬢、新人さんだよー。ここの所属になったんだー。ともだち増えて良かったねー」

「アルスさん、とおっしゃるのですね。よろしくお願いいたします」


 あくまで魔導師の塔所属の魔導師同士というだけあって、それだけでは友人とはならない気がする。しかし、メニミさんにとってはその程度の関係性でも友人扱いなのだろう。アルスさんが隠れた本の山に向かって挨拶をする。しかし、返事は返ってこない。


「ひえっ、ひえ……!!」

「あーごめんねー、ベアトリス嬢。あの子人見知りでさー? 種族は人間、年齢は――いくつだったかなー? まあ、どうでもいいねー、そこは」


 ちらっと顔を出してこちらを窺っている様子は、警戒心の強い小動物のようだ。笑いかけてみたのだが、私の笑顔にはミレーナのような愛嬌はないので逆に怖がらせてしまったのか、また顔を引っ込めてしまった。彼女はフードを深くかぶっているので顔の半分までが隠されている状態で、どんな顔立ちをしているのかはわからない。つまり、年齢もわからないということだ。声は高く、年を取っているようには思えない。身長は女性にしてもかなり小柄だ。メニミさんも小さいので、私一人かなり高身長に見えてしまう。


「今ここに所属してるのは、アルスとボクだけだねー。あ、でも新人がもう1人来る予定だからー」

「あわわわわ」


 物陰からアルスさんの慌てふためく声がする。


「し、師匠っ」


 手招きされたメニミさんがとてとて彼女に近付いていく。


「新人って、急にふたりもですか?!」

「うんー、仕事楽になるねー?」

「いや、いやですよっ、わ、わたしは1人だけの方が気が楽で」

「あ、いや、3人かも」

「ひえぇええ?! どっちなんですかっ」

「仲良くなれるよー、すぐに」

「師匠みたいに誰とでも仲良くなれる人じゃないんですよ、わたし!」


 小声でやり取りしているメニミさんとアルスさん。しかし、他に誰もいない部屋は静かで、会話の内容が筒抜けだ。

 ――もう1人、勧誘された方がいらっしゃるのね。しかも、古代魔法部門に。

 でも、今年の卒業生で古代魔法を扱っているのは私だけのはずではなかったかしら。いったい誰が? と同期の顔を思い浮かべてみるが、これといって思い当たる人はいなかった。

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