第177話

 私はなんて幸運な星の元に生まれているのだろう。ここまで自分に都合のいいことば続くと、ミレーナの言った「この世界の主人公はお姉様です」という言葉すら本当のように思えてきてしまう。


 今思えば、公私ともにあのエミリオ様のサポートをしながら一生を終えるというのは、なかなかに苦労が多かったかもしれない。結婚相手であるマクス様は私の意思を尊重してくれているし、溺れてしまいそうなほどに愛されているという自覚もある。あの日、あのまま結婚していたら得られなかっただろう感情もたくさん得られた。

 それまでの生活を続けていたら出会わなかっただろうひとたちともたくさん出会えて――などと感慨深くなっていると、アレク先生から肩を叩かれた。


「では、早速契約を交わしましょう」


 こちらにどうぞ、と椅子のひとつに案内される。

 正面に座っていた学院長になんとも言えない顔で見つめられている。彼はちらりとマクス様を見て、その度にぐぐっと眉間に力が入っていっているようだった。にこりと笑いかければ、引き攣った笑みを返された。


「ビー、あなたの座る場所は――」

「こちらの椅子ですね、大丈夫です理解しておりますわ」

「いや、そちらではなく私の」

「はいアレク先生、説明、よろしくお願いいたします」


 どうせ膝の上に座れと言われるのだろうことは想像できている。さすがに彼に無理を強いている状況でもなく、しかもある程度正式な場だろうここで、そんなみっともない姿を晒すわけにはいかない。いくらマクス様がここの長だといっても、風紀を乱すようなことを最初に許してしまってはこのあとどれだけを人前で求められるかもわからないではないか。

 コレウスとメニミさんなどは私が膝の上に乗せられている程度は見慣れているのだろうから「気にしない」と言いそうなところがとても嫌だ。

 マクス様に口を挟ませないようにして、アレク先生に契約の詳細を聞く。


 先ほど説明があったように、私の所属は魔導師の塔の中の古代魔法部門、その中でも召喚魔法に関するところになるらしい。古代魔法部門のトップはメニミさんだそうで


「事務作業とか溜まりがちだからさー、ボクの代わりにやってくれると嬉しいなーって思ってさー? ベアトリス嬢なら仕事早いのは知ってるし、ボクについても今更説明しなくてもいいしさー」

「……メニミさんについて、ということは……あの、メニミさんのお子様に関係する内容だったりします?」

「あーそうそう。送られてくるレポートのまとめとか、母親とのやり取りとか」

「それは、ご自身でやるべきでは?」


 自分の好奇心に端を発している、自分の子供の成長記録だろうに。そういう異種族の両親を持つ子供の生態について興味があるならともかく、その辺りを積極的に知りたいという欲求は今の私にはない。と、なると、どうして赤の他人の私が彼の子供についての報告をまとめなければいけないのか。

 そんなこと言わないでさー、とメニミさんは情けない顔になる。


「他にも新しく出てきた文献の解読作業とかさー、いろいろあるんだよ。ダンジョンの奥にある魔法陣の分析になるとさー、現地に行かないといけないんだよー? でも、ここ最近は学院にずっといたから現地になかなか行けてなくてねー? そういうのの内容の一覧も作らないといけないし―、ボクの報告内容のまとめ、やってもらえると助かるんだけどなー?」

「ええと。結局、事務員として呼ばれたのですか? 私」

「いやぁ? 魔導師として招待してるよー?」


 しかし、今の話を聞く限り、どう考えてもメニミさんの事務作業のお手伝いをしろと言われているようにしか聞こえない。それはそれで構わないのだけど、やっぱりもやもやは継続する。そんな私の顔を見てなにか察したようで、アレク先生は苦笑いを浮かべた。


「ベアトリス嬢」

「はい」

「貴方がこれまでに得ている知識や立場などを考慮し、メニミさんの助手として最適であると判断されたのは確かです。しかし、それだけではありません。魔導師としての合格点を得られないような者をここに招くほど、我々は甘くはありませんよ。マスターの奥様といっても、それは変わりませんよ。むしろ、その立場だからこそ厳しい目を向けられることもあるでしょう」


 ですから、とアレク先生は笑って契約書を差し出してきた。


「貴方は、正式に一人前の魔導師として認められて、ここに招かれたということです。貴重な召喚魔導師ですしね。これからは、貴方個人の力が必要になることもあると思いますよ」

「そういうことがあったら、幸せですね」


 渡された羽根ペンで自分の名前を書く。文字がキラキラと光って蝶の形になり、マクス様の元へ飛ぶ。彼は指先に蝶をとまらせ愛しそうな目でそれを見つめた。ふぅっと息を吹きかけられた蝶は、またひらひらと舞って壁に掛けられている大きな額縁に吸い込まれた。

 一面の花畑に多くの蝶が舞っている。

 ――あの蝶の一匹一匹が、塔の魔導師なのかしら。

 一際美しい銀色の蝶の隣に、私のマルベリー色の蝶が寄り添った。


「では、学院の卒業後はあなたはここの所属となった。塔所属の魔導師は、アクルエストリアの国王命令よりも私の意見が優先される。これからも、あなたの嫌がることはさせないよ」

「私だけ特別扱いはしないでくださいませ」

「特別扱いなどするつもりは」


 そう言ってはいるが、今までの彼の態度を見ると特別扱いされかねないという不安がある。力のある人物からの寵愛は、他の人からの要らぬ嫉妬心を呼ぶ。そんな場面は嫌になるほど見てきた。今まではマクス様に比較的近い立場の人たちが相手だったから、私を不快に思わないひとが多かっただけだ。その環境も、恵まれていたのだ。

 ここに所属する以上、これからは私も気をつけなければいけないことが増えるだろう、と気を引き締める。

 

「ここでは私も、マクス様のことは他の方と同じようにお呼びします。改めて、よろしくお願いいたします、マスター」


 そう言って礼をすれば「――んッッ」変な声を出して口元を押さえたマクス様は


「……いや……なんだ、ビーからそう呼ばれるのも、たまには悪くないな、うん。マスター……マスターか……」


 などとやたら真面目腐った顔で言って、コレウスとアレク先生から冷めた視線を向けられていた。

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