第175話
――もうそろそろ止めてもいいかしら。
顔が熱くなるのを感じながら、私はミレーナの怒涛の褒め言葉に口を挟む隙を探っていた。
「お姉様、もしかして疲れでお熱でも出ました?」
頬を赤らめた私を見て勘違いしたらしいミレーナが額に触れてこようとする。そういうわけではないから大丈夫、とひとまず話が止まったことに安堵した私は彼女を厨房に案内しようとした。しかし、ミレーナはその場から動こうとしない。真剣な顔でなにから考えるようにあごに手を当てて黙りこくっていた。
「ミレーナ? あの、お菓子を作りに来たのではないの?」
「……え、これ、もしかして照れてる……?」
ハッとした顔になったミレーナは、即座にコレウスを振り返る。心得たもので、彼はさっとどこからか例の絵姿を作る魔法具を取り出した。流れるような連携で「恥ずかしい」とまだ赤らんでいる頬を押さえた私の絵姿が2枚製作される。
「こちらはシルヴェニア卿に、ぜひ」
「ありがとうございます」
影で取引するかのような雰囲気を醸し出しつつ、ミレーナとコレウスは『褒められて照れ、赤面するベアトリス・シルヴェニア』の絵姿の受け渡しをしている。そんな彼らの行動をクララやアミカが止めるわけもなく、アッシュは興味なさそうに立っている。ソフィーがいないこの場では、彼女の奇行をやめさせられる人物はいなかった。
「もうっ、なにやってるのふたりとも。そんなのマクス様にお見せしなくて良いのよ。コレウスも協力しないでちょうだい。絵姿ならマクス様がもっとちゃんとしたのを持っていらっしゃるでしょう?」
「こういう何気ない普段の表情っていうのも貴重なんですよ」
自分の分だったらしいもう1枚を大事そうに胸に抱いたミレーナは言う。真剣な面持ちのコレウスは大きく頷いた。
「これがあれば、旦那様の作業効率が格段に上がるでしょう。ミレーナ様は素晴らしいものを作ってくださいました」
――真面目な顔でなにを言っているのかしら、このひとは。
真顔になってしまう私に、コレウスはなおも真面目な顔で続ける。
「そして、旦那様がきちんと仕事をしてくだされば、アレキサンダー・アルカノスの負担が減ります」
それを言われると、強硬に阻止できなくなる。教室では爽やかな笑顔を振りまいているアレク先生だけど、自分のお部屋では疲れた顔をしてお茶を飲んでいることがよくある。マクス様の作業が遅れている尻拭いをしているのだ、と言われてしまえば、妻としてはもう抵抗のしようがない。
「……わかりました。それでマクス様がお仕事頑張ってくださるのなら、渡してください」
「ありがとうございます。では、さっそく届けてまいります」
綺麗に礼をしたコレウスは、さっさと城を出ていく。額を押さえて軽い頭痛に堪えた私は、気を取り直してお菓子作りに取り掛かることにした。
「キーブス、ミレーナも来てくれたのだけど、厨房に入れても大丈夫かしら?」
「ええ、奥様のご友人ならもちろん」
――お友達ではないのだけど。
つい口から出そうになるけど、ここでまで否定する話ではない。きゅっと口を閉じた私を見たミレーナが苦笑いを浮かべる。
「あのレシピでわかりましたか?」
「ええ、多分」
「レシピって、難しいですよね。ひとつまみとか、適量とか、お菓子はそういうことあんまりないですけど、結局どれくらい? って最初は戸惑うんですよね」
「ああ、確かにそれはあるかもしれないですね」
ミレーナが教えてくれたのは、コロンと小さく丸めるクッキー。彼女の世界ではスノーボールという名前で知られているもののようだ。
「材料買ってきましたよ。ええと粉砂糖と、それから……」
クララが材料を並べてくれる。そこにミレーナがアレンジ用にとちいさなチョコレート菓子を出してきた。
「これを中に入れても美味しいんですよー。あと……ええと、リマウでしたっけ。あの果実の皮削って入れても美味しいんですけど、ありますか?」
「ああ、あるよ」
黄色いリマウの実をキーブスが持ってくる。酸味のある香りのいい果実で、お菓子や飲み物、料理にも使える、ミレーナの世界ではレモンという名前だったようだ。ナッツを入れても美味しいというので、人数がいることもあっていろんなアレンジも含めて作ってみることにした。
ミレーナが子供にでも作れる簡単なお菓子だというだけあって、まだまだ不慣れな私でも苦労することなく生地が作れて、どれもが焦げることもなく上手に焼きあがった。とはいえ、焼き作業をキーブスがやってくれていたのだから、どう考えても成功するのは目に見えていた。
「わあ! 可愛いですね、こうやって仕上げに粉砂糖がかかると本当に雪玉みたいです」
「ほろほろした食感のクッキーなんですよ」
「へぇ、そうなんですね。食べるの楽しみです、お茶淹れましょう!」
「クララ、すっかり食べる係になってますね」
真剣な顔でころころとクッキーを丸めていた姿が可愛らしかったアミカは、手伝わずに笑顔で自分を見ているだけだったクララに少々不服そうだった。
「私、マクス様にお届けする分を包んできますね」
「それならば、こちらに容れ物を用意してありますよ、奥様っ」
妙に可愛らしい小箱をクララは出してくる。もしかしたら、おつかいついでにこれも買ってきてくれたのかもしれない。全種類が入るようにしようとしたところ「奥様がお作りになったものはこちらに入れてください」と一回り小ぶりな小箱を出される。
「旦那様にとっては、奥様の手作りというのが大事なんですよ。全部混ぜちゃだめです」
「そう? 口に入ってしまえば同じよ?」
「だめです。奥様の作ったものはこっちに入れてください」
絶対に一緒にしてはいけません、と力説されて、よくわからないままに自分のものだけ別に包む。あまり少量でも格好がつかないとそれなりの量を詰めたところ、私のつくったものはほとんどがマクス様のところへ行くことになってしまった。
「あら。もっと作ればよかったわ」
「むしろ、こうなったことをお伝えした方が旦那様お喜びになりますよ」
「そうかしら」
「はい! 奥様お手製のお菓子、どうしてお前たちがいつもいつも食べているんだ、って前文句言われたことあります。旦那様は奥様のお作りになったものは全部召し上がりたいんですよ」
旦那さまったらー、と楽しそうなクララは、黄色い小箱にマルベリー色のリボンをかけて満足そうにしている。
――あれは、私の瞳と髪の色よね。
自分が選んだわけではないのだけど、まるで「私を食べて」と言っているように見えて気恥ずかしくなる。
「じゃあ、コレウスさんに頼んで旦那様のところに届けてもらってきます!」
「あら。そうよね、コレウスに頼むのなら二度手間になってしまったわね。ちょっと待っていてもらえば良かったわ」
さっき絵姿を持って行ってもらったばかりなのに、また同じ場所へ届け物を頼むことになってしまった。少し考えればこうなることはわかっていたのに、どうしてあの時思いつかなかったのかしら。
「いえいえ、旦那様のやる気は早めに出していただくのがいいですからね。コレウスさんにとって魔導師の塔との行き来はたいしたことじゃないので大丈夫ですよ」
「では、残ったものはみんなでいただきましょう!」
ぱちん、と手を叩いたミレーナの声を合図にアミカはお茶の準備をしだす。良い香りにつられたのか、ひょこっと顔を出したメニミさんとアッシュも一緒にお菓子とお茶を前にお喋りをして――その前に、私はクッキーを何個かを取り分けてキーブスに包んでもらった。いつもお世話になっているアレク先生にもお分けしよう、と思ったのだけど。
翌日クッキーを学院まで届けに行ったのにアレク先生は留守にしていた。部屋が開いていないことには机の上に置いてくることも出来ない。あまり長持ちするものではないし、と持ち帰ることにして学院長の部屋に向かっていた私の目の前に、金色の蝶がひらひらと舞い降りてきて
『ベアトリス・シルヴェニア、魔導師の塔へおいでください』
そんな声が、頭の中に響いた。
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