第174話
「ただいまかえりましたー!」
元気な声でクララが帰ってきた――と思いきや「お姉様っ!!」走り込んできた影が抱き着いてこようとした。
「きゃっ!?」
驚いて身を守るように両腕を上げれば、私の前に大きな背中が立ち塞がった。
「わぁ! やめてくださいアッシュ、わたしです、ミレーナですぅ! お姉様の敵じゃありませんってばぁ!!」
「……紛らわしいことをするな。」
もう私の警護の任務は解かれたと思うのだけど、たまたま城にいたアッシュが駆けつけてくれたようだ。その手に持たれた短刀がミレーナの首元に突きつけられている。それを見た私は、ざぁっと血の気が引くのを感じた。
「アッシュ、剣をすぐに退けて」
「ああ」
「彼女は聖女様よ? 怪我なんてさせた日には、とんでもないことになるわ」
「あー大丈夫ですよぉ。私そこそこ強いので」
紙一枚ほどの隙間しかないほどの距離に切っ先を突きつけられながらも、ミレーナは軽い調子で笑う。
「ちょっとは怪我するかもしれませんけど、まだやることあるっぽいので、ちょっとやそっとじゃ死なないですよ」
「それは、あなたの知っている世界での話ではないの? ここではどうかわからないじゃない。あまり自分の運命を過信しない方が良いわ」
「まあ! お姉様、わたしのことを心配してくださるんですかっ?!」
嬉しい! とまた抱き着いてこようとするミレーナだったが、今度はアミカに腕を取られて止められていた。アッシュはまた警戒したようだったけれど、こちらはクララに手首を掴まれていた。
「アッシュ、奥様が剣を下げろと言っているの」
「オレはオレの仕事を……」
「下げろ、と言っているのよ」
クララはいつも通りの笑顔だけど、そこから発せられている圧がすごい。尻尾が見えたら情けなく丸まっているのだろうな、と想像できる雰囲気のアッシュは、ミレーナから距離を取った。
「ミレーナは、どうしてここに?」
「私から説明します。おつかい中に、町に出てきていたミレーナ様にお会いして、奥様がお菓子をお作りになるという話をしたらお手伝いしたいと言ってくださいまして」
「レシピ以外のアレンジもお教えしますよ!」
にっこにこのミレーナだけど、少し聞き流せない言葉を聞いてしまった。
「……ミレーナ、あなた誰かに町に出るって行ってきているの? ソフィーはどこ?」
「えー、たまには自由に町の人とも交流したいじゃないですかー」
「じゃないですかー、ではないわ。きっと心配しているから、ここにいると連絡するか、帰るか、どちらかを選んでちょうだい」
「じゃあ、ソフィー様に連絡します」
その二択なら、帰るわけないじゃないですか、と笑ったミレーナの前に、コレウスが通信用の鏡を持ってくる。通話を開けば、ソフィーは本を読んでいるところのようだった。
『あら? ベアトリス。どうしたの?』
「ソフィー、私今アクルエストリアにいるのだけど」
『そうでしょうね。それで?』
どんな用事か、と続けようとしたソフィーの顔が引き攣る。どうやら、私の後ろにミレーナを発見したようだ。
『ミレーナ様! 今は教会にいらしていたのではないのですか?! お付きの騎士はどうしたんですかっ』
「撒いちゃった♡」
『ミレーナ様!!!』
どうしてあなたは、というお説教が始まりそうだったので、口を挟む。
「ごめんなさい。うちのクララが連れてきてしまったようなの。あとでちゃんと送り返すから、心配しないで。あと騎士様にもミレーナは私のところに遊びに行っていると伝えてくれる?」
『……わかったわ。ごめんなさい、聖女様をよろしく頼むわね』
一気に疲れた表情になったソフィーの顔が画面から消える。はぁ、と溜息を吐いた私は、改めてミレーナに顔を向けようとした。しかし、その前にクララが勢いよく頭を下げてくる。
「申し訳ございません、奥様! つい、私」
「ミレーナが勝手な行動をしているのがいけないの。あなたも少々軽率だったとは思うけど、もう良いわ」
でも、暴漢や聖女に対してあまり良い感情を持っていない人に襲われるかもしれないことを考えたら、ここにいてくれる方が安全ではある。彼女が町をうろついている可能性があるのを知っていたのに、ミレーナがクララに声をかけてついてくるとは思っていなかった。私の読みの甘さもある。
「お説教は、ソフィーに任せましょう。私たちが言うよりもよほど効果的でしょうからね」
とはいえ、言い聞かせられるという意味ではなくて、彼女が嫌がることを熟知している、という点でのミレーナへの罰になる程度でしかない。多分ミレーナは、未だに誰の言うことを聞く気もないのだ。正式に教会の所属というわけでもなく、かといって王家にも入らないだろうから、この先彼女がどうするのか気にならないわけではない。しかし、教会にも王家にも関係がなく、そして友人ではない私は相談乗る立場でもなし、今まで通りに接することしか出来ない。
「それにしても、急に抱き着いてこようとするなんて」
学院以外で私にそんなことをしようとすれば、誰かに妨害されるのは予想がつくだろう。しかも、ここはアクルエストリア。彼女サイドの人間は一人もいない。怪我をしたらどうするつもりだったのかと問えば、彼女は悪びれずに言う。
「だってえ、お姉様と久し振りにお会いできて嬉しくなっちゃって」
久し振りというほどに久し振りではない。昨日も一昨日も会っている。まともに会話をする時間こそなかったけれど、挨拶程度ならほぼ毎日していたではないか。
「ずっとお忙しそうでしたし、お話する時間もなくて寂しかったんです。あとそれから昨日の発表についての感想もお伝えしたかったし! お姉様の発表、本当に素敵でした、あの歌声も――」
それから数分、ミレーナの賞賛の言葉は止まることがなかった。
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