第173話

 ミレーナが書いてくれたレシピをキーブスに見せると、顎を撫でながら少し難しそうな顔をした。


「確かに難しいものではなさそうですね」

「でも、私にはまだ難しい?」

「いえ、奥様ならもう簡単に作れると思いますよ。しかし、この材料の中に今ここにはないものが少しありましてね。うぅん、町に買いに行っても良いんですが……」


 この口ぶりだと、なにか用事があるのだろう。別に今日急ぎで作りたいわけでもないのだけれど、マクス様にお届けしたい、なんて思ってしまった以上すぐにでも取り掛かりたいというのも正直なところ。


「奥様、私おつかいに行ってきますよ?」

「クララが?」

「はい! どこに売っているかだけ教えていただければ今すぐにでも行って帰ってきます」

「じゃあ、クララ、これとこれを――」


 私が行ってきても良かったけど、いざ自分で買い物に行こうと思えば一人で行くわけにもいかず、クララとアミカ、アッシュにもついてきてもらわなくてはいけなくなる。それに、今の恰好のままではさすがに出られない。さっと挙手してくれたクララに全部お任せすることにして、私はアミカと庭を散策することにした。

 

 裏庭に出れば、そこにはクイーン以外のペガサスたちと、端っこにぽつんと佇んでいるユニコーンがいた。彼は、私と目が合うと軽い足取りで近付いてくる。


『……くさい……』


 久し振りに話をしたかと思えば、そんなことを言われる。


『あのエルフのにおいがする』

「……それは……その」


 夫婦であるのだし、一緒に寝ているのだし――まあ、彼の匂いがする、と言われるのは理解できる。しかし、そんなに嫌そうな顔をしなくても良いのではないだろうか。


『ぼく、きみが乙女じゃなくなっても仲良くしてあげられるけど、男の匂いをぷんぷんさせて来られるのは、ちょっと』

「…………………………」


 種族の特性なのはわかる。わかっているが、なにやら若干その言い方が鼻につく。

 なんと返したらいいものか、と思っていると上から影が降ってきた。勢いよくユニコーンに体当たりしたのは、クイーンだった。あっさりと吹っ飛ばされたユニコーンはよろよろと立ち上がる。


「クイーン」

『失礼なことを言うなって言われても、本当に臭いんだも――』


 ドーン、とまた盛大に突き飛ばされる。


「奥様、彼らはなにをやっているんですか?」


 あれはペガサスとユニコーンの間での特別な挨拶なのですか? とアミカに尋ねられ、彼女はユニコーンの声が聞こえていないことに気付く。


「あのね、ユニコーンが、私からマクス様の匂いがして、それが彼にはあまり好ましくないみたいで」

「ユニコーンは処女好きだと言いますからね」

「…………そうね」

「奥様、彼と会話できるのですね」

「ええ」


 それから、私を臭いと言ってクイーンに叱られているみたい、と付け加えれば「懲りない男ですね」とアミカは呆れたような顔になった。


『でもねクイーン、ちゃんと教えてあげた方がいいと思うんだよ。きみだって、彼女からあのエルフの匂いがするのは好まないでしょ?』


 クイーンは、苛立たし気に鼻を鳴らす。


『自分は良くてもぼくはダメ、ってなんで? 本当のことだよ。あっ、待って、蹴られたらまた怪我しちゃ――』


 パコーン、と軽快な音がしてユニコーンが遠くへ飛んで行った。

 私を見たクイーンは、申し訳なさそうな雰囲気を漂わせながら頭を下げてきた。


「いえ、クイーンはなにも悪くないんです。それに、彼の言うことに怒ってもいません。怒ってくださらなくても大丈夫ですよ」


 人間だったら溜息を吐いているのだろう様子のクイーンは、また群れの中へと戻っていった。しばらく庭でのんびり過ごしているペガサスたちを眺めていると、遠くへ飛ばされたユニコーンがよろめきながら帰ってきた。


「おかえりなさい」

『うぅっ、痛いよ……痛い、けど、やっぱりあの強さ良いなぁ……』

「………………」


 ――このユニコーン、変な扉が開きかけていないかしら。

 ひとごとながら、少々心配になってくる。彼らの間の話なので、私が首を突っ込むことではないからあえて尋ねはしない。そもそもそんな心配は下世話で無粋だ。

 

「クイーンとは、お友達になれたのですか?」

『ううん。お友達からも嫌だって』

「……それでは、あなたは今ここでなにを?」

『認めてもらえるように、好感度を上げている最中だよ』


 番になるのは拒否されたようだけど、友達から、というのは諦めていないようだ。アミカに彼の言っていることを伝えてあげると、彼女は真顔で呟いた。


「クイーンの大切な人である奥様を侮辱したんですから、今まで一歩一歩築き上げてきた好感度なんて、呆気なく、先ほどのあなたのごとく吹き飛んだでしょうね」

『えっ?!』

「彼、驚いているわよ」

『どういうこと?!』

「どういうこと、って言ってるわ」

「自分の好きな人をバカにされて、喜ぶひとがいますか?」

『で。でも、臭いのはあのエルフで』


 ユニコーンは目に見えて動揺している。


「……マクス様が臭いという話をしただけで、私のことを悪く言ってはない、って言いたいみたい」

「だからですね、旦那様は、奥様の愛している方なのです。その方を貶すというのは、奥様に対しても失礼ですし――そもそも、この島自体が旦那様の持ち物です。滞在を許されているのは、奥様に対しての恩があるからです。それをもう返しきったと判断されれば、あなたは簡単に追い出されますよ。ここの全権限は旦那様にあるのです。なにか勘違いなさっていませんか」


 容赦ない。アミカの発言はすべて事実だけど、そこまで言わなくても、と思わなくもない。だが、ここまではっきり言わなければ彼には伝わらないのだろうから、彼女の言葉を止めずに聞く。

 え? 本当? と私を見てくるユニコーンに、私は黙って頷く。


「ええ。ここはマクス様の領地、と言っていい場所です。ペガサスたちも、マクス様の許可を得てここにいるんですよ。だから、あの方がもう出ていけと言ったなら――」

『そんなぁ』

「今のところ、追い出すつもりはないようですけど」

『も、もう臭いって言わないから、もうちょっとだけここにいさせてもらえないかな』

「私に言われてもどうしようもないですよ」


 とはいえ、彼の処遇に関してはクイーンに全権が預けられているから、彼女が本気で追い出す気にならない限りマクス様がどうこうしようというつもりはないだろう。多分、ユニコーンに対してマクス様は興味がない。


「ただ……マクス様に対して失礼なことを言われるのは、私も気分は良くないですね。あまりお口が過ぎるようでしたら、主人が許しても、私が許さないかもしれませんよ? あまりひどいことをおっしゃらないでくださいね」


 にこり、と笑顔で伝えたつもりだったのに、私を見るユニコーンの目が今までになく怖ろしいものを見るようなものだったのは少々解せないのだけど、この日以降、彼が私の夫についてなにか言ってくることはなくなった。

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