第170話
――マクス様のお顔が見られない……っ!
今日まで顔を合わせていなかったわけではない。それを言うのなら、エミリオ様――というよりもヴォラプティオのせいで妙な術を掛けられていた期間の方が、本当に彼と会えていなかった。ここしばらくは私は卒業発表の準備、マクス様はマクス様でお忙しそうにされていたのだけど、でも会えていなかったわけではないし、会話がなったわけでもないのだ。
いつもと違うことがあるとすれば、魔導師の塔のマスターとしてのお姿を始めて見たというのと……
「ビー?」
「はいっ!!」
「?? どうかしたのか?」
マクス様に怪訝そうな顔で見られてしまった。
声を掛けられただけで明らかに動揺している私を見て、クララとアミカは相変わらずニマニマしているし、コレウスもなんだかわかっているような顔をしている。メニミさんはいつものように旺盛な食欲を見せていて、アッシュは無表情に黙々と食事を取っていた。
「な、なんでもありませんわ」
「いや、なんでもない風には見えないが」
彼はなにか知っているのかというような顔でクララたちを見るが、彼女たちは笑顔を返すだけで一言も発さない。コレウスも澄ました顔で給仕してくれているだけで、マクス様の疑問に答えるつもりはなさそうで、当然のようにメニミさんもアッシュも食事に関すること以外は言わない。
「……私、お前たちになにかしたか?」
どうしてそういう意地悪をするんだ、と不満げな主人に対して、妙に生温い視線を投げかける使用人たち。
「仲良しさんだねー」
にこにこなメニミさんにじとっとした視線を投げて、マクス様は気を取り直したように私に笑顔を向けた。その顔にドキッと胸が高鳴って頬が熱くなりそうになる。誤魔化すようにワインを口に運んで、口当たりの良さに驚く。
「コレウス、これっていつものワインとは違うものよね?」
「今日は特別なものをご用意しました」
「特別?」
「ビーの発表が無事に終わったからな」
「まだ卒業はしておりませんが、良いのでしょうか」
「マスターは口実作ってるだけだから、ベアトリス嬢は気にすることないよー」
にゃはは、と笑ったメニミさんも先ほどから遠慮なく飲んでいる。パーティの最中もかなり飲んで食べてしていたのに、こんなにすぐおなかが空いてしまうだなんて、なんとも燃費の悪い身体だ。研究のために旅をしている最中の食事はどうしているのだろう、と関係ないことが気になってしまう。
用意されていた料理はいつも通りという割には内容は油少なめなもので、なんだかんだ疲れている私を気遣ってくれているのだろう。私の好む食材は、ここで過ごしているうちにマクス様と似てきた気がする。元々好きだったものに関しては、キーブスが作ってくれているうちにマクス様も気に入ったようで、すっかりここの定番メニューとなっていた。
そんなちょっとしたことが嬉しくて、口元が緩む。
「ビー」
私の名前を呼んだマクス様が手を伸ばしてくる。テーブルの上の私の手に彼の手を重ねて「お疲れ様」と微笑む。
「ありがとうごさいます」
「これは、塔のマスターとしてではなく、私個人の感想ということで聞いてほしいのだが」
「はい」
「あなたの夫という贔屓目満載で、素晴らしかった」
「……ありがとうございます」
贔屓目満載で、ということは、やはり魔導師という視点で見ればたいしたことはなかったということだ。自分が優秀であるとは思っていないが、それでも若干のショックは禁じ得ない。
「ああ、勘違いするな。魔導師として評価できなかったという話ではないぞ。今私がなにか言ってしまうと、他の生徒よりも早く評価を知ってしまうことになるからな? それだけの意味合いだ」
「……はい」
確かに、それはそうだ。
ここで先に評価を聞いてしまうのは平等ではないだろう。しかし、それにしても。
「褒めてくださった誰もが、歌と舞いについてばかりで……肝心の魔法についてなにも言われなくて」
「……まあ、あれは多少の知識では評価できないものだろうからなあ。生徒たちからすれば、上等な舞台を見たような感覚だろうな」
「舞台」
がぁんと頭を殴られたようなショックを受ける。
「だからねー、ベアトリス嬢の魔法は、わからない人にはわからなくて良いんだよー。綺麗な花が咲いたなーで良いんさー」
「メニミさん、でもせっかくの発表だったのに、それでは本当にマクス様のごり押しで入学したように思われるのではないでしょうか」
「心配しすぎだよー。あれがなんだかわからなかった教員がいるなら、それはそいつの知識量に問題があるんさー。むしろそっちの方が、問題になるヤツだねー」
「そういうものですか」
「メニミの言う通り、そういうものだ。ビーは気にしなくていい」
でも、これでは自分の中での納得感というものが低い。釈然としない顔をしていたのだろう私に「評価が出るのを待てばわかるよー」メニミさんはニコニコと親指を立てて見せてきたのだった。
「もう、何度も大丈夫って言ってるのに、ベアトリス嬢は心配性だなー」
「すみません……どうして、その、自分の立場が」
「ビーはなにをそんなに心配しているんだ?」
「あまりにも自分が不甲斐なくて、情けないのです」
「そんなことはな――」
「私、マクス様の妻だというのに」
「……いや、私は別にあなたが魔導師として有能だから結婚したわけではないのだが?」
そもそも、そんな適性があるとは結婚した段階ではわかっていなかったのだから、マクス様の言っていることの方が正しい。しかし、こんな自分ではマスターにとって相応しくないと思われたのではないかと思うと、明日から魔導師の塔所属の方々の目が怖い。
「姫様、悩んでもしょうがないことだ。まだ結果は出てない。心配するな」
「アッシュの言う通りだよー。しばらくのんびり休むと良いさねー」
「オヤジは、溜まってる塔の方の書類片付けろよ」
「うわー、面倒だねー……アッシュ、手伝ってくれないかいー?」
「オレはオヤジの助手じゃねえ」
「そんな意地悪言わないでさー」
「オレが見ちゃいけない情報も多いんだ。言わなくてもわかるだろう。そんなに言うなら、助手雇えばいいだろうが」
「アッシュ―」
「うるさい」
軽快な親子のやり取りを聞いているうちに、食事の時間は終わり、メニミ親子を残して立ち上がったマクス様は、私に手を差し出してきた。誘われるように手を重ねれば、そのまま抱き上げられる。
「マクス様?!」
「悪いな、もう我慢がきかない」
彼はそう言うと、瞬時に寝室へと転移した。
「家の中で転移魔法だなんて」
「だから、もう我慢の限界だったんだ」
ソファの上で膝に乗せられ、ぎゅうっと抱き締められる。
――限界だったのは、私もきっと同じ。
妙に彼を意識してしまっていたのは、ここしばらくこういう触れ合いが少なかったからだ。でも、発表が終わった今日であれば、明日が休みな今夜であれば。
そんな下心があったから、彼の顔がまともに見られなかった。
「ビー」
ゆっくりと彼の顔が近付いて、唇が触れる。
心待ちにしていたその感覚に、それだけで頭の奥から痺れてくるようだった。
――ああ、ベアトリス。あなたはなんてはしたない子なの。
恥ずかしくて、みっともない。でも、この衝動を抑えることもできない。
「マクス様、私も」
唇が離れた瞬間にそう呟いて、彼と同じくらいの強さでその身体を抱き返した。
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