第167話

 人から見られることには慣れているつもりだった。

 しかしそれが、公爵令嬢だとか王子の婚約者としてだとか、そういう立場を外れてしまえば別の緊張感が伴うものだとあらためて思い知る。元々、ルミノサリアの国民にはそこそこ顔が知られている自覚はあった。そして、この学院に入ってからも、あまり嬉しくない理由で有名人になっていた。

 あの時の視線は好奇心半分の、今までに浴びてきたものとほぼ同じような類のものだったから負担にはあまりなっていなかった、のだけど。

 この学院の先生方にとっては、私は魔導師の塔のマスターの妻であって、彼の推薦で入学したという注目株で、しかもメニミさんの愛弟子という扱いだ。普段から授業を受けている先生方以外の教職員、そして塔から来ている魔導師たちの視線に含まれる熱量が余りにも多くて、痛い。

 失敗は許されない。そう思えば手が冷たくなる。視線を上げると、マクス様は小さく頷いた。それだけで、なんとも心強く感じられる。

 一度深く息を吸い、頭を下げた。


「只今ご紹介に預かりましたベアトリス・シルヴェニアと申します。私は、こちらの学院で古代魔法の研究をしております。精霊たちの声を聞くことができたかつての魔導師たちが使っていたものとは少し異なる形ではありますが、今の魔導師が再現できる手法で再現することに成功いたしました。さっそく披露させていただきたいと思います」


 舞台上に用意されている小さな鉢植えの横に置かれていた球根をてのひらに乗せる。

 鉢植えの土にそれを埋めて顔を上げる。


「私は土や植物に関する加護は持っておりませんので、本来そのような魔法は使えません。今回は、古代の吟遊詩人たちが歌っていたという豊穣を祈るための歌の再現をさせていただきます」


 それでは、と私はスカートを軽く摘まんだ。タンッ、と足を踏み鳴らす。軽いステップと共に、歌うように呪文を唱え始める。


「天駆ける旋律が星々の力を集め、大地に生命の音色を響かせ」


 呪文を唱え始めると、私の周囲に星々の輝きが漂うように細かな光の粒が現れる。これは、精霊たちが辛うじて人間に知覚できるような姿を取っているものだ。光は空間を緩やかに流れ、きらめきながら歌とステップのリズムに合わせて揺れ出した。


「瞬く輝きが草花に降り注ぎ、その根が深く張り、幹が強く成長するようにと

 いつかの未来に花開き、恵みをもたらすようにと」


 光の粒は集まり始め、上空から地面に注ぐ川のような流れを作り出す。光は鉢植えに水のように流れ込んでいく。


「我らが声に応え緑の精霊たちが踊り出し、新たな命が芽吹き、豊かな実りが約束される」

 

 私の目には、私と一緒に歌い踊っている精霊の姿が見えている。歌に応じて、特別に今だけ力を貸してくれている土の妖精たち。ルクシアが指揮をとるように舞う私の周りで踊っている。

 光の粒が球根に降り注ぐと、眩いばかりの緑色の光が放たれ、急激に成長を始めた。芽を出したそれは、あっという間に茎を伸ばし葉をつけ、蕾を作る。そして見事なリリアの花が咲いた。咲き誇るリリアからは、星の光を反射するような輝きが放たれて、見るものを魅了した。

 私の歌に合わせて奏でられていた音楽が緩やかに消えていき、私は最後のステップを踏んで、歌と舞を止めた。


 しん、と静まり返った会場。

 失敗はしていないはずなのだけど……と不安に思いながら、頭を下げる。まだ少しだけ残っている精霊たちのせいで、空間はまだキラキラしていた。

 一瞬の間の後で、息を吐く音と吸う音が同時にする。そして、大きな拍手。

 ほっとして顔を上げれば、舞台袖からメニミさんが駆け出してきていた。


「ベアトリス嬢! いやぁ見事に成功したじゃないかー! ほら、しかも、見てごらん。咲いたのは幻と言われているライラのリリアだよぉ」

「え?」


 精霊たちの恵みの光が去った後の花は、まだ金色に輝いている。リリアは、本来白しか咲かせない。その花が金色に輝いたのは、初代聖女であるライラの手の元でだけ――というのが定説だったのだけど。

 いつまでも金色に輝いている花を見て、少し会場がざわつき始める。


 ――もしかして、やっちゃった……?


 少し背中が寒くなるのを感じながら、思わず見たのはヴォラプティオの顔。彼は、おなかを抱えて、音もなく爆笑していた。

 笑い事ではない。私は、ライラではないとあれだけ言った後なのにこの初代聖女の花を咲かせられただなんて、彼から「やっぱりライラじゃないか」と言われるのではないかと思うと唸りそうになる。

 早く花を隠さなければ。しかし、これだけの証人がいる状態で、なにをどう誤魔化せばいいの?

 メニミさんは「すごいなー」と目をキラキラさせるばかりで、フォローしてくれる気は一切なさそうだ。どうしよう、と表面上は笑顔を保ちながら視線を彷徨わせる。


「見事だった」


 大きく手を打つ音がして、静かな、しかしよく通る声が響いた。立ち上がったマクス様は、ミレーナを指差していた。


「歴代でも優秀とされている聖女ミレーナはヴェヌスタから特に愛されていると聞く。彼女のおかげで精霊たちの力が強く作用して、未だに輝いているのだろうな」


 なるほど、そういうことか。と会場中が納得したような空気になる。


「まだ発表は残っているのだろう?」

「はい」


 あと2名ほど、とアレク先生は答えて、私たちに舞台から降りるようにと手で指示してきた。改めて深くお辞儀をして、私は鉢植えを手に舞台袖に下がる。腕の中の花はまだキラキラと輝いていて、本当なら使った道具は準備室に戻すことになっていたのだけど、このまま放置するわけにもいかない。


「それ、貰っていいかなー?」


 きゅるん、と目を丸くしたメニミさんが小首を傾げる。多分、珍しい花を前に研究心に火が付いただけなのだろうけれど、ここは彼に押し付けるのが最適解な気がする。花はどこかと問われた際に「メニミさんが持って行ってしまいました」と答えたら、彼の性格や実績から誰も文句は言えないだろう。

 

「はい! もちろんです! メニミさんのおかげで、発表は多分成功しているので、こちらはお礼として!!」


 差し上げます、と言いながら彼に押し付ければ、満面の笑みを浮かべた彼は跳ねるようにしながら自分の研究室に引っ込んでいった。その背中を見送った私は、ひとまず発表が終わったことに安堵して、この状況もマクス様にお任せすれば大事にはならないだろうと期待しつつ、胸を抑えて大きく息を吐いた。

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