第165話
時は過ぎ、今日は卒業発表の日だった。
この制服を身にまとうのもあとほんのわずかな時間だけだと思うと胸が熱くなる。
「では、行って参ります」
挨拶のキスをしてマクス様に頭を下げれば、今日は魔導師の塔のマスターとしての正装をしているマクス様が緩やかに微笑んだ。
「では、またあとで」
ひらりと手を振るマクス様は上機嫌な様子で、コレウスから手渡された巻物を手にしていた。そこには今日発表するおよそ20名ほどの生徒名と、演目名が書かれている。同時に入学した何人かはまだ修練が足りないということで、今日の発表を許されていない。同じように、何名かは私たちよりも先に入学した生徒たちだった。
転移魔法陣で学院長の部屋に移動すれば、そこに部屋の主はいなかった。今日はマクス様も顔を出すということで忙しくしているのだろう。廊下に出ても、エミリオ様もミレーナ嬢もアレク先生もいない。誰もいないというのが珍しくて、少し寂しいような気もする。
控室に向かうと、みんな難しい顔で石板や巻物、書物を確認している。やはりみんな緊張はするようだ。
「おはよう、ベアトリス」
そんな中で、いつも通りな表情のアナベルに肩を叩かれる。
「おはよう、アナベル。あなたはずいぶんと余裕がありそうね?」
「わたくしは、みなさまと違って一人での発表ではないからかもしれませんわね」
本人の言う通り、彼女は魔法具についての発表をサリスさんと一緒にするのだ。舞台上に立つのが一人でないというだけでも、とても心強いだろう。
「いいわね」
「ですけど、台本もありますし、喋る順番を間違えたらどうしようという不安はありますわよ」
「でも、頭が真っ白になった時に手助けしてくれるだろう人が間近にいるのは頼もしいでしょう?」
「うふふ、そうですわね」
楽しそうに笑った彼女と話をしているうちに時間になる。アレク先生がやってきて手を叩いた。静かになった教室中を見回し、安心させるように微笑む。
「それでは皆さん、準備はよろしいですか?」
はい、と少し緊張混じりの返事が方々から上がる。私も、みんなと同じく緊張を隠せていない。そんな生徒たちを微笑ましそうに優しい笑顔で順に見たアレク先生は「大丈夫ですよ」と言ってくれる。
「皆さんが今日に向けてたくさん準備してきたこと、努力を重ねてきたことは、ぼくたちが見てきました。見慣れないひとたちがいて緊張もするでしょうけれど、怖いひとたちではないので問題はありません」
アレク先生がちらりと私を見る。
――確かに、マクス様は怖い方ではないけれど。
でも、緊張するなというのは難しい相談だ。徐々に指先が冷たくなってくる。
「さあ、では移動しましょうか。発表の最中、まだ順番の来ていない方は気もそぞろになるかもしれませんが、他の人の研究内容を見るのも勉強になりますからね。ちゃんと見た方が良いですよ。なにか参考になることがあるかもしれません」
アレク先生の誘導に従って発表会場へ移動し、席に着く。席は二階層に分かれていて、下には生徒と学院の教職員の方々、上には魔導師の塔から見学にきた人たちが並んでいる。中央に座っているのは、当然マクス様。だが耳は人間のように短い。白い衣装に身を包んだ彼の顔は、外から見えないように薄い布で隠されている。変身魔法を使えばいくらでも姿を変えられるだろうけれど……。なにか、そうしない理由があるのかもしれない。
「それでは、これから本年度卒業生の卒業発表を行います。1番目の発表者、ミレーナ・カレタスさんからお願いします」
「はい」
にこやかに返事をして壇上に上がったミレーナは、まるで聖女のような穏やかな微笑みでそこに立つ。いえ、彼女は本当に聖女なのだけど、普段の言動を見ているとつい忘れそうになってしまう。
「ミレーナ・カレタスと申します。一応聖女ということになっています」
一応、という彼女の言葉に小さな笑いが漏れる。私も少しだけ笑ってしまって、でもそのおかげで少し緊張がほぐれたような気がする。
「私は特例でこちらに入れていただいたので皆様とは扱う魔法の種類が違うのですが、こちらで研究した魔法がありますので、そちらを披露させていただこうと思います。私が使うのは神聖魔法でご存じの通り治療などを得意としています。ただ、魔法やポーションで無理矢理身体を回復させるのは自然なこととは言えず、魔導師の塔では使用を推奨していないというお話を伺っています」
そうですよね、というように、ミレーナはマクス様を見上げる。生徒たちの視線が彼に集まり、マクス様は視線を避けるように軽く手を振った。
「ですので、あくまでも自分たちの肉体の中にある力、自然治癒力を上昇させるような魔法を構築してみました。即効性のあるものでもないですし、怪我や病をすぐ治せることを願われている教会にとっては意味のある魔法ではないかもしれませんが――あ! 私がこんなこと言ってたっていうのは、教会の方々には内緒にしてくださいね?」
また小さな笑いが起きる。
「今日まで、寝不足になったり緊張でご飯を食べられなかったりした方もたくさんいらっしゃると思います。魔導師の塔の方々も、毎日お忙しいのではないでしょうか。ということで、お疲れの皆様全員にこちらの魔法を掛けさせていただきたいのですが、良いですか?」
ミレーナに質問された私たちはお互いに目を見合わせる。
この場にいるのはおよそ50~60名ほどだろうか。この全員に同時に魔法をかけようというらしい。しかも、全員の魔法抵抗値も一般の人々に比べれば高い。それなりの効果を出すのは大変そうだけれども。
「マスター、どうなさいますか?」
「ん? ああ、お前が安全性は確認したんだろう? ならば好きにすればいい。好まない者は自分で拒否すればいいんだからな」
アレク先生に聞かれたマクス様は軽い調子で言って
「ということで、彼女の魔法を拒絶したいのならそれぞれで防御するように。危険ではないようだが、聖なる癒しの力を望まない者は多いだろうからな」
その後に、改めてミレーナに許可を出した。頭を下げたミレーナは、祈るように胸の前で手を組む。
「それでは、皆様に癒しの力をお分けいたします。
大地の恵みと自由の風よ、己が身に宿り内なる力によって生命の流れを正しく導き給え。
生命のエネルギーで我を満たせ――エゴ・レノヴァーレ・ヴィタリス」
高く澄んだ声が響いて、ミレーナから温かな光が発せられる。空間に広がり、キラキラと降ってきたそれらが皮膚の表面に舞い落ちると、そのまま身体の中に吸収されていく。
部屋の数ヶ所から、パリンッ、バチンッという音が響く。「おやぁ、破られちゃったねぇ」と愉しそうなメニミさんの声。あれは防衛のための魔法が破られてしまった音のようだ。エミリオ様の近くに座っている魔族であるヴォラプティオを見れば平然とした顔をしているので、ミレーナの魔法を無効化できている、もしくはこの程度の神聖魔法は痛くも痒くもないのかもしれない。
私は、身体の奥の方から力が沸いてくるのを感じる。回復魔法やポーションを飲んだ時のような即座に疲労や傷が癒されていく感覚はないが、明らかに身体が軽くなっている。即効性はないというが、それでも調子が良くなっているように思えた。
「それから、ついでに頭を覚醒させる魔法も」
にこりと微笑んだ彼女は「クラルス・メンティス」と魔法の文言もなくそれを唱えた。同時に爽やかなミントのような香りを含んだ風が吹き抜け、少しぼんやりしていた頭がすっきりとする。
「これで、私の発表を終わります。皆様の発表が成功しますよう、お祈りいたしております」
礼をしたミレーナに拍手が送られる。派手ではないが、この人数に一度に魔法を掛けられる魔力と精度はかなりのものだろう。これは、この規模での同時回復がある程度可能だという事実を示せたことになり、戦いが起きた時や病が流行った場合、彼女が癒しの力を存分に発揮することができるという意味になる。マクス様を見上げれば、軽く手を叩いているので、彼も彼女の力を認めているようだ。
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