第161話

 私から積極的に出てみたところ、それは想像以上にマクス様には効いたようで。1時間もしないうちに「もう無理だ」と抱き締めることで止められた。


「本当ですか? 私が疲れてしまっただろうというお気遣いでは」

「ない。情けないが、今日はもう」


 ぐったりしているマクス様は、私に腕枕をしながら顔を背ける。その耳の先端が赤い。そっと触れるとビクッと身体を遠ざけられてしまった。


「不快でしたか?」

「驚いただけだ」

「エルフの耳は敏感だとかいうことはないのですよね?」


 種族によっては、触らせる相手を家族や恋人に限る部位や、そこに触れることで特殊な力を引き出したりするような場所もあるという話をメニミさんから聞かされた。彼の額の宝石も、家族以外は触れてはいけないデリケートな部分だという話だった。マクス様は、人間族と同じく個人差があるだけで、特に禁忌とされてはいないと教えてくれる。でも、冷静に考えてみれば、耳なんていうのは人間であっても誰彼構わず触っていい場所ではないし、馴れ馴れしかったかもしれない。


「私の身体で、ビーが触れてはいけない場所などないよ」


 彼は私の手を取って頬に触れさせる。


「それは私もです、マクス様。私の身体にも、マクス様が触ってはいけない場所などありません」

「ははっ、もう触ったことのない場所などほとんどないな」


 ぎゅっと私を抱き締めたマクス様は、いつもの調子を取り戻したようだ。今日は少し体力にも余裕があったから少しだけ話をしてから眠りについた。

 朝になって目を覚ませば、マクス様は珍しくまだ眠っていた。まだ私の頭は彼の腕の上に乗せられたまま。これでは手が痺れてしまうのではないだろうか。そーっと頭を浮かせようとしたのだけど、半分眠っているような状態のマクス様に抱き寄せられた。向き合うような姿勢になるから、自然と顔が近付く。起こしてはいけないと息をひそめて口元を押さえ、そのままの姿勢で身体を硬直させる。

 視線の行く場所は自然と彼の顔になってしまう。


 ――マクス様は、睫毛も銀色なのよね。

 朝日でキラキラしている。少し乱れた髪が、夜のことを思い出してしまってとてもいけない。滑らかな肌にはつい触れたくなるけれど、今そんなことをすれば起こしてしまう。でもじっとしていなければいけないと思えば思うほどにどこかを動かしたくなってくる。あまり自然とはいえない姿勢で固まっていなければいけないのは、なかなかに辛いものがある。

 ――そろそろ起きてくださらないかしら。

 少しはだけた夜着から覗く胸元に、赤い跡がある。あれは、昨晩調子に乗った私がつけてしまったものだ。

 ――服で、隠れるわよね?

 万が一を考えて、いつもより胸元が開いていないものを選んでいただかなくてはいけないかもしれない。でも、その跡を隠すようにお願いしたらわざと見えるようなものを選びかねない。自慢げにされる方が恥ずかしい。

 基本的に、放っておいても治るような傷をマクス様が魔法で治療することはない。ということは、自然とキスマークなどっというものもそのままにされてしまうのだ。これは問題だ。どうにかしなくてはいけない。


「ビー……」


 名前を呼ばれ、ハッとして視線を上げると、彼はまだ目を閉じている。


「かわいい、わたしの……」


 ――寝言? 夢の中でも、そんなことをおっしゃっているの?

 ぶわっと身体が熱くなる。続けて呟かれた言葉は、明らかに私に対する愛の言葉で、ダラダラと汗が額を流れ落ちる。

 恥ずかしい。とても恥ずかしい。


「まっ、マクス様っ! おはようございますっ」

「……ぁ……ん?」


 おはようございます! とまた大きな声で言って、彼の服を掴んで前後に揺する。


「ん? あ……な、なんだ。どうした」


 おはよう、と言いながら額に口付けてきたマクス様は「ああ、すまない」と苦笑いで私を離してくれる。身体を起こしながら距離を取れば、枕に肘をついて穏やかに微笑んだ彼は欠伸を噛み殺す。


「暑かったか? だったら、すぐに起こしてくれたら良かったのに」

「でも気持ちよさそうに眠っていらしたので」


 寝乱れた髪と夜着を整えながら答えれば、マクス様は私の腰に抱き着いてきて太腿に頭を乗せてきた。


「きゃっ」

「ふぅん。私の寝顔を見ていたということか?」

「見ていたというよりも、あれは不可抗力というものではないかと」

「……でも、見ていたんだろう?」


 嘘を吐くのも変な話で、はい、と素直に頷くと彼はにんまりと目を細め、身体を起こして耳元に顔を寄せてくる。


「それで、キスしたくなったりはしなかったのか?」

「っ!?」

「私の寝顔を見て、なにを考えていた?」


 絶句してしまえば、そのまま体重を掛けられて押し倒される。


「な、なにも考えてなんて」

「昨日は、情けないことに私の方が早々に音を上げてしまったからな。まだ元気は有り余っているぞ」

「マクス様?!」

「今からでも、もう一度と言わず二度でも三度でも出来るが」


 にまーっと笑った彼に口を塞がれる。その状態で、今は駄目です、と抵抗していると――


「い……ッッッ……!」


 マクス様は突然上半身を反らして悲鳴に似た声を上げた。


「クイーン、ありがとうございます。今は、今日は、助かりました」

「こら! だから髪を噛んで引っ張るなと……! 痛いだろうが。ビー! これやめさせてくれ」

「でも、私マクス様の美しい髪も大好きなのです。クイーン、やめてあげていただけますか?」


 お願いすればすぐにクイーンはやめてくれる。のだけれど、見ると窓は開いていない。いつもなら、クイーンが現れる時には外気も入ってくるのに、今日は音もなく現れた彼女が気付いたらマクス様の髪を引っ張って彼の行動を制止していた。どこから入ってきたのかしら、という疑問は「おっはようございまーす!」という元気なクララの声でうっかり忘れそうになってしまった。

 またしても部屋から追い出されたマクス様を見送ってから


「あの、クイーンは今どちらから入ってきたのですか?」


 白い顔を見上げればフンッと鼻を鳴らされる。言葉でのコミュニケーションが出来ない以上、察するしかない。どこか自慢げにも見えるから、なにか私の知らない手段で入り込んできたのだと思うのだけど。


「クララたちは、窓以外から入ってくる方法は知っているの?」

「いえ、私は知りません」

「あ、今日は旦那様が邪魔されないように窓にロックの呪文かけていたんですね。だからここからは入ってこられなかったみたいです」


 かといって、扉はふたりが入ってくるまで開かれた様子はなかった。

 ――本当にどうやって入ってきたのかしら。

 マクス様は入ってきたことに対して驚いた様子はなかったから、窓のロックはあくまでも時間稼ぎ程度だったのだとは思うのだけど。

 ――クイーンにも、不思議なことがいっぱいね。

 朝から難しい顔になってしまった私の頬を、クイーンはベロンと大きく舐めた。

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