第158話
おかえりなさい、と笑顔でみんなに迎えられると安心する。
「ただいま。マクス様はもうお戻りになってる?」
「呼んだか?」
ふ、と背後に現れた気配に抱きすくめられる。その腕を確かめるように手を添える。
「ただいま帰りました」
「ああ、私も今戻ったところだ」
「旦那様、本当にお仕事は終えられたのですか?」
にこっと笑うコレウスの視線から逃げるように、そーっと顔を背けた彼に「お仕事は終わらせていらしてください」と言えば大きな溜息を吐かれた。
「ならば、少しだけビーを補給させてくれ。今日も山のように仕事が運ばれてきているんだ。やってもやっても減りはしない。これからまた書類作業だなんて気が滅入る」
すぅっと息を深く吸う音。はぁ、と溜息を吐いてマクス様はもう一度強く私を抱き締めてから腕を離した。すぐに戻ると言う彼に
「奥様はお風呂なので、ごゆっくりどうぞー」
クララはにこやかに手を振る。不服そうな表情を残して、マクス様は現れた時と同じように姿を消した。
学校帰りのクイーンの消毒は、今はもうされていない。エミリオ様から不可抗力で触れられた時などはその場所を噛まれたり舐められたりすることもあったのだけど、制服の洗濯は大変なんです、というアミカの主張が受け入れられたらしい。特訓の成果もあり、洗濯の最終段階で行われるクララの魔法による衣服の浄化はクイーンの合格点を貰えたようだった。
マクス様やここのみんなの態度を見るに、クイーンはただのペガサスの長という存在ではないのかもしれない、と最近考えているのだけど、私が個人的に彼女と会話が出来るわけでもないし、誰も詳細は教えてくれないので本当のところはわからない。
「ところで、最近のメニミさんは、学校でとんでもないことしてませんか? おとなしくしてます?」
「大丈夫よ。とても人気の講師になっていらっしゃるわ。……おとなしくしているかどうかは、別だけど」
今日も、アレク先生から文字通り雷を落とされている場面を目撃している。あれは、絶対になにかやらかしたのだ。
「最近ここに来る時間もないみたいですもんねぇ」
髪の手入れをしてくれながらクララが笑う。
今や私の護衛役を解かれたアッシュだが、変わらずここに出入りしている。その理由は、クララから礼儀作法を習っているとかなんとか。もう少し丁寧な所作が出来るようになれば、もっと彼の活躍の場が増えるという話だ。
指導係のクララからはすっかりわんこちゃん扱いをされていて、見掛けるたびに「待て」をされていたり、上手に出来ると顎下をくすぐられながら褒められている姿を見ると、見た目だけで言えばアッシュの方が背が高く年上に見えるのもあってとても面白――ううん、物珍し……ではなくて、彼も頑張っているのだなと感じて、私も頑張ろうと背中を叩かれたような感覚になる。
「奥様の卒業発表の準備も順調ですか」
「おかげさまで。でも……」
「なにか不安なことでもあるのですか?」
マッサージしてくれているアミカに問われ、思わず小さな溜息が出る。
「メニミさんとも何度も確認したし、失敗はしないと思うのだけど。でもマクス様の前でオリジナルの魔法を披露するのは緊張するわ」
マスターの妻であると知っているのはほぼ講師陣のみなのだけど、それにしてもすごいものを期待されているかもしれないというのはプレッシャーだ。
「大丈夫だよー、マスターと比べたらどんな魔導師だって大したことないさー」
とメニミさんは笑っているけど、それはそれでプライドが傷つく。マクス様から推薦されて入学している以上、ある程度のものは見せたいではないか。
――と、考えてしまうこと自体が、調子に乗ってる……のよね。きっと。
ルクシアとノクシアという高位の精霊と契約して、召喚魔法を使えるようになって、自分の力よりもずっと強大な力を操れるようになっている。ちょっとした魔法ならば自分一人だけで召喚して使ってもらうことも出来るようになった。でも、あれは私個人の力とは言い難い。アミカの力を借りなければいけないことも多いのだ。どう考えてみても、魔導師として有能だとは言えないだろう。
「奥様、学校から帰ってきても、お休みの日でも、ずっと魔法漬けでしたもの」
「本当にご立派になりました」
「ねえ、やめて。まだ卒業もしてないし、発表だって成功するかもわからないのよ? そういうのは、卒業してからにしてほしいわ。もしかしたら、全部期待外れかもしれないじゃない。そうなったら、恥ずかしいどころではないわよ」
「大丈夫ですよ。旦那様が大丈夫っておっしゃってるんですから」
――でも、マクス様は私に対してとても甘いから。
そういう意味では、マクス様の言葉は一切信用できなかった。そうぼやいた私に、クララは「愛し愛されていると自覚なさっているご夫婦っていいですよねぇ」となにやら夢見る乙女のような顔で言ったのだった。
夕食時、マクス様は見るからに機嫌が良さそうだった。
じっと顔を見た私ににんまりした後で、今年の卒業生はなかなかに優秀なのが多いと学院から情報が上がってきているのだ、と彼は言った。
「これで、事務作業も得意なのが入ってきてくれれば、私の仕事も楽に――」
「旦那様?」
コレウスの声に、彼は頬杖をついてフォークを軽く揺らす。
「冗談だ。私にしかできないものが多いのはわかっている」
「マクス様、お行儀が悪いです」
「………………はい」
フォークを置いて、肘をテーブルから退かせたマクス様は私を見て、またにんまりと微笑む。妙に嬉しそうでご機嫌な理由は、先ほど彼の口から出た理由ばかりではなく、今日が週末であることと無関係ではあるまい。
「飲みすぎないでくださいね?」
またワインに手を伸ばす彼に忠告する。先程から、やたらとお酒がすすんでいるように見える。
「これくらいでは酔わないぞ?」
「それくらいの量を飲まれた日は、いつもちゃんと酔ってらっしゃいます。だって――」
これくらい飲まれていた日にはいつも、もういいという私の言葉が耳に入らないように、とても熱心に丁寧に、愛してくださるから。
でも、そんなことはここでは言えない。妙なことを考えてしまったせいで耳が赤くなる。
……あらまあ。
そう呟いたクララを照れ隠しでついキツい目付きで見てしまっただろう私に、彼女はなんとも嬉しそうに微笑み返してくれた。
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