第156話
「ビー?! なんでそんな真っ赤な顔してるんだい?! ねえっ!」
「もう、そんなの聞くだけ野暮だよ」
落ち着いて、とヴォラプティオに宥められたエミリオ様が崩れ落ちたと思しき音が聞こえる。横目でそれを見てうっすらと勝ち誇ったように笑ったマクス様は「行っておいで」と私の背中を押した。
「それでは、失礼いたします」
形だけはなんとかしっかりと見えるような礼をするが、顔は熱い。どんなに表情を取り繕ったところで、挙動不審なことこの上ない。パタパタと顔を仰ぎながら教室へ急ぐと、ソフィーと合流したミレーナ嬢と再び顔を合わせた。
「お姉様、そういえば」
彼女はちょこちょこと小走りにやってきて、私に内緒話をするように話し掛けてくる。
「そのスカーフ、少し暑そうですけど……もしかして、アレですか?」
「アレ、とは?」
「旦那様からつけられたものが、制服で隠せなかったとか」
「ん……ッ」
動揺を咳払いで誤魔化すと、彼女は「仕方ないなぁ」と笑った。
「まあ、あの方が独占欲と執着強めなのは公式ですからね。こうもなりますよね」
見せてください、と少しスカーフをずらした彼女は、これは出せないですねぇ、と呆れ声になる。それから
「治しちゃいましょう」
と私の首筋に触れた。
なにをするのかと身構えたが、大きな魔力が流れ込んでくることはない。ブレスレットが警戒したようにキーンと高い音を立てたけれど、それだけだった。
「はい。とりあえず、鎖骨から上にあるものだけ回復魔法で消しておきました。目立つ位置にはしちゃだめって、シルヴェニア卿に伝えてくださいね」
「申し訳ありません……お手数をお掛けして……」
恥ずかしい。
ミレーナ嬢にまで、いろいろと悟られているのがとても恥ずかしくてならない。数歩下がったところにいるレオンハルト様とソフィーには私たちの会話は聞こえていなかったようで、気にしていない顔を見せてくれていたのは有難かった。
「それでは、私はあちらの教室なので」
立ち去ろうとしたミレーナ嬢が振り返って、なにか言いたげな顔をする。どうしたのかと見返していると
「あのっ」
意を決したように、真剣な目で一歩こちらに足を踏み出した。
「お昼、今日もご一緒して良いですか? それとも、やっぱりご迷惑になるでしょうか?」
尋ねてきた彼女の視線が、迷うように斜め下に逸らされる。どうせ拒絶される、そう思っているのだろう。
「構いませんよ」
「……えっ!?」
私の返事に、彼女は驚いた顔をする。
「構いません、と申し上げました。もしかしたらアナベルなどもいるかもしれませんが、それでもよろしければ」
「ありがとうございますっ!」
大きく頭を下げたミレーナ嬢は、弾む足取りで去っていく。
――悪い子ではないのよね。
お友達ではない、という認識が変わることはないのだけど。
彼女は、エミリオ様への恋慕は持っていない。エミリオ様自身もミレーナ嬢へのそういう情はない。
ということで、彼との結婚という当初の予定通りに進められるかどうかは疑問だ。彼女がヴェヌスタに頼めば、聖女が王家の人間と結婚しなくてはいけないという話もなくなるかもしれない。
彼女の知っている物語はそろそろ終わりを迎えるようだけれど、この先、彼女はどうするのだろう。聖女として国中を回るのか、それとも他国にも遠征するのか。その時には、やはりレオンハルト様とソフィーが同行なさるのかも。
――続編というものもあるような話をしていたわね。
その物語は、この世界にも反映されるのだろうか。
「私は――」
マクス様と、長い物語を紡いでいきたい。でも、今はまだ学生として、ここでの生活を楽しまなければ。たくさんのことを覚えなければ。
それが、私が自分でしたいと願ったことの一つなのだから。
* * *
ヴォラプティオの件は内密に処理され、彼はエミリオ様付きの魔導師として学院に出入りするようになったのだけど、それに関連して私が全く予期していなかったことが起こった。魔族の魔法に興味を示したメニミさんが、ここの講師としてやってきたのだ。
古代魔法のスペシャリストである彼の講義は人気があって、多くの生徒が受講し見分を広げていった。
全く種族や家柄を気にしないメニミさんの影響を受けたのか、それとも本来の誰にでも人当たりよく親切で爽やかな好青年という部分を取り戻し、私だけに執着する態度を――少なくとも人前では――出さなくなったエミリオ様の影響か、貴族も庶民もほぼ関係なく交流するように変わっていった。
もしかしたら、エミリオ様の護衛役として、若干貴族思想などが強かったユリウス様とオリバー様が外されたというのも大きかったのかもしれない。
「ベアトリス、今日はなにを召し上がりますの?」
「アナベルと同じものにしようかしら」
「わたくしはこちらの腸詰肉を挟んだパンにしますわ。ベアトリス、このようなものを齧ることは出来て?」
「大丈夫よ。以前の私とは違うもの」
天気のいい日には、学院の庭に露店が立つようになった。
ミレーナから城下町に立つ露店の話を聞いたエミリオ様はそれに興味を持つようになっていたのだけど、当然のように王族が気楽に街に降りることなどできない。でも行きたい、食べてみたい、と言う彼に「キッチンカーっていうシステムがありますよー」とミレーナが助言した。それも、彼女の前世の記憶によるもののようだ。
今では、週に2回ほど、選ばれた数店舗が学院の庭に時間限定で露店を出してくれるようになっていた。貴族の子女はあまり食べたことのないメニューに興味津々だったし、庶民にはあまり手の出せない価格帯の貴族御用達のレストランから露店が出ることもあったので、生徒も教職員も問わず列を作っていた。時々、学院長が並んでいるのも見かけた。
美容と健康のため、とお茶やジュースの専門店も作られたし、それが城下町に店舗を持って大盛況しているという話も聞いた。
「では、わたくしはあちらでお茶を買ってきますわね。パンはお任せしましたわよ」
「ええ」
すっかり自分で注文することにも慣れ、アナベルと自分の分を持って中庭のベンチに空きを探す。周囲を見回していると、大きく手を振っているミレーナとソフィーを見つけた。
「あら、ミレーナ、ソフィー。ごきげんよう」
「お姉様、一緒に召し上がりませんか? 私、カップケーキ焼いて来たんです!」
ほら、と見せられたバスケットの中には、小さなケーキがいくつも入っていた。美味しそうね、と言えば彼女は嬉しそうな顔になる。
「アナベルも一緒で大丈夫かしら」
「はい!」
「ベアトリス、あら、ミレーナ様もご一緒なさいますの?」
「ご迷惑でなければ……」
「大丈夫よね?」
尋ねれば、アナベルは優しげに笑う。彼女はテーブルの開いている場所にお茶を置くと両手が埋まっている私のために椅子を引いてくれた。
「ええ。パラソル付きの席でいただけるなんて、優雅で良いですわね」
「あ、それ新作の辛いのですよね。アナベルさんは辛いの大丈夫な人なんですね。私、甘いのは大丈夫なんですけど、辛いの本当にダメでー」
愉しそうに話をしているミレーナは、そういえば、とアナベルの顔を覗き込んだ。
「なんですの?」
「私も、ミレーナと呼んでください。様付けではなくて」
「……よろしいんですの?」
「お姉様も、もうすっかりミレーナと呼んでくださっていますので」
「そう言えば、そうでしたわね」
ある時「お姉様から『ミレーナ様』って呼ばれるの、すごく距離を感じて嫌なんですけど」と彼女から訴えられ「ソフィーとも呼び捨てで呼び合う仲になっているので、ソフィーの親友であるお姉様にも同じように呼ばれたいです!」となんだかよくわからない理論を突き通されてしまった結果、彼女を呼び捨てにすることになってしまった。
しばらくは慣れなかったのだけど、人間徐々に対応できるようになってくるものだ。今では、彼女を「ミレーナ」と呼ぶことに抵抗はなくなっていた。
しかし。
「ビー! 僕も一緒に食べていい?」
笑顔のエミリオ様がやってくる。席がない、と断ろうとしたのだが、一足早くヴォラプティオの魔法で彼らの分の席が作られてしまった。こちらの許可を得るよりも早く腰掛けたふたりは、持参したらしきバスケットを開いた。
「プティオ、どれ食べる?」
「エミリオが先にお選びよ」
「僕はいつも選んでいるから、今日はきみが好きなの取って」
……このふたり、妙に馬が合ったのか、非常に仲が良かった。一部で、私からヴォラプティオに乗り換えたのかと噂が出ているほどに。
しかも、ヴォラプティオは性別も年齢もわからない美貌の持ち主なのだ。声だって、女性には聞こえないが男性と言うには甘くて耽美な響きをしている。本人の服装や仕草、喋り方もあって、年上のお姉様かもしれない? というのが周囲からの見え方であった。
エミリオ様に至ってはヴォラプティオを『プティオ』などという妙な略称で呼んでいる。最初は「ヴォラの方を取ってほしい」と訴えていたヴォラプティオだったのだけど、彼のそんな意見をエミリオ様が聞くはずもなく。
「プティオの方が可愛いよ」
という王子様スマイルでの強引な締めの言葉に言い返すことが出来なかった結果、すっかりプティオ呼びが定着してしまっていた。
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