第154話

「そんな話はどうでもよくて!」


 声が大きくなったミレーナ嬢の顔は赤い。その反応は恋とどう違うのだろう、と疑問ではあるけれど、本人が違うというのだから違うということにする。


「それでですね、驚かないように先にお耳に入れておこうと思ったんですけど」

「はい、なんでしょうか」

「オリバー様が、護衛係をクビになりまして、その代わりに、ヴォラプティオが一緒に行動することになりました」

「……今なんて?」


 ですから、とミレーナ嬢はもう一度同じことを繰り返す。


「今日から、学院にヴォラプティオが登校してくることになりました」

「……なぜ?」

「ですから、護衛係として」

「ごめんなさい。なにを言われているのかわからないわ」


 正しくは、理解したくない。

 誰がそんなことを言い出したのか。なんでそんなことになったのか。

 オリバー様が外されたのは、魔族に気絶させられてエミリオ様を危険にさらしたからといいうことが理由ではなく、どうやらこの学校で数人の女生徒に声を掛けて遊んでいたらしく、それが御父上にバレてしまったとのことだった。


「オリバー様って、聖職者の割に遊び人でいらっしゃいますもんね。まさか、お仕事中にまでナンパしてるとは思ってませんでした。自由時間に遊んでいるような描写だったので、そうだと信じてたんですけど。違ったんですね」


 ミレーナ嬢はこそこそ囁いてくる。それは多分、オリバー様であってオリバー様ではない方のお話だわね、と思いはしたがここでそれを言及したところで意味はない。重要なのは、司祭であるオリバー様がエミリオ様の側を離れることになって、魔族が公的に近くにいることになってしまった、という部分だ。


「どういう口実で側仕えに?」

「塔から派遣されてきた有能な魔導師、という設定みたいです。あの時、重大秘匿事項とされた事柄については、みなさんお話しできなくなってますよね? それをいいことに、昨日の夜のうちにエミリオ様の周辺警護をしているところの人たちの記憶を弄ったみたいなんですよ」

「では、ヴォラプティオは魔導師としてここに来るのね。でも、ここには本当に塔から来ている方も多いでしょう? どうやって彼らを騙すの?」

「……それについては、もうほとんどの教職員はもうヤられてますよ」


 低い低いアレク先生の声。彼の方を見ればまた顔色が悪くなっていて、手に持っている羽根ペンが折れそうなほどにしなっていた。


「手際が良いと言うのか、学院長以下、ほぼ全員その魔族の記憶操作を受けています。ぼくや魔法防御の専門家は大丈夫だったんですが、その魔族が登校してくることに違和感を覚えるひとは、ゼロに近いでしょう」

「えー! そうなんですか?!」

「操作されていないものたちも、状況は把握しています。大丈夫です、こちらから魔族に手を出すことはないですし、あっちの好きなようにもさせません」


 朝からテオが走り回ってます、とアレク先生は大きな溜息を吐いた。

 テオというのは、彼の双子の弟で魔法安全管理官をしている方だ。また困らせてしまったようだと思えば、その根本的な原因が自分にある自覚はあるので申し訳なくなって眉が下がる。


「ベアトリス様が悪いわけではないので、そんな顔をしないでください」

「しかし」

「大丈夫です。魔族は興味のあること以外しません。今魔族が観察したいのは、エミリオ第二王子がベアトリス様をどうやって口説くのかということだけだと聞いています。大丈夫です。なにもさせません」


 そう言うアレク先生の目がギラギラしている。あれこれ心配していると口にしたところで、それも彼にとってはストレスになるだろう。私は、膨らむ不安を押し殺す。


「お姉様」

「はい」


 ミレーナ嬢は、私の耳元に爪先立ちをするようにして極々小声で囁いてきた。


「アレク先生って、魔導士の塔のサブマスターなんです。お任せして大丈夫ですよ」

「……はい?」

「サブマスターです。強いんですよ、アレク先生も」


 ――え? そんなお話、一度たりとも聞いたことありませんが?

 これもきっと、前世からの知識というものなのだろう。それにしても……

 私は、また書類に噛り付きながら頭を掻きむしっているアレク先生を呆然と見ることしか出来なかった。


 これ以上ここにいたら邪魔になるだけ、と一旦話を切り上げて廊下に出る。

 ミレーナ嬢は談話室で待っているというソフィーを迎えに行くと言って、廊下で待っていたレオンハルト様と一緒に足早にその場を立ち去った。

 彼女がいなくなると同時に


「おはよう、ビー!」

「おはよう、ベアトリス」


 今一番聞きたくない声と二番目に聞きたくない声が、揃って耳に飛び込んできた。

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