第152話
「……これ、もしかして全身にある?」
腰につけられている赤い跡を撫でる。触っても違和感はない。しかし、それにしても……
「はい、結構あっちこっちについてますねぇ」
「どれくらいで消えるものだったかしら」
「うぅん、一週間くらいでしょうか?」
少しでも早く治るようにしましょうね、と言ったクララはポケットからクリームを取り出す。
「これもメニミさんからもらいました。メニミさん特製のものなので、効果ありますよきっと」
などと言いながら、全身にそれを塗ってくれた。隅々まで塗られ、えぇ……そんなところにまで? と軽く引きそうになったのだけど全部にあるわけではないらしい。
「それにしても、さすがメニミさんですね。準備が良いったら」
「……………………」
――今まで、いつもこうだったのかしら。
メニミさんはマクス様とはそれなりの付き合いの長さのようだし、彼のそういう事情にも詳しいから、先回りして用意できたとか。精霊の囀りもこのクリームも、もしかしたら、マクス様の癖などを知っているからの贈り物だとか?
考えだすと、もやもやする。
「奥様、大丈夫ですか?」
「ええ」
「ご無理はなさらないでくださいね?」
「してないわ」
若干の違和感はあっても、歩くのにも問題はない。
――痛く、なかったわ。
散々とても痛いのだという噂話で脅されていたのに、全然痛くなかったというのは言い過ぎにしても、それは一瞬で、あとは。
思い出して、また顔が赤くなる。駄目だ。こんな状況では、今日は学院には行かれない。顔を覆った私の耳には、楽しそうなクララの笑い声が聞こえてきていた。
朝食の席でも、マクス様を見るたびに、顔が熱くなっていた。指を見ると、唇を見ると、それだけでいたたまれない思いに駆られて逃げ出したくなる。
動揺が止まらない私に対して、マクス様は落ち着いた様子だった。そんな態度も、彼の過去を想像させてくれるから、眉間に力が入りそうになるのをなんとか堪える。
「ビー、身体は大丈夫かい?」
「はい」
顔を上げて笑顔を作るが、マクス様は心配そうな顔を返してくる。
お化粧も軽くしてもらって、顔色は悪くないはずだ。表情にも、変なことを考えてしまっているのは出ていないはず。
「今日は、学院はお休みしていただくことになりました。かなりお疲れのようですし、集中力を欠いている状態で魔法の練習は危険です」
コレウスの言葉に、マクス様の動きが止まる。なに? と聞き返した顔は、驚愕に強張っていた。
「ビーは休むのか?」
「はい、誰かが奥様のお身体にかなりの負担を掛けられたようですから」
「……休み? 一日中ここにいるのか?」
「はい」
「……私は?」
「旦那様は、魔導士の塔へどうぞ」
「何故」
「仕事が溜まっているでしょう」
「………………」
マクス様はものすごく不満そうな顔をしている。それからぐっと拳を握ると、テーブルを一度強く叩いた。衝撃で、食器がガチャガチャと鳴った。
「私も休みたいのだが!? それで今日は一日ビーと」
「無理です」
なにやら言い出した彼に、即座に拒否を示す。続けては体力が続かない。そんなことをされては明日も登校できなくなる。もしかしたらそういう意味ではなかったのかもしれないけれど、顔を見るだけでドキドキが止まらないのだ。少し、冷静になる時間が欲しい。
「ビー、そんな冷たいことを言わないでおくれ」
「明日も休ませるおつもりですか」
落ち着いてはいるが、コレウスの声の威圧感は相当なものだ。大きな溜息を吐いたマクス様は、肩をすくめた。
「そういうことはしない」
「しなくても、奥様のストレスになるかもしれません」
「……私が?」
「旦那様が、です」
理解できない、という顔をしていたマクス様だったが、それからほどなく「お時間です」というコレウスの無常な言葉を受けて立ちあがった。お見送りをしようと立ち上がったのだけど
「ああ、あなたはゆっくり食事をしてくれ」
と言って私をまた座らせた彼は目蓋に口付け「なるべく早く帰るから」と囁いて部屋を出ていく。キスされた場所を押さえて彼が去った方向を見ていると
「やぁやぁ具合はどうだい、ベアトリス嬢ー」
元気にメニミさんが入ってきた。
「おはようございます」
「声は大丈夫そうだねー? いやー、ハーフエルフの親たちから色々聞いてたからさー? 準備したものが役になったみたいで良かったよー」
「あら。そういうことだったんですか?」
「ベアトリス嬢の綺麗な声が、もっと綺麗になってるねー。これは素晴らしいなー」
メニミさんは、私の目の前に置いてあるお皿の料理がほとんど減っていないのを見つけて難しい顔になる。
「マスターからも聞いてるだろうけどさー? 薬とかポーション類とか、回復魔法っていうのは、あくまで補助的なものでねー? そういうのに頼っていると、本来の肉体が持っている回復力が衰えてしまうんだよー。ちゃんと、寝て、食べなきゃー」
「はい」
「奥様、こちらをどうぞ。はい、メニミさんにも」
キーブスが硝子の器に入れて持ってきたのは、たくさんのカットされた果物の混ざっているヨーグルトだった。
「旦那様に合わせた朝食でしたので、奥様の胃には少々ご負担が大きかったかと思いまして」
「ありがとう。いただくわ」
朝からお肉はちょっと厳しい。野菜たっぷりのスープと、少しのパンとチーズにしか手を付けられていなかった。こういうさっぱりしたものは有難い。食事を終えた私は、今日はテラスでメニミさんの授業を受けることになった。
彼は、召喚魔法についてだけではなくて、精霊の囀りの詳細や、朝クララから塗られたクリームについても教えてくれた。人間の社会で暮らしていると、なかなか手に入らない素材を使っているというそれらについて話しているメニミさんは、とても楽しそうだった。
ポーションなどについても詳しいし、呪いについても専門的に研究しているらしい。
そんなことを話した彼は
「ヴォラプティオって今は第二王子と一緒にいるんだろー? 異界の素材、分けてくれないかなー。魔族の呪術とか、詳しく知りたいんだけどなー、教えてくれないかなー?」
と本気だが冗談だかわからないことを言って笑った。
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