第151話

 まさかそんな顔をされるとは思っていなかった。驚いた私に、ふっ、と儚げな笑みを浮かべた彼は呟く。


「いや、そうだよな。翌日学校がない日だけ、という話だった。昨日は特別だったんだな。許されて、浮かれた私が間違っていた。しかし、あんなに可愛いビーを週に1回しか見ることが出来ないというのは、ああ……なんて残酷なんだ。こんな、こんな……うぅっ、いや、これも鍛錬と思えば……」


 ――あ、月1というお願いはスルーされたのね?

 その間も、クイーンはマクス様の頭をガジガジ齧っている。血などが出ていないので、甘嚙みなのだとは思うけれど、マクス様の顔面はいつかの私のようにクイーンの唾液でべとべとになっている。

 誰かを呼ばなければ、と起き上がれば夜着をちゃんと身に着けていたので、どうやら眠ってしまった後でマクス様が整えてくれたようだった。

 

「ンおはようー!!」


 バンッ! と大きな音を立てて扉を開けたのはメニミさん。


「きゃっ」


 驚いて身体を隠そうとすれば、後ろからやってきたクララがメニミさんの襟釘を掴んで


「はい、ダメですよ。奥様は寝起きですからね、旦那様以外の男性は立ち入らないでくださいね」


 ぽいっと廊下に投げて部屋に入ってくる。一緒に来たアミカがカーテンを開けて、クイーンの首を撫でた。


「大丈夫です。奥様の気持ちを無視しての行為ではありません。お二人はご夫婦なのです。寛大な御心で見守ってください」

「クララ、アミカ、おはよう」

「おはようございます、奥様。……まあ、でもこの奥様の声を聞いたら、無理をさせたんじゃないかと心配にもなりますよねぇ」


 笑いながら、クララが水を注いで渡してくれる。それで喉を潤していると、アミカが小さな瓶を差し出してきた。


「これは、なに?」

「メニミさんからの贈り物です。『精霊の囀り』という薬です」

「声の仕事をしている人たちなら喉から手が出るほどに欲しいでしょうねー。これ、世界樹の葉の朝露を精霊が集めることでできるんです。出なくなった声を出るようにさせたり、声を良くしたりできるんですよ」

「それは……この状態を治すだけに使うのは、んっ、ちょっともったいないのではないの?」


 こほっとまた咳が出る。喉は枯れているけれど、声が全く出ないわけではない。キーブスやクララに頼んで、今日は喉に優しいものを作ってもらえばすぐに良くなるのではないだろうか。


「でもメニミさんが奥様のためにわざわざ持って来てくれたんですよ?」

「せっかくだ、飲んだらいいんじゃないか?」


 そう言うマクス様は、まだクイーンに齧られている。クララの言葉もアミカの言葉も今日は効果がないようだ。マクス様は抵抗を諦めたのか、されるがままに身体を前後左右に揺すられている。


「喉も丈夫になるし活舌も良くなるから、長い詠唱なども楽になるぞ」

「そうですか……では」

「全部でなくて大丈夫だ。一口で効果がある」

「はい」


 口に含めば、少しだけ甘くて、青い香りがする蜜が喉を滑り落ちる。後味は、すっとしている。薬というわりにはとても美味しい。


「あー……」


 小さく声を出す。痛みは一切ない。


「あ。治りました」


 すごい、と感激する私にクイーンは頭を摺り寄せてくる。心配してくれていたことに感謝を表して、彼女の鼻先を撫でる。ぶるっと鼻を鳴らしたクイーンは、いつものように窓から出ていった。


「奥様、本当にクイーンに気に入られてますよねー」

「私に最初に加護をくれたのもクイーンなのよね。なにがそんなに気に入ってもらえたのかはわからないのだけど、嬉しいわ」

「私のビーは愛らしいからな。なかなかに厳しいクイーンの審美眼にも適ったのだろう」

「旦那様ー! ストップ!!」


 背後からマクス様の腕が回ってきたのだけど、抱き寄せられるよりも早く無言でクララから放たれた衝撃波を避けるため、一瞬身体が反らされる。その隙に私を抱え上げたアミカに、浴室に運ばれる。


「奥様にべたべたがついちゃうじゃないですか。そういうのは、それを落としてからにしてくださいよ。旦那様のお風呂は、コレウスさんが用意してくれてますからね」

「お前たち、私をなんだと……」

「それでは後ほど。朝食のお席でー」


 苦い顔になるマクス様ににこやかに手を振ったクララは、アミカと一緒に寝室から繋がる浴室に私を運び込むと、なんともいい笑顔を見せた。

 なに? と見返すと


「奥様!! やっと、やっと旦那様と……っ!」


 感激したように瞳を潤ませる。

 ――こういうのを、全部知られているのも、気まずいものね。

 立場上仕方ないとはいえ、慣れるまでは時間がかかりそうだ。


「どこか痛いところはないですか?」

「ええ、大丈夫よ」


 微笑んで答えたものの、若干違和感のある場所がないとは言えない。しかし、そんなところの話をされたところで彼女たちも困るだろう。腰のあたりにまだ残っている気怠さも、昨晩のことを思い出せば仕方ないともいえる。

 ――昨日……

 思い出しただけで顔が熱くなって、誤魔化すように手で掬ったお湯を顔にかける。そのまま頬を押さえて「はぁ」と溜息を吐けばクララに覗き込まれた。


「朝ごはんが終わったら、もう一度お休みになりますか?」

「学校、行かなきゃ」

「そんな寝不足で魔法を扱うのは危ないですよ?」

「……でも」


 せめて座学だけでも、と言ったのだけど彼女たちは許してくれなかった。


「メニミさんはまだいらっしゃいます。どうしても勉強したいというのなら、召喚魔法の座学にした方が良いのではないですか」


 アミカの提案に、クララも頷く。


「そうですよ。ここならば、無理だとなったらいつでも休めますから。それに、今日はアレクサンダーさんの講義が主なものでしたよね?」

「そうね」

「だったら、今日は授業お休みかもですよ」

「どうして?」

「多分、今日一日アレクサンダーさんお忙しいと思うので」


 どういうこと? どうしてアレク先生が?

 頭の中が疑問符でいっぱいな私の身体を優しく洗ってくれた彼女たちは用意されていた服と私を見比べ、むっと口を固く結んだ。

 

「別のドレスを持ってきます」

「うん。あの若草色のなら大丈夫かも」


 クララは腕組みをして「旦那様ったら」と苦笑いを浮かべる。


「こんなにしなくても、もう誰もとらないのに。独占欲の強すぎる男っていうのも重いですよねぇ」


 鏡の前に立った私は、改めて確認した自分の身体にたくさんの跡がついているのを見て唖然とする。

 なんとなくわかってはいたけれど、身体を捻って確認すれば、胸元や首筋だけではなく肩や腰にまで、彼に愛された証拠が赤く残っていた。

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