第144話
アミカが小さく手を上げる。彼女も話についてこられていないひとりということだろう。そしてソフィーも、クララと同じく両手を上げた。もうお手上げだという意思表示だろう。
「マクス様は、理解なさっているのですか?」
失礼かもしれないと思いながら尋ねるが、彼は平然と首を横に振る。
「いや? 未だにミレーナ嬢は戯言を言っているのではないかと思っているくらいだ」
「ですよねー? わたしだって聞いてる立場だったら『なにバカなこと言ってるの?』って思いますもの。わかります」
からからと笑っているミレーナ嬢は、自分の使命とやらを終えた達成感で開放的な気持ちになっているのかもしれないし、元々細かいことを気にしない性格なのかもしれない。しかし私たちはそうではないので、1人すっきりした顔をされても困るのだ。
「待たせたねーっ! ボクだよーぉ!」
バンッと大きな音がして扉が開く。間一髪で挟まれるのを避けたコレウスが、壁にぶつからないようにと扉を押さえる。
現れたのは小柄な人影。と、その足元に蹲るような姿勢の人影。
「バカッ! 今はそういうノリじゃないだろ。」
意気揚々と部屋に入ってこようとしたメニミさんの腰に、アッシュがしがみついている。マクス様の許可もなく、客人の来ている部屋に踏み込んではいけないということは、少なくともアッシュは理解しているようだ。
空気を読まないメニミさんが部屋に入らないようになんとか妨害しようとしているのだけど、あまり体重がないのか、それともメニミさんが見た目に寄らず馬鹿力なのか、全力で制止しようとしている息子なんていないかのように軽やかに歩いてくる。身長はあっても筋肉があるわけではなく、全体的に薄い印象だから、実際重くはないのだろう。
「話は聞かせてもらったさー! いよいよボクの出番みたいだねー」
「盗み聞きしてたのを堂々と白状するなっ!」
ずりずりとアッシュを引きずりながら部屋に入ってきたメニミさんは、手帳を手にしている。どうやら、先ほどから部屋の外で話を聞いてメモしていたらしい。開いているページにはびっしりと文字が書き込まれている。
アッシュも必死で止めようとはしているけど、同じ場所にいたということは、彼も部屋の中の会話に耳を澄ませていたということだ。
――彼なら姿を消して部屋に入り込むことも出来ただろうけど、そんなことをしてもマクス様やコレウスに見つかってしまうから、しなかったのでしょうね。
多分ふたりは、メニミさんとアッシュが廊下にいることには気付いていて、それでも放置していたのだから聞かれて困る話ではなかったということになる。アッシュはその事実に気付かずに焦っているのだろうし、メニミさんは多分全部わかっていて堂々と乗り込んできたのだろう。
明らかに興奮している様子のメニミさんは、むふふ、と笑って目をにんまりと笑ませる。
「どうやらみんなよく理解していないみたいだから、この辺で一度メニミさんがまとめてあげようじゃないかー」
彼は愉しそうにテーブルの上に飛び乗った。周囲に置いてあったカップやお菓子が乗ったお皿は、コレウスやクララ、アミカが直前で避難させたのでどれ一つ引っ繰り返されることはなかった。
私も自分の分を確保しようとしたのだけど、マクス様が放してくれなかったせいで出来なかった。カップは彼の魔法で目の前にプカプカ浮かんでいるので、手に取って引き寄せる。
「バッ! そこは座る場所じゃな――」
「あー……アッシュ。この状態に入ったメニミは誰にも止められない。どうせ誰も聞いていなくても勝手に話すんだから、どうせならまとめてもらおうじゃないか」
テーブルの上に座り込んだメニミさんを移動させようと、あわあわと手を上下させて慌てているアッシュをクララたちの近くに下がらせ、マクス様は「続けろ」と命じた。
「じゃあいくよー。まず、ミレーナ嬢は異世界からの転生者で、ここは元の世界にあった乙女ゲームとかいう物語の世界ってことだねー。しかも、実際にミレーナ嬢が知っている話ではなくて、公開されることのなかったベアトリス嬢が主人公の物語だったんさー」
「はいはい、そうです。異世界からの転生者です、わたし」
「ミレーナ嬢は、ヴェヌスタからベアトリス嬢を幸せにしてほしいってお願いされたんだったねー。ヴェヌスタがもう安全って言ってるってことは、ヴォラプティオが国を滅ぼそうとしたり、第二王子をどうこうするんじゃないかって心配する必要はもうないってことだよねー?」
「多分、そうなんだと思います」
こくこく頷くミレーナ嬢を横目で確認したメニミさんは、また手帳に視線を落とす。
「ってことは、ベアトリス嬢とマスターは祝福された夫婦ってことで良いのかなー?」
「どうなんでしょうね?」
口元に一本立てた指を当てたミレーナ嬢は、こてっと小首を傾げる。
「ヴェヌスタは、別にお姉様の相手はマクシミリアンじゃなくても誰でも良いらしいんですよね。エミリオでもいいし、別にヴォラプティオでもいいらしくて」
「なんだそれは。私が認められたわけではないのか? というか、エミリオもだが、ヴォラプティオが相手ってそれは問題があるだろうが。ヴェヌスタはビーが異界に連れていかれてもいいと思っているのか? あの変態の相手だなんて、いや、本当に良いのか?!」
そんな話は聞いていない、というマクス様に、言ってないですもの、とミレーナ嬢はにこにこしている。そういう返答が欲しいわけではないのだろうけどな、と思いながら、彼を宥めるように重ねた手を撫でる。
私を見てきたマクス様の表情は、想像していたよりも不愉快そうでも拗ねたようでもない。少しだけ、情けなく眉が下がっているけれど。
ぽんぽん、と手の甲を軽く叩くと、マクス様は下から指を絡めてきた。
「わたしの知っているマクシミリアンって、偉そうで、なんか横暴だし、高圧的だし、まあ能力とか立場考えたら当然なんですけど、それにしても態度デカいし、俺様っぽい感じで苦手だったんですよねー。あ、今のシルヴェニア卿は、お姉様溺愛って感じで好感持てます! 推せますね。良いですよねー、ハイスぺ男が好きな子にだけヘタレちゃうような溺愛モノ。うふふ」
満面の笑みを浮かべているミレーナ嬢がなにを言っているのかわからないが、作中でのマクス様は好きではなかった、というのだけはわかる。彼女の浮足立った様子に、隣に座っているソフィーが複雑そうな顔をしている。
――だから、ベアトリス・シルヴェニアと名乗った私を、幸せになれないのではないかと心配してあんな風に絡んできていたのね。
説明されれば、ヴェヌスタから私を救うようにと言われていた彼女のあのしつこさは理解できる。横暴で横柄な男が相手では、私が本当に幸せなのかと心配にもなるだろう。
「あー、そういうことだったんだー」
メニミさんは、その答えでなにかに納得したようだ。
「メニミ、ひとりで納得していないで説明しろ」
「ああ、惚れ薬がねー? ヴェヌスタが納得してマスターを夫として認めたなら、なんで効いちゃったのかなーって思ってたんだけどさー? ライラの生まれ変わりって言うならなおさらさー、絶対に幸せになってほしいって思うだろー?」
「それはアレですね。今気付いたんですけど、ここは乙女ゲームの世界で、主人公がお姉様だというのなら、誰とくっついてもハッピーエンドなんですよ。あの会社の作品メリバみたいなのはないので、完全ハピエン確定なんですよねー。それをわかっているから、お姉様が選んだ相手なら誰でも良いってことなんでしょうね。早く気付いてれば、シルヴェニア卿が相手で大丈夫かってこんなに心配しなくて良かったのにぃ」
「へー、面白い世界観だねー。全部の男と絶対に幸せになれるなんて、ベアトリス嬢凄いねー」
「って言ってここの話ですけどねー」
――えぇぇ……私、マクス様が良いのだけど……
ふふふ、と笑い合っているメニミさんとミレーナ嬢を、私はぼんやりと見ていた。
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