第138話

 納得していない顔のクララとアッシュ、それから私を一瞬だけ見たマクス様は、ふっ、と目を細めて鼻で笑った。口元には皮肉めいた形に歪められている。


「まさか、人間の国を巻き込んでヴォラプティオと派手にやり合えば良かったとでも言うのか? 結果、ビーの母国を壊すようなことになっても良かったと? いつか敵と争う時のために習得したものは全部、敵対する相手にぶつけて全力で戦わなければ終われない。お前たちは、そう考えているのか? 平和的解決など盛り上がりに欠けるから有り得ないとか主張するか」

「そんなことは……考えていませんけれど」


 クララは軽く唇を噛んで、エプロンを両手でぎゅっと握った。自分の発言の裏にそのような意図があるだなんて、意地の悪い見方をされるとは夢にも思っていなかったのだろう。

 彼女が、ルミノサリアなどどうなってもいいなんて思っていないことなど、私にはわかっている。多分、マクス様だってわかっている。ルミノサリアに伝わる物語などにも詳しい彼女は、ハーフエルフの中でも人間の社会を良く知っている子だった。

 ただ、勇者たちの物語で言うところの最終決戦ではないけれど、ヴォラプティオと対峙するその日のために、いろいろと準備してきた私たちとしては、よもや話し合い? だけで終わってしまうだなんて想像していなかった。こんなの盛大な肩透かしを食らったようなものだ。

 私だって、それこそ、アミカと共に精霊を召喚して、ルクシアとノクシアの力を借りることになるのだろうと思っていた。クララが補助してくれるのだと思っていた。アッシュもその実力を見せてくれて、メニミさんやコレウスだって、もしかしたら力を貸してくれるのかもしれないと思っていた。

 ミレーナ嬢と力を合わせて、魔族に抵抗するのだ、と考えていたのだ。

 そして、絶大な力を持っているのだというマクス様の実力を、目の当たりに出来るものだと、当然のように考えていたのに。

 ――あまりにも、呆気ない。

 そう、なんだか納得できない。それが正直なところだった。


「今も言ったように、これは英雄譚ではないんだ。だから、因縁の相手を倒したところで、そしてその果てに愛する人と想いを通じさせたところで、終わりはしない」


 物語の最終章のようにうまいことはいかない、と、彼はそう言っているのだろう。


「これからもこの生活は続いていくだろう。その人生の中には、山あり谷あり、今回の件よりも大きな出来事に巻き込まれるかもしれないし、今回の件が後を引くかもしれないし、いや、この後は平和な日常が続くかもしれない。そんなもんだ」


 マクス様の言っていることは正しい。争わずに済んだのなら、それが一番だ。

 どれだけ準備してきていたのだとしていて、それが無駄になったのだとしても、血が流れなかったということを残念に思う必要など一切ない。むしろ感謝するべきだ。私たちだって、それをわかっていないわけではない。

 ――もしかしたらこれは、新しく覚えた魔法や技術を親に見せて、褒めてもらいたい子供と同じ気持ちなのかもしれない。それが叶わなくて拗ねているだけだ。

 反省した様子のクララを見たマクス様は、表情を緩めて優しく笑う。そして、クララの頭を撫でた。


「お前たちのやってきたこと、身につけたものはすべて無駄ではないよ。まだこれから先、いくらでも活用する場はあるだろうからなぁ」

「……ある、んでしょうか」


 普段メイドとして私の身の回りのことをするのが仕事である彼女にとっては、争いごとに特化した魔法などは今後使う場所がない。しかし、マクス様は


「ビーがおとなしく、私の妻としてずっとここにいるとは思えないからな」


 そんな言葉を続けた。

 彼の言葉に驚いてぱっと振り返れば、鼻先が当たりそうになる。


「おっ、と」


 驚いた顔で少し身体を反らして数度瞬きしたマクス様は、私の顔を見て不思議そうな、困ったような様子で首を傾げた。


「ビー、どうしたんだ? そんな怖い顔をして。私、なにか気に障ることでも言ってしまっただろうか」


 気に障る、どころではない。彼は、私をなんだと思っているのか。

『私の妻としてずっとここにいるとは思えない』

 なんでそんなことを言うのだろう。悔しくて、悲しくて、切なくて、視界が歪む。


「……私、出ていきません」

「うん?」


 出そうとした声はあまりにも小さくて、震えてしまっている。

 もしかして、好きだという気持ちを伝えきれていなかった?

 それとも、運命ではないと言ってしまったのがいけなかった?

 いいえ、人の気持ちは移り変わるものだから。

 だから……?

 私の言動のなにが、そんなことを思わせてしまったのか、わからない。


「私、アクルエストリアを出て行ったり、マクス様と離縁するつもりなど一切ございません」


 でも、彼がそれを望むなら――私に拒絶など出来ない。


「…………ああ」


 彼は、目を細めて微笑むと、顔を伏せる。それから、くつくつと笑い出した。


「マクス様?」


 なにを笑っているの。まったく笑い事などではないのに。


「いや――ふっ、ふふっ、いや、すまない。私の言い方が悪かった。そういう意味ではないよ」


 ぎゅうっと強く抱きしめられて、息が詰まる。抱き寄せられた衝撃でぽろりと涙がこぼれた。


「私はエルフ族の王だよ。ということは、だ。人間の国々と違って、私の妻という立場には、やらねばならない国政や外交などもほとんどない。あなたの主な仕事は、ただ私の妻として隣にいてくれることだけだ。私に愛されてくれていればいい。そんなの暇だろう?」

「暇ではないと思いますけれど」

「私はここにあなたを閉じ込める気はない。好きなようにしてくれていい。やりたいことならなんでもしてくれていいんだ。行きたいところにも、好きなように出掛けてくれていいんだよ。あなたの願いを叶えるためなら、私はいくらでも手を貸そう」


 それは、マクス様から最初に言われたのと同じ言葉だった。

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