第137話
大欠伸が聞こえたのか、マクス様がアッシュを見る。なんだよ、と不満げな顔で見返してきたアッシュに「お前はお役御免だ」と宣言する。
「はあ?!」
慌てたのか、彼は獣の姿のままでマクス様の足元に走ってくると、お座りをして見上げてくる。躾のいい大型犬のようだ。
――あら、可愛い。
頭を撫でたいけれど、今はそういう時ではない。うずうずしながら、マクス様に必死に訴えているアッシュの顔を見る。
「なんでだ? 俺はちゃんと仕事したぞ。」
「知っている。まあ、とりあえずは合格点だな。報酬はコレウスから受け取れ」
「だったらどうしてクビなんだ。俺はなにもやらかしていない。」
――やらかしていない、という割には、学院から山のような請求書が来ていたような気がするのだけど。
あれを「なにもやっていない」というのなら、アッシュにとってどれだけのことをしたらやらかしだと判断されるのだろう。請求書を毎日のように受け取っていたコレウスを見ると、十分にやらかしているが? とでも言いたそうな顔をしているように見える。
無表情だけど、あれは絶対にそう思っているはずだ。
「なぜそんなことを言われなくてはいけないんだ?」
「もう、ビーがエミリオに対して変な風になることはなくなったからだよ。ヴォラプティオの言葉を信じるのなら、だがな。それにあのアホ王子に対しては、変な脅しよりもビー本人の口からの否定の言葉の方がこたえそうじゃないか?」
「そうですかぁ? 話を聞く限り、あの王子は結構打たれ強いというか、へこたれそうもないですけどねー?」
おかわりをどうぞ、と厨房から戻ってきたクララが、ポットから紅茶を注いでくれながら言う。
「いや。ビーは容赦ないからな。さすがのエミリオも言われ続けているうちに多少はダメージを受けているようだった。あの言葉の数々が私に向けられたらと思うと、恐ろしいよ、本当に」
「もう言いませんよ?」
「ああ、うん、そう言ってもらえると嬉しい。のだが……ビーから、少し否定されただけでも私倒れそうだったからな」
「実際に崩れ落ちてましたよね、旦那様」
「……言うな」
クララの遠慮のない指摘に、ふぅ、と額を押さえたマクス様はあの時のことを思い出したのか、とても辛そうな顔になる。本当にごめんなさい、と言いながらそっとその頭を抱き締めると、マクス様はまた深く息を吐いた。
彼を否定するような発言をした記憶はしっかりある。なにも覚えていなければ罪悪感に苛まれることはなかったのかもしれないけれど、自分の発言には責任を持たなければいけない。
あの時の私は、エミリオ様を愛していてマクス様を鬱陶しいと思っている自分と、マクス様を愛していてエミリオ様を迷惑に感じている自分の両方の心があって、その想いの強さは波のように満ち引きしていた。
「あの時は……本当に失礼なことを言ってしまったと反省しています」
「いや、ショックだったという話をしているだけで、あなたを責めるつもりはないよ」
「でも、私が口にしてしまった言葉なのは確かです」
「心にもないことなのだろう? だったら――」
「いえ、あの時の私は本気で思っていました、ですから」
「……っ、ビー、すまない、それ以上はやめてくれないか。正直に言ってくれているだけだとわかっているのだが、その」
と、情けない声を出したマクス様のダメージはかなり大きいようだ。
エミリオ様に心が傾いていた時には、マクス様の顔は見たくなかった。でも。
あの時にエミリオ様に対して感じていた柔らかくて甘い気持ちは、マクス様に感じているものとは比べ物にならないほどに淡くて、本当に心から愛している相手への気持ちと、術で無理矢理に思わされている気持ちでは、やはり違うものなのだと今なら思える。
偽物の気持ちは、身体が否定するのだ。惚れ薬が本当に効いて恋人になれたなどという話があるのなら、それは元々両想いだったというだけだろう。
あの時の私が、なにをどう感じて、どう考えていたのかを説明した方が良いのかと思ったのだけど
「そこら辺はボクが詳しく聞くから、マスターのいないところでお話しようねー」
とメニミさんから遮られた。
「マスターはその辺り専門じゃないからねー。ボクの方が詳しいし、情報はいくらあってもありがたいよー」
にこにこ笑顔のメニミさんを見て、ふと思い出す。
「あの、私の召喚魔法の訓練は、まだ続くのですよね?」
「当然さー。たった1回呼び出してみただけで、精霊たちがどんな魔法を使えるかも聞いてないだろー? まだまだ、これからだよー」
「なんだ。召喚魔法を習得するのは嫌になったのか?」
顔を上げたマクス様の声が思いがけず近くて、驚いて小さく跳ね上がってしまう。そんな私に小さく笑ったマクス様は「せっかく有力な精霊と契約したのにもったいないな」と手を握ってきた。
「そういうわけではないのですけど」
「では、なんだ?」
「私に掛けられていた術も解け、ミレーナ様が黒幕と言っていたヴォラプティオも姿を現し、しかも戦うこともなく話は有耶無耶になってしまったようなものなので……なんだか……その」
「ああ、そういうことか」
マクス様は、部屋の中の面々を見回す。
「先程クララも言っていたが、せっかく取得した魔法を活用することなく事態が収拾したように思えるのが釈然としないのだな?」
「練習のし損だった、って感じてしまってます」
正直なクララにマクス様は声を上げて笑った。
「はははッ、なにを言っているんだ。英雄譚でもあるまいし、倒さなければいけない敵に対峙するまでに強力な武器や魔法、道具類を手に入れていたところで、また力のあるものが味方になってくれていたとして、だ。それが最終的にすべて役に立つわけではないだろうよ」
彼は、それで当然というような顔をしていた。正直に苦情を申し立てているクララだけでなく、私も少し気抜けしてしまっていた。マクス様と共に帰ってきた時にはアッシュも「もう終わったのか?」と言っていたし、活躍の場がなかったことが腑に落ちない様子であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます