第134話
「私の妻を困らせるのはやめていただきたい。妻は、私だけを愛していると言っている。あまりにしつこいと――」
マクス様は見惚れるほどの美しい微笑みを浮かべて、すっと指を首の前で横に動かす。
「誰にも邪魔させず、あなたに痛みを感じさせることすらなく、こうすることも可能なのだが? それはご理解いただいているのかな」
――マクス様、それではあなたが悪役のようです……ッ! しかも、ご両親の前でなにを言っているんですか!
冗談にしては悪趣味で、本気の脅しにしてもやりすぎだ。
夫に悪役になってほしい妻などいるだろうか。しかも、今の状況を見れば、やむを得ずだとか、一方から見れば正義というわけでもない、ただの安い悪役になってしまう。
――美学のある悪役なら良いわけではないけれど、それにしても。
少し眩暈を感じて、彼に寄りかかってしまう。その仕草を頼られていると勘違いしたのか、マクス様は真顔で「やってほしいのか?」などと聞いてくる。私は慌てて、そんなことは一切思っていない、とブンブン首を左右に振った。
「まあ、ビーがこのように言っているから、しないがな? あまりに妻や私の邪魔をするなら、容赦はしないぞ。そこの魔族もだ。やり合う気なら、正々堂々正面から来い。完膚なきまでに叩きのめしてやる」
「いやぁ、ワタシはそういうつもりはないって言ってるじゃないか。嫌だな。怖いよ、キミ」
うふふ、と笑うヴォラプティオに怖がっている様子は一切ない。そちらがやる気ならこっちも受けて立つ、というのが言葉にされなくとも伝わってくる。
マクス様と、魔族のトップだとミレーナ嬢が語っていたヴォラプティオ。このふたりが力の制御もなく正面衝突したら、とんでもないことになるだろう。ヴォラプティオの能力については詳しくわかっていないけれど、かつてこの国を苦しめた魔族たちを配下と言うのであれば、その力が弱いはずもない。
彼らがぶつかり合った場合の戦場は、間違いなくこの国の領土になる。そんなことが起きた日には、私の名前は世紀の悪女として後世に残ってしまうのではないだろうか。讃えられたいとは一切思っていないけれど、史上最悪の悪女と呼ばれて喜べる性格はしていない。少なくとも私は、そんなことで名を残したくはないのだ。大迷惑だ。
「マクス様、以前も申し上げましたが、ここは私の母国です。愛着があるんです、ですから」
「……ああ、ビーがこの状況でもそう言うのなら、国には被害は出ないようにしよう」
「エミリオ様も傷つけては駄目です」
「……ああ。わかっているとも」
マクス様はにこりと微笑む。しかし、この笑顔、完璧すぎて完全に信用することは出来ない。
絶対に駄目ですからね、と念を押しながら彼の袖を引けば、マクス様は「わかったから」と私の頭を撫でた。
――絶対わかってないわよね、これ。
私の不安を増させたのは、ヴォラプティオがエミリオ様と話をつけようとしていたことである。
「
「そうだね」
――だから、絶対にないと言っているのに。
むしろ、そう言われれば言われるほど、エミリオ様はご遠慮したい気持ちがざわざわと大きくなる。他の人がいない場であったのなら、懇切丁寧に何時間でもかけて絶対に彼に心を奪われない理由を説明してあげたいくらいだ。
「あの耳は飾りなのか? それとも、あの首から上が飾りなのか? 頭の中にはなにも詰まっていないのか。飾りでしかないというのなら……まあ、辛うじて鑑賞には耐えるか。私ほどではないが」
「マクス様、お言葉が過ぎますよ」
「ビーは、あれと私の顔なら、どちらを見ていたい?」
そんなことは答えるまでもない。返事をしなかった私を見て彼の笑顔から不穏なものが消える。
なんとも単純だ。しかし、今はそれが有難い。
「じゃあさ、キミたちの関係がどうなるか、これからも見守らせてもらっていいかい?」
キラキラとした顔でヴォラプティオに見られたエミリオ様は、なにを考えたのか「別にいいよ」と返す。
どう考えても、良くない。全然良くないのですよ、エミリオ様。
考え直してくれないかとエミリオ様を説得しようとしたところで、ヴォラプティオと目が合った。なに? と警戒したところで、彼はにっこり笑いかけてきた。
「ベアトリスも安心していいよ。もう惚れ薬だなんだっていう横槍は入れない。感情を操作したりしようなんて思わない。エミリオの力だけでどうなるのかということに、今は興味があるんだ」
「なにをするつもりですか?」
「見守るだけだよ。ずーっとね。エミリオ、手を出してくれるかい?」
ヴォラプティオはエミリオ様に手を差し出す。ひょい、とそこに無警戒に手を乗せるエミリオ様。
――まるで訓練された犬ね。
そう思ったのも束の間「手を離せ」とマクス様の鋭い声が飛んだ。しかし、彼の言葉をエミリオ様が素直に聞き入れるはずもない。
にんまり微笑んだヴォラプティオはそのままエミリオ様を引き寄せると、首筋に噛みついた。
「ッ?!」
小さな悲鳴は王妃様とソフィーのものだった。私は、口を押さえて目の前の光景に動けなくなる。
ヴォラプティオがエミリオ様の首に噛みついている。尖った牙が、彼の白い肌に食い込んでいる。そこから、つぅっと血が流れた。
エミリオ様は、目を見開いて、半端に上がった手もそのままに硬直していた。
じゅる、と生々しい音がする。
――血を、吸っている?
なにをしているのか。血を吸うことで、エミリオ様をどうしようとしているのか。
駄目、と踏み出そうとした足は、後ろからマクス様に腰を抱かれていて前に進めなかった。
「駄目だ」
「でも!」
「もう遅い」
手遅れだ、と言うマクス様は、目を細めて彼らの様子を眺めていた。
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