第133話

 しばらくして、ヴォラプティオはパッと顔を上げた。


「ねえ王子サマ。ワタシ思いついたことがあるんだ」

「なに? というか、僕にもエミリオって名前があるんだけど」

「じゃあエミリオ」

「なに?」


 順応性があるというか、危機感がないというか、なんというか。

 ヴォラプティオに自分の名前を呼ぶように要求したエミリオ様は、まるで友人にでも話し掛けるような雰囲気で返す。


「エミリオは、ベアトリスとあのエルフの男からなんと言われても、彼女を諦める気はないのかい?」

「……………………」


 エミリオ様の熱い視線を感じる。見てはいけない気がしてさり気なく逸らそうとした私の目元を、マクス様が塞ぐ。


「見なくていいぞ。ミレーナ嬢も、飼いきれる自信がないのなら雨の日に捨てられている動物と目を合わせてはいけないと言っていたからな。あれは見ては駄目だ」

「今日は雨じゃないし、僕は動物じゃないし、目が合っただけで害をなすような魔物でもないよ」

「見なくていい。あなたは私だけ見ていればいい。ほら、この顔は嫌いか?」

「っ、いえ、そんなことは――」


 小さな舌打ちが聞こえた気がするのだけど、はたして誰がしたものだったのだろう。気持ちはわかるけれど。私だって、きっと当事者でなかったらげんなりしているだろう。


「諦めないんだろう?」


 期待のこもったヴォラプティオの声。マクス様の指の隙間から、エミリオ様が小さく頷いたのが見えた気がする。


「ビーは運命なんてないって言ったけど、僕はあると思うんだ。僕がミレーナと出会ってもなにも心が動かされなかったのは、僕の運命が彼女ではなかったからだと思うんだよ」

「うんうん、それで? エミリオはどうしたいんだい?」

「今はなにか理由があって、ビーはあっちに心惹かれているかもしれないけど、まだ人生は長い。彼女が本当は僕のことも好きだって思ってくれる日がくるかもしれない」

「思いません」


 私は、思わず言い返す。しかし、エミリオ様はいつものように軽い調子で返してくる。


「ビー、人生って、なにがあるかわからないんだよ。そうやって簡単に否定するべきではないよ」


 マクス様の手が私の顔からはなされる。仕方なさそうな雰囲気駄々洩れでエミリオ様とヴォラプティオの方を見る彼につられて、私も向かいのソファーにいるふたりを見る。

 視線が合えばとても嬉しそうな顔を一瞬だけ浮かべたエミリオ様は、至極真面目な顔で話を続けた。


「だってさ、自分の前世が初代聖女ライラだった、なんてビーは想像してみたことがある?」

「ありません」

「僕とシルヴェニア卿が同じ魂の持ち主で、かつてきみの恋人、夫だったというのだって、夢にも思わなかっただろう?」

「……そうですね」

「こんなに近くに、魔族が潜んでいるとも思ってなかったよ」


 それは、なんとなく予想はしていたけど見つけられていなかっただけだ。

 

「しかも別に悪意はないみたいだし」

「そうそう。ワタシはこの国を滅ぼそうとも征服しようともしていないよ。簡単だろうけどね、今はそういうのに興味はないから安心してくれていいかな?」


 にこやかにヴォラプティオは言うが、そういう問題ではないのだ。魔族が王城で、国王様や王妃様などの前で堂々と話をしていることが問題なのだ。しかも、エミリオ様にべたべたと慣れ合うように絡んでいる。


「魔族がこんなに話が出来るような存在だなんて、思ってなかったよ」

「うん、ワタシは好戦的な怖い魔族ではないからね。怖がらなくて大丈夫だよ。エミリオはよくわかっているね」


 嬉しいよ、とヴォラプティオは機嫌良さそうに言っている。ここで彼の発言を否定してもいけないし、エミリオ様に同意してもいけない。エミリオ様以外の誰もがわかっているから、誰もなにも言わない。


「僕は、ミレーナと恋をしなかった理由がわかってすっきりしたよ。それなら仕方がないよね。だって、僕はビーとかつて愛し合っていて、まだそれを魂が覚えてる気がするんだ。ミレーナを無理矢理好きになって、結婚しなきゃなんて話をされても、ミレーナだって心の全くない結婚なんて嫌だよね?」


 ミレーナ嬢の様子を窺えば、無表情になっている。呆れたというよりも、この件に関してはどうでもいいと思っているようだ。


「わたしは女神様のご命令に従うつもりです。後でお話するので、今はわたしのことは気になさらなくて結構です」


 いつになく冷たい彼女の声に驚いたのは、エミリオ様とヴォラプティオ、それからマクス様以外の人間。にこりともしない彼女は、続きをどうぞ、と促す。


「だからね、ビー。僕のことも少し試してみてほしいんだよ」

「その提案はお受けできません」

「どうして?!」

「だから、何度も申し上げております通り、これは運命ではなくて、私がただ単にマクス様に恋に落ちたというだけなのです」


 どうして、と言いたいのは私の方だ。どうして伝わらないのか。本当に運命だったら、エミリオ様にも多かれ少なかれ惹かれていたはずなのだから。


「試す、とおっしゃるのなら、私はもう何年もエミリオ様の婚約者候補でした。お茶会や、一緒にお出掛けしたこともありますが、どんなに共に過ごしてもなにもなかったのです」

「でも、いろいろと手伝ってくれたよね? それは、僕が好きだと思ってくれていたからだよね?」

「違います。立場的に致し方なくです」

「僕は好きだったのに」

「そんなこと、おっしゃらなかったではないですか。このようなこと、私も何度も言いたくはありません。もう今更なのです、エミリオ様。なにを言われても、私の心は動かされません」


 でも、と彼はまだ食い下がろうとする。


「仮に、婚約破棄以前にお気持ちを伝えてくださったとしても、私の心が動いていたとは思いません。」

「ビー、どうして」


 どうしてもこうしてもない。

 アホなのは気付いていたけれど、ここまで自分に都合のいいことしか耳に入れないとは思っていなかった。

 ――顔だけ? 顔と勉強しかない男だったの?

 これで、少しでも憧れを抱いていたら、寝込むどころでは済まない大きなショックをうけていただろう。

 どうして伝わらないのか、と徐々に悲しくなってきて、肩を抱き寄せてくれたマクス様に身体を預けた。

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