第130話

 若干虚ろになったように見える目で、エミリオ様は問い掛けてくる。


「もしかして……ビーはその男と一緒に生活をしているうちに、絆されてしまったのかな?」


 絆された、というよりも、手懐けられたというのが正しいかもしれない。実際かなり甘やかされていて、自分の希望を通すことも許されている。やりたいことに挑戦することも、むしろ彼は喜んで受け入れてくれる。

 アクルエストリアでの生活は居心地がよくて、あそこの人たちと離れがたくなっていって、マクス様とも離れたくないと思った。共に生活をしているうちに、いろいろな表情を見せられたから、というのが、全く私の感情に作用していないとは思わない。しかし。


「エミリオ様と共に生活していたとして、マクス様に惹かれたように、エミリオ様に惹かれるとは思えません」

「やってみないとわからないじゃないか。年上男性の包容力に絆されたというのであれば、僕だってビーより年上だよ? わからないんだ、彼のどこに惹かれたんだ?」

「どこ……?」


 気付いたら好きだった。恋をしていた。どれが決定打だったのか、よくわかっていない。

 はて? と首を傾げれば「ビー? それ、私にも軽くダメージ入っているからな?」とマクス様が複雑そうな顔をする。

 それに、エミリオ様は年上といってもたった1歳差だ。100歳以上の年齢差と比べるまでもなく、ないも同然ではないだろうか。


「ビーを好きになったのは僕の方が先だ!」


 エミリオ様はだいぶ追い詰められたのかもしれない。子供の喧嘩のようなことを言い出す。なにを言い出したんだ、という空気に室内が包まれる。エミリオ様の発言に対して、ふっ、と鼻で笑ったマクス様は肩をすくめた。


「色恋沙汰が先着順などという話は聞いたことがないが?」


 それはそうだ、と皆が思ったのだろう雰囲気になる。エミリオ様も、言ってみたものの本気で先に好きになった方が恋を成就させるべきであるとは思っていなかったようで、黙り込んでしまう。

 ほかに言ってやれることはないのかい? とヴォラプティオに囁かれたエミリオ様は、引き攣った笑みを浮かべた。


「ぼっ、僕の方が、ビーとの思い出をたくさん持ってる!」

「だからどうした? 私は、お前が彼女と共に過ごした以上の時間をかけて、これからの思い出を山のように作っていかれる。たった20年ほどの話など、大した問題ではないな」

「人間にとっての20年は! 大したものなんだよっっ」


 叫ぶように投げつけられた言葉に、マクス様はすっと真顔になって口を閉ざした。

 20年。確かに、その時間は人間にとって「たった」と言えるほどに短い年月ではなかった。

 マクス様が黙ったのを見て、エミリオ様はここが責め所だと思ったようだ。


「ああ、そうだよ。そっちはエルフで、僕とビーは人間じゃないか。瞬きするほどの間に、人間はあっという間に老いてしまう。死んでしまう。それは変えられない事実だよね。そんなのお互いに辛くなるだけなんじゃないかな」


 ははっ、と引き攣れた笑い声を出して、エミリオ様は私に手を伸ばす。


「僕は、ビーと共に老いていくことが出来るんだ。同じ速度で、彼女と時間を刻める。彼女は時を止めることはできない。そして、エルフのお前は、彼女が老人になってもその美しい姿のままだ。そうなった時に、彼女を苦しめないと言い切れるのか? 自分が死んだあと、お前がその長い生涯の中で、またほかの誰かを愛することを、彼女が寂しく思わないとでも思っているのか?」


 種族差による寿命の違い。それは、異種族間の恋愛や婚姻にまつわる問題として、重大なもののひとつだった。長寿な種族は、何百歳、何千歳と生きる。しかし人間は、頑張ったところで80年やそこらがせいぜいだ。私に残された時間はあと60年程度。しかしそれも、マクス様にとってはこれまで生きてきた長さの半分にも満たない。

 今まで見ないようにしていたけれど、エミリオ様の言う通りだ。

 私はあとたった10年、20年で若いとはいえなくなる。アクルエストリアの人たちは、エルフやハーフエルフなど、人間以外がほとんどだ。彼らは私よりもゆっくりと加齢するのだろうし、あの中で私だけが徐々に老いていくのだろう。

 ――それをなんとも思わないと言ったら、嘘になるけど。

 むしろ、マクス様の方が老いていく私を見てどう思うのかが気になる。


「……ビーは、やはりそういうのは気になってしまうかい?」


 今までエミリオ様に返していたのとは全く違う声色でマクス様は私に尋ねた。見上げれば、少し寂しそうな眼をしているように思えた。


「気にならないわけではないですけど、それも仕方のないことなのだと思っています」


 全く気にしません、などというのは愚かな答えだ。私の正直な気持ちを口にする方が、彼にとっても好ましいはず。マクス様がなにかを答える前に


「ああそうだよ。人間に生まれてしまったライラは、どう頑張ってもエルフを残して死んでしまうよ。だったら、こっちの王子サマの方が、共に人生を歩むという意味ではいいんじゃないのかな?」


 横から口を挟んできたヴォラプティオは、どうしてもエミリオ様を私の『運命』としたいわけではないのだろう。単純に、マクス様とエミリオ様の差を知りたいのだと思う。どうして、マクス様には惹かれてエミリオ様には微塵も感情が動かされなかったのか、それを知りたいのだろう。

 その理由を説明するのは多分簡単だ。しかし、それを納得してくれるものかどうか……


「誰しも、寿命や種族で、愛する相手を選ぶわけではないのではないでしょうか」

「……まあ、そうだろうねぇ。最初は、ライラがエルフで、あの王子は人間だったわけだからさ。今は逆になってしまったってことだねぇ……もしかしたら、お互いにお互いの種族になりたいって願ったのかもしれないね。いや、それにしては王子サマは人間のままなんだ。うーん、どういう風に考えたのかな? ライラと同じ種族になりたいという気持ちと、今までの自分のままで愛されたいという気持ちが分裂したってことかな? そうか、身体が2つあれば、2つの望みが実現できるってことだね。面白いね」


 独り言のように呟いたヴォラプティオは、私をまたじぃっと見つめた。

 

「ワタシには本当にわからないんだ。ライラ、教えておくれよ。」

「お答えできることならば」

「生まれてからずっと近くにいた王子サマに運命を感じなかったのはどうしてなんだろう? ぽっと出の其方を愛してしまったのはどうしてなんだろう。王子サマを愛するようにしてみたのに、それに抵抗したのは――どうしてなのか教えておくれよ、ライラ」


 やっぱり、エミリオ様に惚れ薬を使わせたのはこの魔族だったのだ。そうではないかと思ってはいたが、本人の口からその言葉が出たのなら間違いはない。


「それは私の本心ではなかったので、心も身体も受け入れられなかっただけです」

「同じ魂なのに?」

「ですから」


 私は、一度深く呼吸をして、ヴォラプティオを正面から捉えた。


「私がマクス様を愛しているのは、運命だからではないからではないでしょうか」

「……なんだって?」

「ですから、この気持ちは運命などというものに導かれたのではなく、私は私の意思で、彼を愛し始めただけです。前世の色恋沙汰は、今の私には関係ありません」

「でも、同じ魂に惹かれているじゃないか」

「でも、同じ魂であるはずのエミリオ様には惹かれませんでした。これは、運命の恋ではなくて、ただの、なんの変哲もない、どこにでもある恋であって愛なのだと――私はそう思います」


 その言葉に、ヴォラプティオは呆気にとられた顔をした。

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