第128話

 とんでもなく低い声で呟かれ、ぞくりと背中が震える。隣のマクス様を見れば、魔族を見つめるその視線には、明らかな苛立ちが含まれていた。

 ――そう言いたくなる気持ちも理解できるわ。

 ヴォラプティオによって、初代聖女ライラとオスリアン王の魂が弄ばれていたのだとしたら。そして、それが本当に私たちの話なのだとしたら。

 聖女の登場は、ヴォラプティオにとって予定外だったのだろう。だがしかし、ミレーナ嬢があのタイミングで聖女であると判明しなければ、カタリーナ大司祭様が聖女認定のために彼女の元へ向かわなければ、カタリーナ様の代理でマクス様があの結婚式に立ち会っていなければ、エミリオ様が署名する寸前に聖女があらわれたと告げられなければ。

 どれかひとつでもズレていれば、私はマクス様とこうやって言葉を交わし、結婚して、そして愛し合うようにはなっていなかった。これを運命というのならそうなのかもしれないと、ロマンティックに感じた可能性は大きい。マクス様だけが運命の愛の相手だったのだと言われたら、素直に受け入れられた。

 もしも同じ魂なのだとしたら、だったらどうして、同じ魂を持っているというエミリオ様に惹かれることはなかったのだろうか。彼と婚約していたというのが運命の導きだったのだとしても、その間、驚くほどに彼に恋愛という意味での好意を抱きはしなかった。魂同士が惹かれ合うのであればマクス様には愛を感じられるようになったのに、エミリオ様に対しての情はあっても恋人に感じるような愛がなかった理由は?

 前世というものが本当にあるかどうかは知らない。どんなに思い出そうとしても、記憶などない。マクス様とエミリオ様の様子を見るに、彼らもなにも覚えていないようだ。

 全部はヴォラプティオの言葉だけで、それが真実かどうかはわからない。そのような戯言で踊らされる人間たちを見て、楽しんでいる可能性だって十分にある。


 ――なにはともあれ、私たちはヴォラプティオの玩具ではないわ。


 どちらにしろ、腹立たしいだけでは済まない。話を聞いていると気分が悪くなる。マクス様が最低だと感じるのも当然だ。

 そう思っていると、マクス様は心底嫌そうな声を出した。


「私とそのアホ王子の魂が同じものだと? なんだそれは、冗談じゃない」


 ――今、なんて?


 今までとは別の感情で表情が強張る。

 マクス様のエミリオ様の扱いが雑なのは知っている。普段からそれなりに窘めてはいる。しかし、まさか本人、そして国王様の前でこの言い方をするとは思っていなかった。

 マクス様は腹の底から嫌悪感を示している。綺麗な顔が歪んでいる。ヴォラプティオは笑みを浮かべたまま、今まで彼が掌握していた空気を一言でぶち壊したマクス様を見た。


「私とそれを比べて、同じだとでも本気で言っているのか? それと? 私が? はッ、よく見比べてみろ。全然違うだろうが」


 ヴォラプティオを下手に挑発しない方が良いのでは、と袖を引いて窘めるが、彼は私の腰を抱き直しただけでなおも続ける。

 マクス様からそう言われたヴォラプティオは、目を細めるようにして彼とエミリオ様を何度か見比べる。それからエミリオ様の顎先をくすぐりながら首を傾げた。


「いやぁ、変わらないねぇ。ワタシが、愛情も絆も、その性質すべてを等分したんだ。魂は寸分違わずまったく同じものだよ。差が出てしまったら天秤が傾いてしまう。最初から惹かれるだろう片方が決まっていたら面白くない。ふたりはライラの運命の恋の相手で、彼女の真実の愛を注がれるのは自分だと言い切った魂の持ち主に違いはないよ」


 全く同じものを比較しなくては実験の意味がない、というヴォラプティオの発言は、認めたくはないがその通りだ。同じもののどちらに惹かれるかを観察したいのであれば、それは綿密に半分にしたのだろう。

 だが、マクス様はヴォラプティオの言葉を信じようとはしない。


「いやいやいや、どう見ても違うだろうが。その目をかっぴらいてよく見てみろ。私の魂と、そのアホの魂が同じであるはずがない。いや、比べるのも烏滸がましいと言っていいくらいだ。戯言もいい加減にしろ。老眼か? ちゃんと見えてないのではないか?」

「マッ、マクス様! 国王陛下の前ですよっ」

「お姉様、それも違ってます」

「……見えているから、キミたちふたりがどちらもオスリアン王だった魂だと言っているんだけどねぇ。ずっと観察してきたんだから、見間違えるはずがないじゃないか」


 毒気を抜かれた様子のヴォラプティオは、視線を私に向けた。ここで私にターゲットを移されても困るのだけど。視線を逸らしたいが、そんなことをしたら強引に合わせに来られそうだ。

  

「そっちのエルフは聞き分けないようだから、とりあえずいいよ。それで? ライラ、今話したように、キミの運命の恋の相手は今はふたりいるんだ。魂の繋がりを真実とするのなら、どちらも取るというのが本当なんじゃないかと思うんだけどね」

「どちらも選ぶだなんて……」


 そもそも、私はエミリオ様になんの感情もない。だから、私としてもマクス様の言うようにヴォラプティオの言葉が事実とは思えない。


「選べない? それは信念に反する? それとも宗教的に禁じられているのかな? でもさぁ、どちらか片方だけでは不公平じゃないか、哀れじゃないか。選ばれなかった魂が浮かばれない」

「あの……この場でこんなことを口にするのは、とても申し訳ないと思うのですけれど」

「自分がライラの生まれ変わりだなんて信じられないかい?」

「そっちではなくて」

「じゃあ、なんだい?」


 言っていいよ、と許可が出る。背後の国王様たちを見れば、彼らからも言っては駄目だという空気は流れてこない。それでは、と改めて口を開く。


「私、エミリオ様に惹かれたことなど1秒たりともないのです。彼を好きだと誤認させられている間、その感情が気持ち悪くてならなかったくらいに、私の中に彼への愛はありません」


 うん? とヴォラプティオは首を傾げる。エミリオ様はショックを受けた顔になる。


「そんな……僕はずっときみを愛していたんだ。きみだってすこしくらいは僕に愛情を……」

「持っていません」

「でも、この魔族の言うようにきみの運命の相手の魂を分割した存在なのだとしたら、僕にだって愛される資格はあるはずだよ。ねえビー、もう一度よく考えてみてよ、ビー、ビーってば」

「エミリオ様。私はもう、そのように呼ばれる立場ではないと何度も申し上げたはずです。そのような馴れ馴れしい呼び方をされては誤解を招きます。私は彼、マクシミリアン・シルヴェニアの妻であって、あなたのお友達ですらないのですから」


 言っちゃった、だの、ひどい、という声がいくつか重なる。しかし、誰になにを言われようと、それは私にとっての事実だ。魔族の機嫌を取るために、嘘を吐いても仕方がないだろう。

 

「ふはははははッ!」


 マクス様が弾かれたように笑い出す。


「ああもう、私の妻は最高だ。なあ、そうは思わないか?」


 上機嫌なマクス様に抱き締められながら、私は今にも泣きそうな顔でこちらに手を伸ばしてくるエミリオ様を見返していた。

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