第127話

 衝撃と動揺に包まれているこちら側に構わず、エミリオ様を弄りまわしながらヴォラプティオは話し続ける。

 本当に興味があるもの以外はどうでも良いようだ。文字通り絡まれているエミリオ様は、引き攣った顔でされるがままになっている。抵抗して万が一があってはいけない。あの対処は、正しい。ご両親の前で、そして私の前で男性に見える魔族にべたべたと絡まれているのを見せなければいけない心境を思うと同情を禁じ得ないのだけど、今大事なのはそこではなかった。


「それで……引いたように思わせておいて、あなたはなにをしたのですか」

「だから、彼らの言う運命とか真実をね、もっとちゃんと見せてもらおうと思って」


 今までも十分に楽しそうだったヴォラプティオの表情は、正視に耐えないほどの愉悦を浮かべている。頬はわずかに上気し、瞳は潤んでいる。気力を奮い起こしたようにまた鋭い目つきでヴォラプティオを睨んだミレーナ嬢は、恍惚とした様子の彼に再度問い掛ける。


「なにを、したのですか」


 ミレーナ嬢は、再び問う。マクス様の手が私の腰に触れる。そっと抱き寄せられて驚いて見上げれば、彼は表情もなく真っ直ぐにヴォラプティオを見ていた。

 それにしても、ミレーナ嬢は魔族が怖くはないのだろうか。いくら優秀と言われていても、今までの話を真実とするのなら、エルフであった初代聖女でさえも追い払えなかった魔族の親玉相手にまともにやり合えるとは思えない。マクス様が力を合わせてくれるとしても、私を含めた複数人を守りながら、そしてヴォラプティオの腕の中のエミリオ様に怪我させることなくダメージを与えることは難しそうだ。

 転移魔法陣でエミリオ様だけ移動させられるのなら、マクス様がとっくにやっているはず。なにもしないということは、今は動いてはいけないという意味で。無策に突っ込んでいくような人がいなかったことは、不幸中の幸いだろう。


「ワタシはね、その真実やら運命の恋だの愛だのを確かめてあげることにしたんだよ」


 ますます、ヴォラプティオがなにを言っているのかわからない。確かめるとは、と疑問に思えば、その琥珀色の瞳に正面から絡めとられた。


「それにしても、ずいぶんと抵抗してくれたね」

「……え……?」


 彼の発言の意味を把握しかねて、思わず問い返す。

 ヴォラプティオが話し掛けてきたのは、明らかに私だ。何故かエミリオ様の味方をしているらしきヴォラプティオにとって、私が重要人物であることは間違いない。確かに彼が近寄ってこようとするのを拒否している部分はあったし、事実あまり馴れ馴れしくしないで欲しいという要望はしていた。しかし、どうしてこのように非難めいた視線を向けられなくてはいけないのか。


「そうだよ、ワタシと同じ髪色の娘」


 ヴォラプティオは自分の髪を弄りながら私の頭を指差した。


「そんなに自分たちの愛を確かめるのが怖かったのかい? あれだけ真実だの運命だのと言っておいて、それはないだろう。どれだけ待たされたか」


 指折り数えながら言うのだが、その言葉がなにを指しているのかは理解できない。姿を隠していたのは彼であって、私が逃げていたわけではないのに。


「あの、おっしゃっている意味が――」

「そうか。キミたちには一切記憶がないんだったね。まったくさぁ、あれだけの大口を叩いていたんだから、そういう大事なことくらい覚えておいでよ」


 ますます意味がわからない。私はなにを責められているのだろうか。私がヴォラプティオという魔族の存在を知ったのは先日のミレーナ嬢の話が最初だ。それに、キミたち、と複数なのは誰のことを指している? 

 考えても、わからない。つい、救いを求めてマクス様を見る。彼はこちらを見て、ふ、と目を伏せた。

 ――マクス様?


「本当に欠片も覚えていない?」

「……ですから、なにを」


「聖女ライラ、自分の前世くらい思い出せないものかね。生まれ変わってくるのに、こんなに時間がかかるだなんて思わなかったよ」

 

 彼の視線は、他の誰でもない私を見ている。しかし、そんなことを言われても、なにも知らない、わからない、思い出せない。

 ――それは、私の話をしているの? それは、本気なの? 今、この場を引っ掻き回すための嘘ではなく?

 前世という考え方があるのは知っている。魂は世界を循環し、生を得て、生涯を終え、いつかまたこの世に戻ってくる――しかしこれは、ディウィナエ教では主要な考え方ではない。異端でもないが、様々な書物を読んでいなければ知らないかもしれない。でも、私のそれが、まるで初代聖女かのような言い方をされても……

 今この瞬間、私の顔には大司祭様を含めたみんなの視線が突き刺さっている。真偽を問うような顔をされても、私にはなにもわからないのに。


「結局、運命やら魂の結びつきなんてのは戯言で、未来永劫その道は交わらないのかと思いきや、ここにきてあの王子の魂が生を受けたと同時期に生まれ落ちてきて、番うことのできる場所に収まっているんだからねぇ。やっぱり運命っていうのはあるのかもしれないねぇ」


 いやだいやだと繰り返しながらも、琥珀色の瞳は、やっぱりどこまでも愉しそうに細められている。

 ――もし、私が本当にライラなのだとして、運命の王子というのは……

 私は、魔族の腕の中でもなおこちらに縋るような視線を向けてきているエミリオ様を見つめる。ヴォラプティオがエミリオ様の味方をしている様子だったのは、ライラの運命の愛の相手が、彼だったから? 魂の呼び合う相手は、エミリオ様のはずだと言われているのだろうか。

 ――だから、惚れ薬を私に飲ませた?

 でもそれでは、仮に彼と愛し合うことになったとしても、運命の力ではなくなってしまう。

 ――なにをしたいのだ、この魔族は。

 


「ライラ」

「違……私は、ベアトリス……シルヴェニアです、聖女ライラでは」

「それは今の名前、姿というだけだ。その魂の色は覚えているよ。ああ本当に忌々しい。キラキラ眩しい魂の色はライラのもので間違いない。認めようが認めまいが、キミは聖女の生まれ変わりだ。気付いているはずだよ。気付けたはずだ。自分がライラなんだって。例えば、あの娘にしか懐かなかった精霊に愛されたりはしていないかい? それこそが、同じ魂という証拠じゃないか」


 ルクシアとノクシア。確かに彼女たちがそのような存在だったということは理解している。初代聖女を手伝っていた可能性には気付いていた。しかしそこから、もしかして自分は初代聖女ライラの生まれ変わりなのでは? なんて発想には至らない。

 私はなにも知らない、と首を横に振れば、ヴォラプティオは指を立ててエミリオ様を指す。

 ――……ああ、やっぱりそうなのね。ライラの運命の愛の相手は、エミリオ様――

 胸が苦しくなる。彼を愛さなければいけない理由などないはずなのに、愛せなかったのが辛くなる。そして、マクス様への想いが、遠い過去に踏みにじられたような気持になって鼻の奥がツンとする。

 運命の愛などないのだ、と身をもって魔族に証明してしまったらしい自分に、なんともやるせない気持ちが大きくなる。


「キミたちは、自分たちの愛は魔族などの妨害には負けないと声高に宣言してくれたんだよ。しかも何度もね。だから、ワタシ興味を抑えきれなくなってしまって」


 人知れず傷ついた私の前で、ヴォラプティオの指は、ゆっくりとマクス様へと移動した。


「清く平等な聖女サマは、愛する魂の持ち主がふたりいたら、果たしてどちらを選ぶんだろう、って」


 ふふっ、とヴォラプティオは笑う。そして、自分の前に両手で丸を作ると、それを二つに割くような仕草をしてみせた。


「魂を、こうやってぷちっとふたつにね、分けてあげたんだ。全部がちょうど半分になるように調整してね」

「な……ッ?!」


 驚きの声を上げたエミリオ様の喉を長い爪で辿って、ヴォラプティオはうっとりと微笑む。その表情は腹立たしいほどに美しくて、虫唾が走るほどに魅力的だった。


「ほら、ワタシも平等だろう? んふふっ、どちらも元は同じ魂、聖女の運命の相手だ。ねえ、全く同じものが天秤の上にあるんだ。運命の恋はどちらか片方にだけ傾くのかい? すべてを聞いた今、ねえ、ライラの魂の奥底ではどう言っているのか、正直に教えてくれはしないか? 真実の愛は、どこにあるんだい?」

「……最ッ悪だな……」


 黙って話を聞いていたマクス様が、小さな声で呟いた。

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