第125話
「ワタシにははっきりと見えてるんだよねぇ。この子から、あっちの娘に向けられてる情みたいなものがさ」
ヴォラプティオはエミリオ様の胸元をそろりと撫でる。まるでそこに何かがあるかのように、彼の身体の表面から少し離れた位置からこちらに向けてでこぼこと辿っていく。含み笑いを漏らしながら満足げに目を細めたヴォラプティオは、エミリオ様の胸元から続いているらしいそれを引っ張るような仕草をした。
チャリ、と小さな金属音がする。その途端、私の身体はなにかに軽く引っ張られたように、エミリオ様の方へと引き寄せられた。
「っ!?」
この状況だ。私だって警戒していなかったわけではない。気を抜いていたつもりもない。だが、思いがけない方向からの力に姿勢を崩してしまう。しかし、目の前にミレーナ嬢とマクス様が立っていたおかげで、なんとか転ばずに済む。彼らの背中に手をつくような形でつんのめりそうになるのを耐える。
何事かと驚き顔で振り返ったミレーナ嬢に頭を下げた。
「失礼しました、少しよろけてしまって……」
「ビー、大丈夫か?」
「はい」
マクス様が身体を斜めにして私へ腕を伸ばし、肩を抱いてくる。ミレーナ嬢は、また私を庇うように前に立とうとして、マクス様から
「私より前に出るな。万が一の時巻き込むぞ」
ともう一歩下がるように指示される。ミレーナ嬢は素直に言うことをきき、私の隣に並んできた。
「ほぉら王子サマ、まだちゃーんと繋がってる。感じるだろう? まだ諦めきれていないんだよ。こんなのさ、納得もしていないよねぇ。これは、この王子サマからそっちの娘への、なにも混ざりもののない純粋な想いだよ。ああ、あんなに熱烈に絡みついているっていうのに、なのに肝心の相手にはまったく気付いてもらえなかっただなんて」
かわいそうにね、と同情的な声で言う顔は、言葉とは裏腹に明らかに笑っている。ヴォラプティオがまた引っ張るような動きをすれば、私の身体は再び彼らの方へ引き寄せられそうになる。しかし、今度はマクス様が私の身体をしっかりと抱いてくれているのでよろけなかった。
あちら側に引っ張られないようにするため、強く私を抱いているマクス様の胸に身体が押し付けられている。顔を胸に埋めさせられると苦しくなってしまいそうなので、腕を支えにして密着しすぎないようにする。しかしこの姿勢、傍から見れば、私がべったりともたれかかっているように見えるかもしれない。マクス様に縋りついているように思われるかもしれない。私たちを見ているエミリオ様の表情は、今までとは違う意味で苦痛に歪んだようだった。
「でもさ王子サマ? 自分の気持ちをちゃんと言葉にして伝えたことはある? 大事なことはちゃんと伝えなきゃ。人間同士は言わないとわからないこともいっぱいあるんだろう? ほら、話しておしまいなさいな。そうしたら、まだ娘に振り向いてもらえるかもしれない。キミの元に帰ってきてくれるかもしれないよ」
言ってしまえよ、とヴォラプティオに唆されたエミリオ様は、私を見つめる。
そこに、先ほどまでの恐怖に満たされた目はない。まるで恋人を見つめるかのような熱くとろけるような視線を送ってくる。
「ビー……」
甘く名前を呼ばれ、ぞわっと鳥肌が立つ。
失礼だと言われても、この状況下で、恋人でも夫でもない、かつての恋人でもない相手からあんな目を向けられて、名前を呼ばれて、ときめける人がいるだろうか。特に想い人がいなければ、その熱い視線に心動かされることがあるのかもしれない。しかし、私には無理だった。
マクス様の胸にしがみつく。安心させるように、彼は強く抱きしめてくれる。
「ねえ、ビー。僕は、ずっと、ずっと昔からきみのことを……」
そんな縋りつくような目で見られても、私には応じるつもりなどない。あの魔族の腕から助けなければいけないとは思っているが、それと彼の言葉を個人的に聞き入れるかどうかは別だ。小さく左右に首を振れば、エミリオ様は悲しそうな顔になった。
「お願いだよ、ビー。僕の話を聞いてくれないか? ちゃんと僕の気持ちを聞いてほしいんだ」
「ビー、あんなのは聞かなくていいぞ」
「そっちのエルフには聞いてないんだなぁ。ワタシはね、この哀れな王子サマに同情してるんだよ」
歌うような喋り方からは、同情心など欠片も感じられない。しかし、眉を寄せて切なそうな顔をしたヴォラプティオは芝居がかった仕草で胸が苦しいと訴える。
背後で、国王様がなにかを言おうとする。エミリオ様に声を掛けようとしたのか、マクス様に助けを求めようとしたのか、それともヴォラプティオに慈悲を乞おうとしたのか。しかしそれはすぐに、周囲によって防がれたようだった。
国王として、すべてをマクス様に任せるわけにもいかないと思ったのかもしれない。だが、国王様を止めた周囲の判断は正しかったのだと思われる。今この場で口を開いて良いのは、エミリオ様と私、それから辛うじて発言を許されてるのはマクス様とミレーナ嬢だけだ。それ以外の人があの魔族の注意を引いたら、場の邪魔をする存在として悪意を向けられるかもしれない。
――悪意なんて向けられず、害虫を叩き潰すがごとく、なんの感情も持たないで命を奪われるというのが正解かもしれないわね。
エミリオ様の隣にいたはずのミレーナ嬢ですら認識していなかったヴォラプティオだ。目障りだとなれば、目の前を飛ぶ虫を振り払うのと同じくらいの調子で、人間程度を手に掛けることに罪悪感など抱かないだろう。
「あなたはどうして、エミリオ様に同情的なんですか。彼に寄り添うことで、味方をすることで、あなたになにか得があるんですか?」
口を挟んだミレーナ嬢に「愉しいという理由だけで十分だとは思わないか?」ヴォラプティオは微笑む。
「そうだね、キミはワタシを何故か知っているようだし、ここにいる人間たちにも、昔話をしてあげようか」
ヴォラプティオはエミリオ様の隣に座り、私たちにも腰掛けるように言ってきた。「なにもしないよ」と笑うヴォラプティオを信用したわけではないけれど、ここで彼に逆らうのは得策ではない。
席が足りなかったので、私とマクス様、ミレーナ嬢が長椅子に掛け、1人用のものに国王様と王妃様がそれぞれ座る。
「さてさて。これはね、大昔のお話だ。初代聖女と呼ばれているあの女と、今では英雄と呼ばれているあの王子サマのお話だよ」
軽く足を組んだ魔族の男は、足先をゆらゆらと揺らしながら話し出した。
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