第123話

 ふふっと笑ったマクス様は上機嫌な様子で私の手を握り直す。


「ということで、国は違えど私も王族ではある。あの結婚誓約書にサイン出来た理由もご理解いただけたかな? 誰からも文句を言われる筋合いはない、ということだな」


 ――んんっ! 隣から注がれる視線が熱い……!!


 どうだ、とでも言いたげに胸を張っているマクス様を直接見るのは恥ずかしい。しかし反対側にはキラキラとした目を向けてきているミレーナ嬢がいるのでそちらも見たくはない。だが、正面は正面で表情だけで抗議してきているエミリオ様と真顔の国王様、それから「まぁ……」と小さく呟いた王妃様。もう、どこを見てもいたたまれなくなる。

 視線のやり場に困って、結局自分の手を見る。その手を包んでいるマクス様の手は、いつの間にか指を絡めるように握り込んできている。親指は私が彼の手の中にいると確かめるように、何度も愛し気に甲を撫でていた。


「マクス様」

「ん? なんだ、ビー。なにか私の発言に間違いでもあったのか?」

「いえ。なにも間違いはございません」


 私の発言に、エミリオ様がまた強く拳を握るのが見える。


「と、いうことは、だ。私は間違いなくあなたの最愛の夫だということだな」

「そういうことを、このような場で確認なさらないでくださいませ」


 恥ずかしいなどという言葉を口にしなくても、赤くなっている耳のせいで私がどう感じているかは伝わってしまっている。口元を緩めたマクス様は国王様を見る。


「いやいや、大事なことだぞ。 だろう? ルミノサリア国王殿」

「……はい」


 頷いた国王様の表情から感情は読めない。王妃様も、穏やかな笑みを浮かべて私を見ている。表情からなにを考えているのかわかるのは、エミリオ様だけだった。


「そうは言っても、まあこのような立場なのでな? 人間1人の感情程度、魔法でどうにでもできると思われるかもしれない。つまりは、彼女が私を好きだと思い込ませるようなものを使ったのでは、という疑いだな。しかし、それもない。私がなにもしていないことは、そこの聖女ミレーナが以前確認してくれている」

「あ、はいっ! わたし、お……ベアトリス様のお気持ちが、シルヴェニア卿の魔法で操られているものではないとこの目で確認しております!」

「と、いうことで、彼女の私に対する感情が本物だというのは、聖女のお墨付きだ。まさか、私に続いて聖女まで疑うなんてことはないだろうな?」


 マクス様はそう言うけれど、この場におけるミレーナ嬢の振る舞いは明らかに私の側についているように見える。そんな彼女の発言が、どこまで信じてもらえるだろうか。いくら、彼女がマクス様を疑っていた時期に判定したものだと言っても、そんなことはここにいる人たちは知らないことだ。私やミレーナ様、そしてソフィーの証言では信頼性に欠けるのでは?

 しかし、私が思う以上に、マクシミリアン・シルヴェニア、そして聖女ミレーナの発言は重要なもののようだった。


「元より、私はシルヴェニア卿のことを疑ってなどおりません。貴方のお話の通りなのでしょう。今回のことは、すべてエミリオが1人でやらかしたこと。止めるのがここまで遅くなってしまい、申し訳ない」


 つまり、今回の呼び出しを含めたすべての事柄に対して、国としては無関係だから責めてくれるな、という意味だろう。

 国王様と王妃様は、マクス様と国の約束事について詳細を把握しているのだと考えられる。ここでエルフの王の機嫌を損ねるのが悪手であるという認識はあるだろう。今、マクス様の正体を聞いた彼らも、決して愚かな人たちではない。マクス様に喧嘩を売ることが得にはならないと理解はしたはずだ。エルフ族と魔導師たちを敵に回すことで得られるものなど一切ない。むしろ、損しかない。

 それで得られるのが、大きく国を左右するほどでもない立場、そして他に変えられないような能力を持っているわけでもないただの娘1人となれば――マクス様を激怒させる可能性のあるエミリオ様を、これ以上好きにさせているわけにはいかないのだろう。


「うん、だから。これ以上ビーにしつこくしないのなら、別に大事にするつもりはないと言っているだろう?」

「ああ、これ以上は、なにもさせないと約束しよう」

「ははッ、御父上からの言葉だけではなぁ。なんとでも言えるだろうに……と、いやすまない。そちらの王子様は喋れないのだったな」


 マクス様が空中に指を滑らせると「ッ、か……!」変な音を立ててエミリオ様が喉を押さえた。あーあー、と小さく声を出して声が出るようになったことを確認している。


「と、いうことだエミリオ。お前も事情は分かっただろう。彼らの結婚に問題はない。もうベアトリス嬢に関わろうとするのはやめなさい。彼女は幼馴染で元婚約者とはいえ、今はシルヴェニア卿の奥方であるのだから」

「…………」

「エミリオ」


 往生際悪く、というか、子供のように、というか。エミリオ様は頑なに返事をしない。

 しかし、言うだけ言って満足したのか、マクス様はもう帰るつもりになったらしく、立ち上がろうとした。彼が私を立たせようとしたところで


「少しよろしいでしょうか」


 そう言ってオリバー様が手を上げた。

 マクス様は、彼に興味のなさそうな視線を投げたものの、黙ってまた腰をおろす。その仕草で、発言の許可を得たと判断したらしいオリバー様は続けた。


「そちらの誓約書は、王族が婚姻を結ぶことになった際に依頼して作っていただくものでしたよね」

「そうですね。一般的に使用される誓約書とは違い都度作成していただくものです」


 カタリーナ大司祭様が答える。


「その場合、誰と誰の婚姻に使うものである、とお伝えしないのですか?」

「ヴェヌスタは愛の繋がりが見えておいでです。私どもがわざわざお伝えする必要などありませんよ」

「しかし、そうなると、おかしなことになりはしませんか?」


 オリバー様は、室内の全員を見回す。それから私たちを見てにこりと微笑みかけてきて。

 全員に伝わるようにゆっくりと言った。


「女神様は――最初からわかっていらっしゃったということでしょうか。このようになるとおわかりだったからこそ、エミリオ殿下とベアトリス嬢が破談になるとわかっていたうえで、その結婚式で使うもののような形で、ベアトリス嬢とシルヴェニア卿が使うための誓約書をお作りになった。そういうことなのでしょうか」


 オリバー様は、やはりその部分に疑問を挟む余地があるのでは、と続ける。なんとなくドレスを注文するときのように「王族用の結婚誓約書を作って」と依頼すれば出来上がってくるような気でいた。女神が直々に作っているという話をこの場のどれくらいの人数が把握しているのかはわからないけれど「1枚ください」で良いわけでもないだろう。

 今更ながら、やっぱり結婚式当日はあまりにも頭が混乱していたようだ。あの日の私がどれだけいっぱいいっぱいだったのかに気付いて、あまりの愚かさに頭が痛くなりそうだ。

 しかし、となると。

 やっぱり、マクス様と私の結婚に関しては怪しい部分が出てきてしまうのでは?

 考えだした私の隣で、ミレーナ嬢がピクリと肩を揺らした。横目で見れば、真剣な顔で正面を見ていた。


「大司祭は教会に届けられた丸められた状態のものを、そのまま女神の天秤に乗せて正しいと判断しただけだ。ヴェヌスタから詳細まで聞いているわけではあるまい。すべてはヴェヌスタしか知らないこと。だが、ここで重要なのは、女神から私たちの結婚は祝福されている……この1点だけではないのか?」

「……シルヴェニア卿は、なにかご存じなので?」

「さてな」


 その答えに、オリバー様はいつになく大きな笑みを浮かべる。彼の唇が大きく裂けたように見えた。シルバーグレーの瞳が金色に変わっていく。そして――


「いけません! 国王様、王妃様! こちらに!」


 立ち上がったミレーナ嬢の言葉よりも一足早くマクス様の手が上がり、国王様、王妃様、ユリウス様とレオンハルト様が私たちの背後に瞬時に移動する。

 向かい側に残されたのは、エミリオ様の首元に腕を絡めるように背後から抱き着いている格好のオリバー様――のようななにかだった。

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