第120話
しっかりと立っていなければいけない場なのによろめきそうになる。私の顔色が悪いことに気付いたのだろうミレーナ嬢が「失礼します」とエミリオ様に断ってから駆け寄っていた。
「お姉様、大丈夫ですか」
「ええ」
「私に寄りかかってください」
そっと肩を押さえられて彼女にもたれるように促されるけれど、この場では甘えるわけにはいかない。
「結構です。ミレーナ様はエミリオ様の隣にお戻りください」
小さな声で告げれば、心配そうな顔をしたままミレーナ嬢は首を横に振った。その間も、エミリオ様のマクシミリアン・シルヴェニアに対する詰問は続いている。エミリオ様の近くに控えていたユリウス様が発言の許可を求める。
「どうしたんだい? ユーリ」
「1つ、彼に質問したいことがあるのですが、よろしいでしょうか」
「良いよ」
軽く頷いたエミリオ様に頭を下げ、ユリウス様が尋ねてきた。
「そもそも、あなたは本物のシルヴェニア卿なのですか?」
「うん? どういう意味だ? 私は私だぞ」
訝し気な顔になった彼に、ユリウス様は小さく肩を竦めて続ける。
「マクシミリアン・シルヴェニア卿と言えば、七色の君やら不老・不死の君など様々な二つ名をお持ちではないですか。常にどのような姿をしているかわからないと言われています。俺は初対面ですので、その姿が本当の顔なのかどうかも判断がつきません。自称だけで本人だと信じろと言われても……」
「ああ。なんだ、そんなことか。あなたは知らないんだな。まだ父親から引き継いでいないのか」
「なんですって?」
「ほら、これだ」
彼は右手を持ち上げて、甲をエミリオ様たちの方へ向ける。その中指に指輪が光っていた。
「これは私が王家から賜ったものだ。ここに王家の紋章と私の紋章が入っているだろう? 同じものは2つとない。当然、王家の紋の入ったものなど、許可のないものが身に着けることは許されない。これでは証拠として不足かな?」
詳細を確認すべく降りてきたユリウス様は、指輪を受け取ってその意匠を見ると眉をひそめる。
「見せてごらん」
そう言ったエミリオ様は手元に運ばれた指輪をかざすように見て、表面を撫でた。すると、王家の紋章がほのかに光りだす。
「ほら見て、僕が触ると紋章部分が青く光るだろう? 正当な血筋のものが少量の魔力を流すとね、こうやって光るようになってるんだ。王家の紋を入れた物なんて許可なく作っただけでも重罪だからさ。そうそう偽物なんて出てこないけどね、これが本物の証拠」
「では……」
「先日、父上から聞かされたんだ。身元を保証するために指輪を渡してるってね。つまり、あの男はマクシミリアン・シルヴェニアで間違いないってことだよ。それに、なによりもあの真面目なビーが無関係な人をシルヴェニア卿だって偽って連れてくることはないと思うな。あの僕に対する態度も、まあ……きっと本人だよね」
僕のことが気に入らないんじゃないかな。と軽く言うエミリオ様に、隣に立っているひとは「まさか」と口角を引き上げた。しかしその態度はやはり王族に対してするものとも思えない。
「納得してもらえただろうか」
「……失礼しました」
戻された指輪を、彼はまた同じ位置につけた。
「じゃあ、続けようか。僕はね、正直に言ってくれたら特に罰を与える気はないんだ。ビーを傷つけるつもりもないしね。まあ、僕以外から叱責されるかもしれないけど、それはまた別問題だよね」
「はてさて。なにをおっしゃっているのか、私には理解しかねます。清廉潔白に生きてるつもりですが……」
諜報活動をしているものがよくもそんなことを、とユリウス様が小さく呟く。ふっと鼻で笑ったマクシミリアン・シルヴェニアを睨みつける様子からは、敵意しか感じない。
「本気でわからないと言っているのかな?」
「ええ」
「……オリー」
エミリオ様が手を出すと、オリバー様は大切そうに持っていた巻紙をそこに乗せる。巻かれていたそれが開かれて、こちらに向けて掲げられる。
「ここに、あなたとビーの結婚誓約書がある」
言われてよく見れば、確かにあの日署名した誓約書のようだ。下部にあるサインは私の筆跡で間違いない。そして、その隣に並んでいる流れるような文字は、マクシミリアン・シルヴェニアと書かれている。
――ああ、嫌だわ。本当ならばあそこに書かれていたのはエミリオ様のお名前だったはずなのに。
思わず、隣に立っている男性から少し距離を取る。
「これは、特別な結婚誓約書なんだ」
「存じております」
「特別な、王族専用のものとして作られたものだ」
「……それで?」
それでじゃないよね、とエミリオ様は整った眉をしかめた。
「僕とビーが使うために作られたものを、どうしてシルヴェニア卿が使うことが出来たんだ?」
「イウストリーナ家が由緒正しい家柄で、古くは王家からわかれた血筋だからでは?」
「え? そうなの? 公爵家なら使えるってことか、これ」
うっかり言いくるめられそうになったエミリオ様に「そんなはずはありません」とオリバー様が助け舟を出す。
「この特製の誓約書を使用するには、少なくとも片方が王族でなくてはいけません。女神ヴェヌスタに王族の婚姻を認めてもらうためのものなのです。いくら古くは王族であった血筋とはいえ、公爵家のベアトリス嬢ではヴェヌスタに王族とは認められず、教会が受け取ることはありません」
「じゃあ、やっぱりおかしいじゃないか。どんなからくりでこれを認めさせたんだ?」
「どんなからくりもなにも。私はただ、そこにサインをして教会に届けただけですが?」
確かに、サインした後魔法で教会に直接魔法で送り届けたのだという記憶がある。しれっとしている男に、エミリオ様は苛立たし気な様子を見せる。
「絶対になにかしただろう。王族じゃなきゃ使えないんだぞ。そうでなければ、これが有効であると教会が認めるはずがないんだ」
「教会が認めたのなら、有効なのでしょう」
正当なものと認められているのだろう? と笑顔を向けられたカタリーナ大司祭様は、困ったように「ヴェヌスタの祝福があることは、こちらで確認済です」と答える。
「そちらの誓約書は、女神の天秤で正当なものであると認められ、保管されておりました」
「それがなにかの間違いなんじゃないか?」
「天秤の判断は確かなものです」
「いや、ヴェヌスタにも間違いはあるかもしれないじゃないか」
「エミリオ殿下、それ以上の失礼な発言は許されませんよ」
カタリーナ大司祭様は、厳しい声を出す。女神を侮辱した、ということなのだろう。さすがに言い過ぎたと自覚したのだろうか。エミリオ様は口を一度閉じた。そして、もう一度誓約書を見て首を横に振る。
「でも、どう考えてもおかしいじゃないか。どうして公爵令嬢と辺境伯である彼の婚姻にこれが使えたんだ」
「それ、は……」
「そもそも、これを認めた先代の大司祭が見つからないってどういうことなんだ」
「…………」
カタリーナ大司祭様はどこまで知っているのだろう。言葉を濁して、こちらに助けを求めるような目を向けてくる。
その様子を見たエミリオ様は、教会側は答えを持っていないと理解したようだ。教会は、提出された結婚誓約書が正しくヴェヌスタに認められたかどうかを判断しただけ。そして、あの日、あの誓約書にサインしたふたりを夫婦と認めた先代の大司祭様は、今別の姿で私の隣に立っている。
あの時、国王、そしてヴェヌスタからも許可を得た婚姻を半端なものとしたままだったら、国として愛の女神との約束を反故にしたということになり、ルミノサリアが女神から見限られてしまうことになったのだ、なんて話を信じてもらえるだろうか。
あまりにも荒唐無稽だ。信じてもらえる気はしない。
――あら……? だったら、どうして私はあの時、あの言葉を信じてしまったのかしら。
ふ、と疑問が沸く。
いくら婚約破棄された直後で混乱していたとはいえ、なぜさしたる疑問も抱かずにあの言葉を受け入れてしまったのだろう。
女神から見放されたら国が滅びるという伝承を知っていたから?
畳み掛けるように不安になることばかり聞かされたから?
もしかして、私は、このひとに騙されたのだろうか。
見上げれば、マクシミリアン・シルヴェニアは薄い笑みを浮かべたままエミリオ様を見ていた。
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