第119話

 いってらっしゃいませ、と使用人たちに送り出された私の胸元には、角度によって色を変える、見たことのない宝石が輝いていた。

 あまり華美になりすぎていない品の良いデザイン。夜空のようなグラデーションの入った生地は見るからに質のいいものだ。隣に立っているひとも同じ生地で作られたコートを着ている。普段の魔導師然とした格好ではなくて、長い銀髪はきっちりと後ろで一つに結われている。どこからどう見ても貴族のいでたちだった。これならば、誰が見ても夫婦に見えるのではないだろうか。

 若干の頭痛と吐き気に耐えながら、私は彼の隣に立っている。


「揃いの色というのは、まあ今のあなたには到底受け入れがたいものだとは思うが」


 彼は皮肉めいた笑みを浮かべる。


「少し我慢してくれ。申し訳ないが、こちらの正当性を訴えなければいけない場なのでね」

「……はい」

「……うん」


 行こうか、と差し伸べた手は、多分無意識だったのだろう。当然のようにそこに自分の手を重ねるのに躊躇う私を見て、彼はそっと手をおろした。

 当然重ねるべき、と思っている私と、彼とは手を繋ぎたくないと思っている私がいるのだ。矛盾の中で、頭が痛くなる。しかも、今は彼の隣だということだけでも不快感が大きい。顔も見たくない。視線の合わない私を置いて、マクス様は一足先に歩き出して城を出た。

 持続時間が短いとはいえ、あのユニコーンの薬を飲めばなんの負担もなくマクス様の隣に立つことは可能だ。しかし、私が自分の恋愛感情について正しく捉えられることを可能にする手段を持っていると、エミリオ様はもちろん、どこに隠れているともわからない魔族に見られるわけにはいかない。


「では、移動するとしよう」


 彼が手を持ち上げれば、目の前の地面に小さな転移魔法陣が浮かんだ。


「私に続いておいで」


 振り返らずに言って足を踏み入れた彼の姿が消える。続けて、私も陣の上に移動する。慣れた感覚で転移が完了する。そこは、王都に構えられたシルヴェニア卿の屋敷だった。滞在していることが多くないことから、かなり小さめの質素な屋敷だ。これを見て、辺境伯という立場にも関わらず彼を侮る貴族もいるのだろう。


「さすがに、王城へ直接移動することはできない。ここからは馬車での移動になるので同じものに乗ってもらうことになるが――」


 玄関を開ければ、目の前には公爵家である実家のものほどではないにせよ、真っ白い馬の引く立派な馬車がある。夫婦であると主張する以上、わざわざ違う馬車で移動するのはあまりに不自然だ。しかし、中での距離感を思うと多少憂鬱にもなる。目を地面に向けたままの私に「安心しろ」彼は言って、自ら扉を開ける。


「中は、こうなっている」


 顔を上げれば、中は前後を隔てるように壁が作られていた。しかも、見た目よりもはるかに広い空間を有していて、柔らかそうな座面も見える。


「これならば移動時間中私と顔を合わせる必要も、うっかりと手足が触れてしまうこともない。楽にしてくれていい。乗り心地は保障する。ただ、王城に着いた時には通常の馬車の作りに戻させてもらうからな。それだけは了承してくれ」


 これを誰かに見られるのはまずい、と壁を叩きながら言って、私に先に乗るように指示を出す。

 言われた通りに馬車に乗り込んで腰をおろすと、外から見たよりももっと空間に余裕があった。一見壁に膝が当たりそうに思えたけれど、そんなことは全然ない。圧迫感もない。何かしらの空間に関する魔法が掛けられているのだろう。

 戸が閉まるとすぐに馬車が動き出した。窓の外には見慣れた王都の風景が流れていく。

 ――そういえば、あの店には以前エミリオ様と行ったことがあるわね。

 多くの人が並んでいるパティスリーは、母もお気に入りの店だ。その近くにあるのは、エミリオ様が期間限定だと飲ませてくださった――

 思い浮かぶのは、エミリオ様との思い出だけ。はぁ、と溜息が出る。顔を覆って俯けば、目蓋の裏に浮かぶのもエミリオ様のことばかり。

 ――気持ちが悪い。


「酔ったか? それとも」


 壁越しに声を掛けられる。


「いえ、大丈夫です」

「そうか」


 彼はそれ以上詮索しようとしない。じっと耐えていると、ゆっくりと馬車が止まった。同時に目の前から壁がなくなる。彼は長い足を組むようにして膝を扉の方へ向けている。そのおかげで膝が触れてしまうことはなかった。視線は窓の外でこちらを見ようともしない。

 私を気遣ってのことだとはわかる。しかし、それはそれで、胸の奥がじくじくと痛む。

 ――私、なんて我儘なのかしら。

 扉が開けば彼は先に降りて、私に手を差し伸べる。衛兵の視線。これは、受けなければいけない。震える手を彼の手にそっと乗せる。肌が触れてしまう、と思ったのだけど、触れた感触はない。しかし、しっかりと支えられているような感覚はあった。

 そのままふたりで馬車を降りて、案内されるまま城の奥に向かう。入るように言われたのは、謁見の間ではなかった。しかしそれなりの広さがあり、高い天井と荘厳な作りに若干の威圧感を覚える。左右にずらりと並んだ親衛隊からの視線もあるだろう。正面、少し高くなっている壇上に置かれた立派な椅子に座っているエミリオ様、それからいつものお三方に、ミレーナ嬢とソフィー。

 親衛隊の並ぶ列の最前には、現役の大司祭様であられるカタリーナ・ルミネッタ様が数名の高位神官を引き連れて立っている。視線が合えば、わずかに頭を下げられた。


「さて、今日はどんな用件で呼び出されたのかわかっているのかな?」

「……さて……?」


 エミリオ様から尋ねられた彼は、薄っすらと笑みを浮かべたまま小さく首を傾けた。

 どう考えても不遜な態度。壇上ではレオンハルト様が腰から下げている剣に手をかけ、親衛隊からも殺気にも似た空気が発せられる。彼らからすれば、マクシミリアン・シルヴェニアのその振る舞いは到底許せるものではないだろう。今にもこちらに踏み出してきそうな気配に、エミリオ様が手をゆっくりと持ち上げる。エミリオ様の仕草に、彼らはまた姿勢を正して、一瞬ざわめいた空気はまた静まる。


「では、貴殿のついている嘘について、質問させてもらおうかな。シルヴェニア卿、今あなたの隣に立っている女性について、説明してもらえるかい? 彼女は、マクシミリアン・シルヴェニア卿にとってどのような存在なのかを」

「ああ、なるほど。そういうことですか」


 彼は優雅に、そして慇懃無礼に頭を下げた。


「ご挨拶が遅れましたな。彼女は、ベアトリス・シルヴェニア。私の、唯一、最愛の妻でございます」


 その言葉を耳にした瞬間、強烈な吐き気と眩暈に襲われた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る