第118話

 それから数日。私の様子がおかしい、とアクルエストリアでちょっとした騒ぎになった。


「あちゃー。あのユニコーンの薬も効きが悪くなってるとは思ってたけど、そっかー。副作用があったのかねー?」


 メニミさんが目を覗き込んできながら、心配そうな口調とは真逆の表情を浮かべる。


「ベアトリス様で人体実験なんてあってはなりません」

「そんな怖い顔されてもさー。ボクだって出来る限りはやってるんよー? それにこんな状況になってるのは彼女しかいないわけだし、他のヒトじゃ実験できないからぶっつけ本番なのはしょうがないさねー」


 視線だけで心臓が止まりそうな目で睨みつけてくるアミカにも、一切動じていないメニミさんは笑顔のままだ。


「いやー、でも……困ったねー。王子様の方への気持ちが大きくなっちゃってるかー」

「…………」


 違う。そんなことはない。私が好きなのはマクシミリアン――

 と、マクス様の名前を思い浮かべようとしても、すぐにエミリオ様の名前で上書きされていく。もはや、口を押さえなければいけないほどに気持ち悪くなるような時間もない。ちょっと食べ過ぎたかしら、くらいのムカムカが来るだけだ。

 こんなのは嫌だ、と思えば視界が歪んでいく。でも、駄目だ。泣いてはいけないのだ。今、私のために努力してくれている人たちを前に、なにもできない私がただただ泣き崩れているだなんて、そんなみっともない姿をさらすわけにはいかない。そんなのは、ただ同情を、視線を欲しがる子供の所作だ。

 涙が浮かびそうになるのをズキズキと痛む頭のせいにして、拳を握って床を見つめる。


 このような状況に陥った直後は、私の頭は自分の愛している人を、あのエルフの美丈夫だと認識していた。しかし今では、エミリオ様を好ましく思う気持ちもそれと同じくらいに大きくなっている。触れられても嫌悪感が生まれない。

 彼に心が寄っているように振舞う必要があって、しばらくそのようにしていたせいで頭が勘違いを起こしているせいもあるだろう、とメニミさんは分析するが、今更だ。

 今の私にとっては、最愛の人がエミリオ様であると心の底から本気で考えるようになってしまう瞬間が来ることが怖い。今はまだ辛うじて打ち消そうとすることが出来ている。しかし、それも以前よりは弱い。すぐにマクス様の影は去っていく。

 些細なことでも、エミリオ様の誘いを断れなくなっている。辛うじて「私は既婚者であって、エミリオ様は元婚約者」という誤認しないでいる事実と、「周囲に誤解を与えることは、彼の将来に傷がつく」という良識が防壁となって行き過ぎた行動を取ることはない。

 でも、これでなにかに背を押されてしまったら。

 恋に溺れて周囲が見えなくなってしまった人たちの失態などいくらでも見てきた。自分がああならない保証はない。


「完全に術が発動してしまったらどうなるかわからないからさー? ボクたちの力で解くことが出来るかもわからないだろー? そろそろ限界ってことだよねー」


 そんな発言に、びくっと肩が跳ねる。メニミさん! と非難するような声を出したのはクララだろう。


「でもまあ、良かったじゃないか」

「全然良くないぞ、オヤジ。」

「いやー、もうこの機会に直接対決で決着つけるしかないんじゃないかなー。マスターも限界だろー?」


 メニミさんは、テーブルに置かれていた書簡を手に取るとひらひら振る。そこには王家の紋章、エミリオ様の紋章が刻まれている。その書簡は、今日の昼過ぎに辺境伯領へ届いたものだ。使者はそこに主がいないことを知っていたらしく、必ず渡すようにと偉そうに言い捨てて帰っていったとのことだった。受け取ったのはコレウスで、学院から戻った私にそれを見せてきた時のなんとも言えない微笑みといったら。表面上は笑っていたけれど、書簡を見せられたマクス様も同じような顔をしたのだろう、と想像は出来た。

 メニミさんは、雑に振っていた書簡をまたしても雑にテーブルに放り投げる。ルミノサリアの国民であるのなら、王家からの知らせをそんな風に扱った日には投獄されかねない。しかし、ここにはあの国の国民はいない。彼らの王は、マクシミリアン・シルヴェニアだ。

 ――エミリオ様も、素敵な王子様ではいらっしゃるのだけど、やはり人間ではあまり魅力的に映らないのかしら。

 そんなことをボーっと思う自分に気付いてまたショックを受ける。

 人知れずショックを受けている私に気付かないようで、周囲の会話は続いていく。


「しかし、ふたり揃って登城するように、とはねー。なにをするつもりなんだろうねー? 国王じゃなくて王子からの呼び出しだろー? 独断かなー、どう思う?」

「そんなのはどっちでもいい。問題は、ふたりだけでという部分だ。俺たちが護衛に入れない。でもあっちは周囲を近衛騎士なんかに取り囲ませているだろうから――」

「そうですねぇ。問題ですよねぇ」


 うーん、とクララは腕を組んで唸った。

 彼らは、私とマクス様だけが城に招かれていることを危惧しているらしい。彼らは主人のことを信用していないのだろうか。いくらなんでも問答無用で牢に入れられるということはないだろうし、そうされたところで転移魔法で逃げられるのだろうから、その後に追加される罪を考えなければさして問題はない。

 いくらエリートの近衛騎士たちだと言っても、マクス様が太刀打ちできないなどということはないだろう。それに、いざとなれば私だっていくつかの魔法を覚えている。幻を作って逃げる隙を作れるかもしれないのだから。


「王子様の言い分によっては、旦那様すっごい腹を立てる可能性もあるじゃないですか」


 はぁ、とクララは溜息を吐く。心底悩ましい、という顔をして、頬に手を当てたまま「うーん」と濁った声を出す。普段は朗らかな表情を曇らせ、眉間に小さく皺を刻んだ彼女は


「普段は冷静で公平な方ですけど、ことベアトリス様のことに関しては、あの方理性が動いてない部分多いですよね? さくっと王子様をやっちゃうだけならまだしも、この国滅ぼして良いか? とか真顔で言い出しそうじゃないですかぁ。王子様に手を出そうとすれば、近衛騎士だって全滅ですよ全滅」


 そんなことを言い出した。


「言うだろうな。」

「言いますね」

「言う、絶対言うよー」

「問題ですよねぇ」

「実際、やるでしょうからね」

「姫様だけじゃ止められないだろうな。」

「止めなくて良いと思います」

「下手に止めようとしたらこっちの命が危ういからねー」


 ――心配されていたのは、マクス様と私の無事ではなくて、エミリオ様の命と国の存続だったようで。


 こうなると、魔族を相手にしながらもルミノサリアにとってどっちが悪だかわからなくなるのでは?

 マクシミリアン・シルヴェニアの名前が国を滅ぼした悪として歴史に刻まれるのは、ちょっと……

 あらゆる意味で頭が痛くなってきて、私は顔を覆った。

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