第116話

 図書館へ行くというのはただの口実かと思っていたら、そうでもなかったらしい。図書館の入り口には、アレク先生が立っていた。


「ミレーナさんは、ぼくを便利屋かなにかだと思ってます?」

「尊敬できる先生だと思ってます!」

「おだてても駄目ですよ」


 アレク先生は、図書館の一番奥、許可がなければ入れない貴重な本が所蔵されている部屋の鍵を持っていた。なにを調べるのかと思えば聖女伝説についてだという。


「聖女については、教会側の方が資料は豊富なのでは?」


 あれとこれと、と本を何冊が腕に抱えていくミレーナ嬢にアレク先生は不思議そうな顔をする。教会の資料と共通のものも多いから、わざわざここで調べる必要はないのではないか、という意見はわからなくもない。しかし、ミレーナ嬢はとんでもない速度でページを捲っていきながら言うのだ。


「教会側の資料は、綺麗に書き直されているものだと思うんです。伝説の聖女は、清らかで尊敬できる存在でなければいけませんから。王室の資料は、わたしでは見ることが出来ません。他に見ることが出来るのは、ここの――」


 ページを捲る手が止まった。ミレーナ嬢は開いたページを食い入るように見つめる。口元に運んだ親指の爪に歯を立て、険しい顔になる。横から覗き込めば、そこには初代聖女とオスリアン王の恋物語が書かれているようだった。他の本もすべて開いては欲しい情報を探すように忙しなく捲り、彼女が開いて止めるのはどれも同じような物語の綴られているページだった。

 この国が魔族に襲われることが多かった時代。疲弊した人々の前に現れた、女神とも称された美しい乙女。彼女はそれまで誰もが見たこともなかったような魔法の力で国の盾となり、国中に広まっていた病を癒し、各地で起きていた災害による被害を止めた。最終的に、その当時は王子だったオスリアン王や聖職者や魔導師、精霊たちの力を借りて国を覆っていた暗闇を払って、ルミノサリアに安寧をもたらした。戦いの中でお互いに信頼し合うことになった聖女と王子の間にはいつしか愛が芽生え、彼女はこの地に留まり長い間見守り続けた――私が知っている話そのままだ。なにもおかしなところはない。メニミさんの言っていた、オスリアン王が魔族に操られたことがある、というエピソードはどの本にも書かれていない。


「やっぱり、ないですよね。あの話は」

「ない……ようですね」

「王家には記録されているかもしれませんが、魔導士側には伝わっていないんですね。そこはあまり重要ではないのですけど。ここでも聖女の素性について、神から遣わされた乙女、ということになっているんですね」


 教会側からすれば、神の使いとした方が都合が良いのだから当然だ。しかし、魔導士側は必ずしもそういうわけではない。


「……あの、ミレーナ様」

「はい」


 次の本をまたしてもとんでもない速度で捲りだした彼女の後ろから話し掛ける。


「初代様は、エルフなんですよね?」

「っ!?」


 バッと振り返った彼女の目は限界まで見開かれている。そこまで驚くようなことを言っただろうか。彼女の反応に驚いて、助けを求めるようにアレク先生を見れば、彼は真顔かつ無言で私を見返すだけ。続いてソフィーを見れば、彼女は困惑を浮かべていた。


「……え? あら? 違ってましたか?」

「いえ、あの……どうしてお姉様がそれを……?」


 小さく震える声を出すミレーナ嬢は、そのことも知っていたのだろう。この話は、他のひとたちにもお話した方がいいのかしら、と思いながら続ける。


「以前、マクス様が実家を訪問なさった時、父がイウストリーナ家のご先祖様が書かれた私的な歴史書の内容を少し話してくれたのですが、そこに、初代聖女様はエルフの族長の妹君だったという記載があると……」

「そこに、伝わっていたんですね……他のお家には伝わっていないのでしょうか」

「他のお家のことは私にはわかりかねます」


 ちらっとミレーナ嬢から見られたソフィーは首を左右に大きく振る。


「それから、エルフ族の始祖は女神ヴェヌスタの子なのだと、マクス様から伺いました」

「お姉様、それもご存じだったんですか?!」


 ミレーナ嬢はとても驚いているけれど、こちらからしたら、どうしてあなたがそれを知っているのかと問い詰めたい気持ちでいっぱいだ。私はこの国の公爵家の娘であり、そしてマクス様の妻なのだ。そのような情報を私が持っていたとしても、立場的に不思議はない。ただ、この国のしきたりについてもそんなに詳しくなく、ずっと隣国で育ってきたミレーナ嬢が知っていることの方が謎なのだ。

 ただ私が知っている、ということに驚いている彼女に対して、ソフィーは情報過多になったのか眩暈を起こしてよろめき、アレク先生に肩を抱かれていた。


「ソフィー、大丈夫?」

「だ、だいじょうぶではないわよベアトリス」


 しっかりとアレク先生に抱きかかえられた彼女は、真っ白になっている顔に手を当てる。


「なんなの、それ……エミリオ様は、初代聖女様の子孫でいらっしゃるでしょう? ということは、あの方にもエルフの血が混ざっているのね」

「王家の方々が代々長生きで美形揃いと言われているのも、エルフの血が混ざっていると思えば当然のことだったのよね」

「ベアトリス、そういう問題じゃないわよ。というか、貴女も薄くではあってもエルフの血を引いているということになるのではなくて?」


 ふぅ、と溜息を吐いたソフィーはアレク先生にお礼を言って、1人で立ちなおした。数秒して、なにか空気がおかしいと思ったのだろう。彼女は改めて私たちを見ると「なに、その顔は」と怪訝そうな顔をした。


「あぁーッ!!」

「図書館では大きな声を出さないでください」


 ソフィーの言葉に弾かれたように大きな声を出したミレーナ嬢は、悲鳴を噛み殺すように口を手で押さえた。

 のだけど、その隙間から声が漏れまくっている。


「そうだ! そうですよねぇ!? イウストリーナ家は古い時代に王家から分かれた御家柄ですものね。ということは、わぁっ! わたしとしたことが全然気付いてませんでしたっ、お姉様にもエルフ族の血が? えーなにそれ運命?! かつてのエルフの王族のお姫様の血を薄く引いているお姉様の旦那様が、今のエルフ王だなんてちょっと……えーっ」


 頭に血が昇ってしまっているらしいミレーナ嬢の興奮は止まらない。ここに来て新たな発見がまた、とキラキラしているが、昼休みももうそろそろ終わるし、それどころではないのではないだろうか。

 という私自身も、そういえば実家は初代聖女がこの地に降り立って以降に王族からわかれたのだから、自分にもエルフの血が極微量流れているということには今思い至ったのだけど。

 ――でも、そんな血はもう薄れすぎて、私などは完全に人間族と言って良いわよね。

 そこまで興奮するほどの話ではない、と私は判断する。

 ただ、エルフや精霊から比較的好まれる香りがする、クイーンが私を気に入ってくれているというのは、その辺りが影響していたのかもしれない。

 

「ミレーナさん」


 数度呼びかけた後、アレク先生は指先で宙になにか文字を書くと、ふぅっとミレーナ嬢の方へ吹きかけた。


「っ! 冷たっ」

「落ち着きましたか?」


 どうやら、冷気の球を彼女にぶつけたようだ。周囲の本に影響の出ない範囲で、ミレーナ嬢が頭を冷やせるくらいの冷気を発生させたアレク先生は、腕を組むと「それで」と疲れた顔をする。


「欲しかった情報はあったんですか?」

「わたしの知っているものは、表立って伝わっていないことが確認できました」

「あの短時間で?」

「この数冊を確認できれば大丈夫です」


 アレク先生は、ミレーナ嬢が確認し終わった本を棚に戻しながら「みなさんはそろそろ午後の授業に移動した方がいいですね。ここはぼくが片付けておきますから、授業に遅れないように向かってください。走っては駄目ですよ」と私たちを図書館から追い出した。

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