第115話

 と、そんな話し合いを経てマクス様の指示のもと、今はそれぞれが準備を整えている状況だった。

 私の主な役目は、相手側の予定通りに事が運んでいる、と受け止めさせるように自然に振舞うというものだ。それ自体は難しいことではない。エミリオ様は勝手に私に寄って来る。アッシュが妨害さえしなければ、簡単に私を例の談話室に拉致することが出来る。アナベルには詳細を話せないから、彼女は不可解そうな顔で私を見送っていた。

 談話室には他の生徒や先生たちもエミリオ様の許可なく入ってこられないから、中では彼はやり放題だ。私の隣に座って、触れそうな距離に座ってくる。口説くようなことを言ってくる。護衛役の方々も、気を遣うのか外で待機しようとする。といっても、空気を読まないミレーナ嬢と彼女のお世話係のソフィーは、そういう気遣いは一切なく部屋に入ってきてくれるから、ふたりきりにされることはほぼない。

 最近のエミリオ様は、なにか妙なことが起きて邪魔されることもなく、私を比較的長い時間隣に置くことが出来るようになっていた。それまでの派手な妨害は当然全部マクス様の指示だと見抜かれていたが、しかしその経験があったからこそ、今のこの状況を「マクシミリアン・シルヴェニアの息のかかったものを出し抜き、ベアトリスを自分の側に置くことが出来るようになった」と思ってくれているようだった。

 マクス様の素性について調べたのか、あの魔導師の塔のマスターに一泡吹かせられていると思っているエミリオ様は機嫌がいい。ミレーナ嬢は、満面の笑みで「お姉様とお話しできて嬉しいです!」と言いながら空気を読まずにぐいぐい来るが、今までと行動が変わっているわけではないからエミリオ様も他の人たちも、やたらと近い彼女の距離感を疑うことはない。そして、エミリオ様が好きなわけではない、と公言しているから嫉妬心からやっているとも思われていない。

 内部からすれば、私のエミリオ様への態度が変わっただけで他の人間の動きは今まで通り。

 でも、事情が全く分からない周囲からすればこれは困惑する事態だった。


 ――エミリオ様と聖女ミレーナ様は運命の愛はどうなったの?

 ――シルヴェニア卿とベアトリス嬢の真実の愛は嘘だったの?

 ――もしかして、エミリオ様の両手に花!?

 

 そんな噂話は巡り巡って私たちの耳にも入ってくる。まあ、好きなように言ってくれるものだと思うが、外野は好きに言わせておけばいいと学習したので特に私たちが気を病むような話ではない。

 このように私を隣に置いているエミリオ様ではあるが、当然、私を感知できる位置にアッシュは控えているようだし、今までよりもずっと近い場所で守護魔法が得意なソフィーとミレーナ嬢がいるのだ。私は、可能な限り流れに身を任せるようにしていた。


 そして、時間は今に戻る。

 ミレーナ嬢の「ベアトリスの頭痛を治すフリ」を見ていたエミリオ様はミレーナ嬢の手から私の手を取り上げると、自分の手で包む。


「ミレーナから、具合が悪いのを回復魔法で治すのは不自然なことだからあまり良くないことだと聞いたよ。辛いのなら、ここで休んでいったら? ソファーに横になる?」

「そこまでご迷惑をお掛けするわけにはいきませんわ」

「でも、まだ顔色が悪いじゃない」


 そっと頬に触れてきたエミリオ様は顔を寄せてくる。また、頭痛と小さな吐き気に襲われる。顔を伏せれば、彼は手をきゅっと握り直した。


「無理はしないでほしいんだよ。ねえ、ビー。魔法の勉強は楽しい?」 

「……はい」

「ビーは頑張り屋さんだからなぁ。ずっとすごいって思ってたんだ」


 僕にはできない、と額を合わせてきたエミリオ様は、眠ってしまう様子はない。

 ――下心がない行動ならば、『乙女の誓い』は効果がない。

 だとすれば、この行動は慈愛から? ……愛?


「でも、あまり無理をすると心配する人もいるってわかってほし――」

「あっ、ソフィー様っ、わたし図書館で探したい本があるのですっ。午後の授業の前に行っても良いですか?」

「え? ええ」


 突然立ち上がったミレーナ嬢が、ソフィーの手を引いて部屋を出て行こうとする。扉の前で振り返った彼女と目が合えば、ぱちん、とウィンクしていってしまった。

 エミリオ様と残されてしまった。危険かも、と警戒する私と、ふたりきりだなんてなにが起きるの、とドキドキしている私がいる。


「ビー」


 柔らかくエミリオ様が私の名前を呼ぶ。婚約していた頃には、そんな声で呼んだりしなかったのに。


「本当に無理はしないで。ごめんね。まだ迎えに行く準備が出来てなくて。僕が早くあそこから救い出してあげるから、もう少しだけ耐えてね」

「無理はしておりませんわ」

「ビー、こっちに来て。今は誰もいない、僕しかいないんだから。少し横になっていくといいよ」


 ほら、と彼は私の肩を抱いて自分の膝に頭を乗せさせようとする。


「恋人でもない方にしていただくようなことではありません」


 抵抗しようとすれば「僕とビーの仲なのに?」と笑って強引に私を寝かせた。頭の下に、硬い男性の脚の筋肉の感触がある。これは、あまり良い状況ではない。こんな場面を見られたら、激しく誤解されてしまう。

 早く起きなければと思うのに、エミリオ様に肩を押さえられていて起き上がれない。スカートが短いこともあって、余計に落ち着かなくなる。


「エミリオ様」

「……ビーの髪は綺麗な色だね」


 エミリオ様の指が私の髪を梳いて、そのまま唇に寄せようとして――


「ン……」


 と変な声を出した。横目で見れば、エミリオ様が目を閉じてこちらに顔を近付けてくるところだった。

 ――?!

 口付けられる、と思った瞬間身体が動く。今は、誤解を招くわけにはいかない。軽率な行動はしてはいけないのだ。

 慌てて身体を抜くように床に転げ落ちれば、その場に突っ伏すようにエミリオ様が崩れ落ちた。

 まさかと思いながら耳を近付ければ、すー、すー、と小さな呼吸音がする。これは……


「あ、やっぱりふたりきりにしたら寝ましたね」


 扉の隙間から、ミレーナ嬢とソフィーがひょっこり顔を出している。床に座り込んだ私に手を貸して起こしてくれると、次には変な体勢で眠ってしまったエミリオ様を「よいしょ」と仰向けにした。クッションを枕のように頭の下に敷いて寝かせ、ふう、と腰に手を当てて息を吐く。


「うっすら扉開いてたのにも気が付かないくらいふたりの世界でしたねー」

「ミレーナ様、そのような言い方はいけません」

「嫌味とかじゃありませんって。一応、わたしたちがいる時はエミリオ様なりに気を遣っていたんだろうなぁって思ったんですよ。下心って自分でコントロールできるもんなんですね」


 変なところに感心しているミレーナ嬢は、つん、とエミリオ様の頬をつつく。慌てる私とソフィーを無視して、今度は鼻をつまみ「うん、良く寝てます」と王子様相手とは思えない方法で完全に眠っているかどうかを確認する。

 ――そういう部分、コレウスに似てるわね。

 彼も、マクス様に対して主人に対するものとは思えない態度を取ることがある。


「エミリオ様はこの場に置いて行ってしまって良いと思います。外にオリバー様がいらっしゃるので、彼に午後の授業が始まる前に起こしてくださるようにお願いしてもいいですね」

「このままで大丈夫でしょうか」

「オリバー様なら気付けの魔法も使えるので大丈夫ですよ」


 起きる前に行っちゃいましょう。

 ミレーナ嬢は私と腕を組むと、弾む足取りで談話室を出た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る