第114話
最悪だ、と吐き捨てたのは誰だったか。
やっぱり、と呟いたのは誰だったのか。
ミレーナ嬢の指の先を辿れば王都がある。その中心にあるのが王城だ。念のため、というようにマクス様が尋ねる。
「それは、王都という意味ではなく、まさに王城である、と判断していいのか?」
「はい、お城で見つけました。しかも、今はエミリオ様と一緒にいるようですね。わたしもあそこにいたのに、魔族の気配にはまったく気付きませんでした」
「はぁ……王城ねぇ」
げんなりした顔のマクス様は、相手が魔王と呼ばれている魔族のトップ、つまり強大な敵であろう存在だということよりも、単純に「どうして私がここにいる間にそんな面倒が起こるんだ?」とでも思っているのだろう。コレウスとメニミさんはそうでもないが、他の面々の顔に浮かんでいる緊張とは真逆の雰囲気で溜息を吐く。
魔族が、ルミノサリアの中枢にいる。エミリオ様の背後にいる。それは、魔族が既に直接的にエミリオ様を操りだしているということではないだろうか。
それにしても――エミリオ様を使って、魔族はなにをしようとしているの?
私がエミリオ様を愛するようにして、マクス様を毛嫌いするようにして、それにどんな意味があるのかすぐには思いつかない。例えば、魔族とマクス様に確執があるのであれば嫌がらせということも考えられるだろう。しかし、マクス様はヴォラプティオという名前を知らなかったようだ。一方的に嫌悪されているという可能性もなくはないが、それにしたってあまりにも理由が個人的すぎる。快楽主義の愉快犯だというミレーナ嬢の言葉を真とするのなら、魔王だというそれが引き起こすにはあまりにも小さな事件だ。
――なにも、天地をひっくり返すような事件を起こしてほしいわけではないのだけど。
どうも、釈然としない。
「その、城にいるというのは、誰かが匿っているという意味か? それとも、王城にいておかしくない人間に擬態している……成り代わっているという意味か」
独り言のように呟かれた言葉に、ミレーナ嬢が反応する。
「今はまだ、そこまではわかりませんが……一度気配を掴んでしまえれば、あとは見つけるのは簡単だと思います。どこにどんな姿でいるのか、なにをしようとしているのか、気付かれないように探してみますね!」
「ああいや、余計なことはしなくていい。あなたとソフィエル嬢があっちに取り込まれないように、最大限自分たちを守れるように警戒し続けてくれていたらいいよ」
「でも」
少しでも情報を得たい、というミレーナ嬢に、マクス様はぞんざいに手を振った。
「どうせあっちがその気になったら、すぐにでもちょっかいを出してくる。王子にくっついているんだろう? だったら、その立場を最大限に生かして派手なことをするはずだ」
「それは」
「はっきり言わねばわからないか? こちらの準備が整う前に、下手に手を出してあっちから反撃されても困るんだ。あなたはなにもするな」
「…………」
なにか、私の役に立ちたいと思ってくれているのだろう。そうは言われても……と不満げな彼女の気持ちは、黙っていても伝わってくる。
彼女は聖女と呼ばれる力を持っている。だから、魔族に対して他の人よりもよほど優位に戦うことが出来ると考えるのは当然だ。しかし、その聖女の力をもってしても、魔族に1人で立ち向かうのは無理があるのではないだろうか。
かつて魔族に対峙した初代聖女の近くには、彼女を助けた英雄と呼ばれる人たちが何人もいたと伝えられているのだ。人間とは比べ物にならないほどに魔法の技術に優れているエルフ族であったという初代でさえも、1人では戦っていなかった。仲間がいた。しかしミレーナ嬢の周りには誰もいない。
本来であれば、エミリオ様やその護衛役として指名されているお三方がミレーナ嬢の助けになっていたのかもしれない。だが、エミリオ様が魔族に操られている張本人という状況下で、彼らに助けを求めることは難しいだろう。話をすることが出来たとして、ミレーナ嬢の発言を本気にしてくれるかどうかは定かではない。かなり優秀だと言われていても、実戦経験はないのだろう彼女だけで魔族の前に立たせるわけにはいかない。
「ミレーナ様」
可能な限り落ち着いた声を出す。マクス様の膝の上というのが締まらない格好だけど、ここでおろしてください・おろさないと揉める方が気が抜ける。
「お願いします。今は、マクス様のお言葉に従っていただけませんか」
私に視線を向けたミレーナ嬢は、少し泣きそうに見えた。
「お姉様、わたし」
「とはいえ、ミレーナ様がそこまでおっしゃるのですから、本当は一刻を争う状況なのかもしれません」
「それは――」
彼女の視線が迷う。なにか、私たちの知らないことを知っているのだろうミレーナ嬢。その彼女がここまで渋るのだから、時間的な猶予がないと判断できるなにかがあったのかも、と想像は出来た。
「ですが、まだこちらがどこまで情報を得ているのかを悟られていないのならば、魔族の思うように踊らされることで、少しでも準備時間を稼げるかもしれないではないですか。今魔族に対して手を出したところで、どれだけの勝算があるのか……マクス様がやっても良いとおっしゃっていない以上、私はミレーナ様が魔族に襲われるかもしれない状況に陥る可能性の高い行動をするのは、反対です」
「でも、お姉様。想像以上に時間がないかもしれないんです」
「ミレーナ様、勇気と無謀は違うものだ、と英雄譚にも書かれておりますわ」
今、策もない状況で、ミレーナ嬢がなにか知っている、とあちらに知られるのは都合が悪い。
「あなたがいなければ、魔族は封じられないでしょう? ならばなおさら。あなたを失うわけにはいきません」
「……そう、ですね。わかりました」
お姉様がそこまで言うのなら、と視線を下げたミレーナ嬢に、マクス様は怠そうに首を傾けてまた虫でも払うかのように手を振った。
「正直、王家やら教会やらにどんな悪影響があろうが、私には興味がない。国全体を護れなんて言われてないからな。ここの土地を任されているだけだ。ただ、ビーと、彼女が大切に思っているもの、人たちに被害が出るのは好ましくないんだ。そんなことになれば、ビーが傷つく。私は彼女を守りたい。あなたも、そのうちの1人だということを自覚してくれないか」
本当はビーさえ巻き込まれていないのなら、全部無視してしまいたい、と本音が駄々洩れているマクス様にコレウスが冷たい視線を向けている。ひんやりした空気が流れてきても、彼は気にする様子がないのだが。
「お姉様の、大切な人? わたしが、ですか?」
きょとんとしたミレーナ嬢は、自分の胸を押さえてこちらを見た。綺麗な瞳が潤んでいる。私が頷けば、彼女は目を大きく見開いた。
「と、言いましてもお友達ではないですけど」
「お友達、では、ない……」
「ここまで関わっておいて、いなくなられても困らない、とは言えませんもの」
私の発言に、ぷっと吹き出したミレーナ嬢は「そういうご自分に正直なところ、好きですよ」と表情を緩め、緊張に強張っていた身体から力を抜いた。とりあえず、1人で魔族を相手にするようなことはしなさそうだ、と安心した私は続ける。
「……私、最近あまり好きではないと気付いたものがあるのです」
「はい?」
「自分さえ犠牲になればいい、というのは違うと思うようになりました。だから、ミレーナ様だけが大変な思いをする必要はないと思います。初代聖女様にもお仲間はいらっしゃいましたよね? 私では力不足かもしれませんが、ここにはみんなが――それに、なんといってもマクス様がいらっしゃるのですもの。頼らないなんて、もったいないですわ」
「それを、あなたが言うのかい?」
――国のために、と私と結婚したあなたが?
マクス様にそっと囁かれる。
私は彼を振り返って。
「あの時も、私は1人ではありませんでした。マクス様がいてくださいました。共に行ってくださると手を差し伸べてくださったではないですか。お忘れですか?」
「いや? 忘れていない。そうだな、誘ったのは私だ。ははッ、あの時この身を差し出してよかった」
とろけるような笑みを浮かべたマクス様は私の手を取って。その甲に、恭しく口付けられた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます