第111話
「と、言われてもなぁ」
マクス様は苦笑いを浮かべ、ミレーナ嬢から遠ざけるように私を抱き締める。それから片手で私の頭を自分の胸に押し当てるように抱えた。落ち着いている彼の鼓動が聞こえる。
「まあ、ビーの親友であるソフィエル嬢があなたを信じていいと言っているんだ。そこは我が妻の彼女への信頼度の高さということで、悪意があるなどという風に疑ってはいないよ。そもそも、疑っていたらこの場にも呼びはしない」
そう言いながらも、マクス様の態度は信じ切っている相手へのそれではない。
もしかしたら、ミレーナ嬢を試しているのではないだろうかと思うくらいに露骨に彼女から私を守ろうとする姿勢になる。いつの間にか、マクス様の後ろにコレウスやアッシュまで立っている。
「いいえ。わたしが信用できないだろうというのは、自分でもわかっています」
「おや。それなのにこの場に来るとは、ずいぶんと肝の据わっていることだね。我々がビーを守るためにあなたに危害を加える可能性は考えなかったのかい?」
いつになく真面目な雰囲気になったミレーナ嬢は、まっすぐに背筋を伸ばす。アメジスト色の瞳が真っ直ぐにマクス様を見る。小柄な彼女が、普段よりも大きく感じられる。しかし、テーブルの上で組まれている手は小さく震えていた。ソフィーは、彼女を安心させるように手を握る。
「お話できる時が来たら、お話します。今は、わたし、それから女神ヴェヌスタを信じてくださいとお伝えすることしかできないんです」
「……ミレーナ様は、嘘を吐いていません。本当のことをお話しされているようですね」
ソフィーの言葉に、私は驚いて息を呑む。手を握るという行動は、ミレーナ嬢を安心させるためのものではなかったようだ。この場において彼女の味方であるべきだろうソフィーにまで疑われているとわかっても、ミレーナ嬢には動揺した様子も不快感を示す様子もない。落ち着いた態度だった。
むしろ、誰も彼女の味方がいないというこの状況に、私の方がショックを受ける。背筋は伸ばしたまま気丈に振舞っているようだけれど、ミレーナ嬢は傷ついているのではないだろうか。
「女神を信じろとは大きく出たな。その程度で私を牽制しているつもりか?」
「牽制だなんて――」
「それとも、聖女の立場であるあなたの口からヴェヌスタの名前が出れば、誰でも畏敬の念を抱くとでも?」
「そんなつもりはありません!」
「あなたにその気がなくても、だ。聞いたものがどう思うかが問題だろう? 私はその程度でどうこうしないがな。だが、他のものはどうだろう」
マクス様は手を軽く振って周囲のひとたちを指す。とはいえ、マクス様の側近のような面々なので、ミレーナ嬢の言葉よりも主人であるマクス様のことを信じているというのがありありな態度で、あまりその主張に説得力はない。とはいえ、このようにギスギスした雰囲気のままでは話し合いにならない。マクス様、と彼の袖を引く。
「うん? どうした?」
「私は、ミレーナ様を信じていいのではないかと思います」
エミリオ様から絡まれているのを、さり気なく避けられるように誘導してくれていたことには後になって気付いた。最初は迷惑に思っていた行為も、私を助けてくれるものだった。あまり押しの強いタイプは得意ではないので友達になれるかどうかは定かではないが、悪い人ではないのだろう。
「……ビーは、ミレーナ嬢を信じられるのかい?」
「愛の女神様にお会いしたことがあるとおっしゃっていたのも、嘘だとは思えません。ミレーナ様の目は特殊でいらっしゃるのでしょう? それに、実際に女神様とお会いできるというマクス様にそんなホラ話をしたところで、真偽はすぐにハッキリしてしまいます」
「まあ、そうだな」
「もう、お確かめになっていらっしゃるのでしょう?」
「ん?」
どうしてこんな意地悪をするのですか、と問うた私にマクス様は破顔した。
「おや、いつ気付いた?」
「では」
「ビーからそこまで言わせるとは、ミレーナ嬢が羨ましくなる」
冗談めかして言った彼は、ミレーナ嬢に向かって
「だそうだ。良かったな。とはいえ、私としてもすべてを知らされたわけではないから、ミレーナ嬢の発言で解せない部分はたくさんあるよ。どうしてそこまで知っているのかは正直なところとても怪しい。しかしヴェヌスタが『ベアトリスの敵ではない』というのだから、ひとまず目的が同じである以上、私にとっても現段階では敵ではないのだろうよ。そこを疑ったところで話は進まない」
と肩を竦めた。彼女を見れば、大きな瞳には涙が浮かんでいる。胸の前で祈るように手を組んで、うるうるとした目で私を見つめていた。視線が交差した瞬間、バチッと音がしたような気がした。
「おッ姉様ぁぁぁあっ」
「待て待て。それは違うぞ」
感動したのか、大きく腕を広げて私に抱き着いてこようとしたミレーナ嬢から私を逃げさせたマクス様は「私のだ」と宣言して見せつけるように頬に口付けてくる。
「あ、ズルい! でも尊い!」
さっきまでの真剣な様子はどこに行ったのか、ミレーナ嬢はいつも通りの元気な声で抗議をしはじめる。しかし、そんな一瞬で緩んだ空気を引き締めたのはメニミさんだった。
「ヴォラプティオ」
彼は唐突に口を開いた。
「ってのに聞き覚えはあるかい?」
「……ヴォラ……?」
聞いたことのない言葉だ。知らないのは私だけだろうか。そっと背後を窺ってみるが、コレウスもアッシュも表情が変わらないのでわからない。マクス様は、一転して無表情にミレーナ嬢を見ている。クララとアミカは目の合った私に小さく首を振ってきたので、彼女たちは聞き覚えのないようだった。
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