第110話

 一人で座れますといつものように主張わるあがきしてみた私に対して


「今の私にとっては、ビーと共に過ごせる貴重な時間なんだぞ? ここにいる連中は私のこんな行動など気にしないだろう?」


 1分1秒たりとも無駄には出来ない、とマクス様はどこまでも真面目な顔で言う。しかし、みんなに見られている状況で、これは恥ずかしい。

 完全にお膝に乗せられている。背中を彼にもたれさせるように引き寄せていると、まるでマクス様を椅子として扱っているようで申し訳なくなる。


「このように抱えられているのは、子供のようで恥ずかしいのです」


 そう言えば、ああ、と理解してくれたようで、彼は私を下におろし――てはくれなかった。今度は横向きに抱えなおし、あろうことかその動作の合間に頬に軽く唇を押し当ててくる。

 情けない声を出しかけて飲み込む。ほんの少しだけ、くっ、と喉が鳴った。顔が紅潮しそうになるのを必死で堪える。呼吸を整え、表情を保つ。

 こちらを見ないようにしているソフィーやクララとアミカ、それから別に興味を引かれているものがあるようで手帳になにかを書き続けているメニミさんは別として、こちらを凝視しているミレーナ嬢とアッシュの視線が突き刺さってくる。

 ――お願いだから見ないで!

 マクス様は、さり気なく私に頬を摺り寄せながらミレーナ嬢に指輪の使い方を説明している。真面目な顔で聞きながらも、ミレーナ嬢の視線は明らかに私に向いていた。

 落ち着かない。ちらちらと見られるのも羞恥心の限界を迎えそうで耐えられないのに、ミレーナ嬢もアッシュも遠慮なく真っ直ぐに私を見てくるのだ。なにがそんなに面白いのか、と恥ずかしさのあまりに八つ当たりしたくなる。

 無でいよう、と目を閉じてみるが、そうすると私の顔のすぐ横で話しているマクス様の声と、その息が肌に当たるのと、時折気にするように私の髪を弄る指先の動きをはっきりと認識できてしまって、眉間に力が入った。


「おい。姫様、変な顔してるけど大丈夫か?」


 我慢していると、暇なのかアッシュが話し掛けてくる。確かに今はマクス様とミレーナ嬢だけで話をしているから彼自身はすることがないのだろうけれど、それにしても、会話を続けている片方の膝に乗せられている人間に声を掛けてくることはないのではないだろうか。


「……大丈夫じゃないわ」


 小声で返すと、ぎゅっと腰に回されているマクス様の腕の力が強くなる。放す気はないという主張に思えて、もぞもぞと動いてしまいそうになる。


「おりればいいじゃないか。」

「できるならしているわ」

「マスター、なんだか姫様辛そうだぞ。おろしてやったらどうだ。」

「やかましい」


 マクス様はまた指を弾いて、その衝撃でアッシュは後ろに引っ繰り返った。派手な音を立てて転んだものの、テーブルの上のカップは無傷だった。お茶が零れないように、隣にいたメニミさんが腕を伸ばして止めていた。


「さっきも言っただろう? 今の私は、ビーと会える時間が少ないんだ。ビーが足りなくて気力が目減りしたら仕事にも影響が出るぞ」

「マスター、アンタそんなに軟弱じゃないだろう。」


 無言でじろりと睨め付けられたのだろう。アッシュはそれ以上なにも言わず、椅子を戻して腰を下ろす。その間に、ミレーナ嬢は指輪をどこにつけるかいろいろと試していたようだ。

 エミリオ様からそれはなにかと疑われるような場所につけることはできない。つまり、手の指は最初から候補外になる。そのような場合は、鎖に通して首から下げるのが一般的だろうけれど、それもなにかの拍子に見つからないとも限らない。色々検討した結果、彼女は見えない場所ということで靴下の下、足の指にその指輪を嵌めることにしたようだ。


「足の指では、靴を履いた時に痛くはないのですか?」

「わたしのことを心配してくださるんですか?」


 そんなところに指輪をつけてから靴を履くだなんて、違和感はないのだろうか。隣の指に当たって痛んだりした時には、常に足が気になってしまいそうだけど。

 尋ねてみればミレーナ嬢は嬉しそうな顔を見せて「前もしていたことがあるので大丈夫です」と不思議なことを言い出した。

 足の指に指輪をつけるだなんて想像したこともない。指輪は、手の指につけるものだと思っていた。ルミノサリアには、少なくともこの国の貴族社会には、そんな習慣はなかったはずだ。


「足の指に、ですか?」

「トゥーリングですよね。これだけ単純なデザインなら食い込みもないと思うので、すぐに慣れると思います」

「トゥーリング……と言うのですね。私、知りませんでしたわ」

「あっ。えと、母の実家があるプリュニスでは珍しくない装飾品なんです。ルミノサリアでは付けないんですね。忘れていました」


 国によって習慣って違いますよね、と言ったミレーナ嬢の目は少し泳いでいるようだった。


「ビーには我慢を強いることになってしまって申し訳ない」


 私の髪に口付けながらマクス様は辛そうな顔をする。


「相手があの時の魔族であるのなら。初代聖女によって封印された力が今どれだけ戻りつつあるのかわからない以上、下手に突いてあなたがもっと悪い状況になってはいけないんだ」

「わかっています」


 みんなに守られているだけの私よりも、周囲のひとたちの方が今辛い思いをしているのだろうことは想像に難くない。今ここにいないクイーンも、私のためにユニコーンを連れてきてくれたのだろうから。

 あの日クイーンが連れてきたユニコーンは、今はアクルエストリアの庭にペガサスと共に滞在している。ユニコーンの身体が傷だらけだったのはクイーンと戦って負けてしまったせいらしい。私のことを助けてくれるように交渉しにいったクイーンが、最終的に力で圧倒してユニコーンを引っ張ってきたのだろう、とメニミさんは言っていた。今やあのユニコーンはクイーンには逆らえないらしく、仲間の元に帰るのを許してもらえていないようだった。


「お姉様、私も今魔族の気配をなんとか追っています。発見できれば、状況を変えられると思います。お待たせしてしまってごめんなさい。私がもっとはっきりと……」


 自分の力不足を悔いるような発言をするミレーナ嬢に対し「そんなことはありません」ソフィーは首を横に振った。


「ミレーナ様は、聖女としてのお勤めだけではなく、今はベアトリスを助けようと寝る間も惜しんで魔族を探していらっしゃいます」


 彼女は、聖女というだけでなく昼間は学生もしていて、そして夕方以降には妃教育までも受けている最中なのだ。そんな忙しい生活の中、本来であれば彼女にとっては関係のないはずの私に掛けられた術を解くために協力してくれている。感謝こそすれど、遅いと責める気などない。


「ミレーナ様、お忙しいのは理解しております。協力するとおっしゃってくださるお気持ちだけでも十分です。感謝しておりますわ。どうかご無理はなさらず――」

「違うんです!」


 彼女は大きな瞳にうっすらと涙を浮かべる。


「わたしが、魔族の名前さえわかれば、すぐにでも見つけられるはずなんです」

「魔族の名前? 名前ならわかっているだろう? 記録がある」

「いいえ。ルミノサリアに伝わっている話は事実ではありません。あの魔族の名前を知れたら、あれのいる場所を強く感じられるようになるのではないかと思うのですが、偽の情報では……」


 彼女がなにを言い出したのか誰も理解できず、メニミさんも手を止めてミレーナ嬢を見る。マクス様はソフィーに魔族の名前を確認する。


「ルミノサリアの資料では、初代聖女を最もてこずらせた魔族を、死を司るもの――モルティフェルと記録しています。またモルティフェルと共にこちらの世界に侵攻してきていた、多くの破壊をもたらした火の魔族をインフェルナスと記録し、その脅威と聖女様のお力を忘れないように、と伝えています」

「モルティフェルとインフェルナス。うん、そうだな。エルフ側にも同じ名前で記録されている。我々が魔族の名前を間違えるはずはない」


 それでもです、とミレーナ嬢は言い切る。


「それらは、正しい情報ではありません。初代聖女の時代、人間の社会に侵攻してきていた魔族たちを裏から操っていた存在。それが、今回エミリオ様に接触してきた魔族です」

「……ミレーナ嬢、あなたは、なにを知っているんだ?」


 人間たちは当然、エルフたちにまでもその存在を隠していた魔族が本当にいるのであれば。それをどうしてミレーナ嬢が知っているのか。

 マクス様の言葉に「今は言えません。ですが、信じてください。わたしは、お姉様を助けたいだけなのです。嘘は吐きません」お願いします、と真剣な様子で言った彼女は、深く頭を下げた。

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