第109話

 ビー、と談話室のソファーに座らせた私の隣からエミリオ様が話しかけてくる。その手が伸びて、私の手を包み込もうとする――


「お姉様、このお菓子とっても美味しいですよ!」


 彼がなにか口を開こうとしたところで、目の前に美味しそうな香りを漂わせている焼き菓子が差し出される。手の持ち主に視線を映せば、そこにはにこにこと楽しそうな顔をしているミレーナ嬢がいる。今私は、エミリオ様とミレーナ嬢に挟まれていた。

 少し離れた場所にあるソファーに腰掛けているソフィーは澄ました顔で紅茶を飲んでいるだけのように見える。けれど、エミリオ様がなにかやりはしないかと、こちらに細心の注意を払っている。


「ありがとうございます」

「お姉様はどちらのお味がお好みですか? わたしはこちらの紅茶の香りのものも好きですが、でもこちらのスパイスの効いたものも美味し――」

「ミレーナ。僕たちの邪魔をしないでくれないかな?」


 もぐ、とお菓子で頬を膨らませたミレーナ嬢は、こてんと首を傾げた。それはとても愛らしい仕草で「きっと本当に理解していないのだろうな」と思わせるようなものだった。

 どうしてそのようなことを言われるのか理解できない、という雰囲気を醸し出しているし、実際エミリオ様は「ミレーナはあまり賢くないから、今の状況についてなにもわかっていない」と感じているだろう。おまけに「食べ物を与えておけば大丈夫」だとでも思っているようで、テーブルの上には山のようにお菓子が並んでいた。


「エミリオ様も召し上がります? 甘いもの好きなエミリオ様には……そうですねー、あっ! この蜜がたっぷりしみ込んでるものはどうですか?」


 口いっぱいに詰め込んでいたお菓子を飲み込んでから、どうぞと改めて聖女が渡してきたお菓子を断ることはできなかったのだろう。エミリオ様はおとなしくそれを口に運ぶと「あ、確かにこれは美味しいね」と口元を綻ばせる。それを眺めながら私は、自分の表情が柔らかく緩むのを感じる。

 好きな人が嬉しそうに、幸せそうに微笑んでいるだけで、満たされた気分になる。

 でも――ああ、これ以上考えてはいけない。考えたら頭が。


 ズキン、と強い痛みを感じて、少しだけ顔をしかめてしまった。


「ビー? 大丈夫かい?」

「ええ、なにも問題はありませんわ」

「そうは言うけど、顔色が悪いようだよ」


 エミリオ様の指が、私の髪に触れる。顔色を確かめるように、髪を持ち上げて覗き込んでくる。労わるような視線に、胸がとくんと鳴る。そして、同時に不快感が生じる。


「まあ! お姉様、具合が悪いのですか? でしたらわたしが治して差し上げますね」


 横から文字通り首を突っ込んできたミレーナ嬢は、私の手を握ると小さく呪文を唱える。なにを言っているのかは聞き取れない。ふわっと温かなものに包まれて、身体の表面が一瞬だけほのかに輝く。


「これでどうでしょうか? 良くなりましたか?」

「まあ、ちょっとした不調でしたのに、わざわざ聖女様のお力を使っていただくだなんて……ありがとうございます、ミレーナ様」

「お役に立てて嬉しいです!」


 ミレーナ嬢は満足そうに微笑む。私も、小さく微笑み返す。

 しかし、本当は何一つ状況は変わっていない。ズキズキと頭は痛んでいる。彼女は、癒しの力に見えるようなものを掛けただけだった。

 彼女が今私に向かって使ったのは、光魔法をアレンジした魔法だ。当然、聖女である彼女は神聖魔法以外使えない。しかし、神聖魔法を掛けられると、今現在私の中で歪んでしまっている魔法に悪影響があるかもしれないとメニミさんから注意を受けているのだ。他の精神に作用する魔法に関しては二日酔いのような現象が起きるだけ、というのはアッシュが実際に睡眠魔法で確認してくれているからわかっている。この件に関して知らされたメニミさんは、なにもわかっていない状態で魔法の重ね掛けなんて危険なことをするんじゃない、とアッシュに対して怒りを爆発させていた。

 それはそれとして、自分の中で生じている矛盾のせいで頭痛や吐き気に襲われている私を見て、ミレーナ嬢が無反応というのはあまりにも不自然だ。最初は私が隠しているせいで気付けなかった……ということにしていたのだが、これだけ近くにいる状態でいつまでも私の体調不良に気付かないわけもない。あちらこちらに顔を出しては癒しの力を惜しげもなく使うことで有名な聖女様が、ことさら仲良くしたいと公言しているベアトリス・シルヴェニアが調子を崩しているのを見てなにもしないということはないだろう。

 そこで、身体の表面をほのかに光らせるだけの魔法を使えるようにした指輪状の魔法具を使って、私を治癒している振りだけをするようにお願いした。ルクシアの言葉を信じるのなら、下手に手を出してただでさえ魔族から煙たがられているだろう聖女が、彼らに明確に敵だと認識されるのは好ましくないのだ。


「それはいいんですけど。わたしの魔法に全く効果がないというのはおかしくないですか?」


 協力を求められたミレーナ嬢は、指輪を受け取りながら聞き返した。

 歴代の聖女の中でも優秀という評価を受けている彼女の魔法が効かないはずがない、そう言いたかったのだろう。

 その日、ユニコーンの協力で短時間なら自分の恋愛感情に関して正常な認識に戻してもらっていた私は、マクス様と共に。ミレーナ嬢やソフィー、それからクララたちやメニミさんたちまでを招集して、再びお茶会という名前の作戦会議を行っていた。


 メニミさんの研究によって、私の状態を一時的に戻すのに効果のある成分が、ユニコーンから採取できると判明した。しかし、それも完全に治すようなものではなく、かつ抽出したもので代用してみたところ、それでは10分ももたなかった。

 かといって、毎日クイーンとユニコーンから舐められてしまうと洗い流すのに時間がかかる。かなり頑固なユニコーンのそれを取り除くことを繰り返していたら私の髪が痛んでしまいそうだとクララとアミカが言い出したので、頻繁に使うことは禁止された。

 髪の毛程度、傷んだら切ってしまえばいいと思ったのだけど、魔法を使うには髪は長い方が都合が良いらしい。言われてみれば、マクス様もコレウスもクララも、もちろんミレーナ嬢やソフィーも長髪だ。

 そんなわけで、私の体調を一番に考慮された結果、相変わらずマクス様は城に戻ることはできずにいた。


 お茶会の場所は、前回と同じく辺境伯領。

 ここから異界に繋がる扉にはやはり異常はなく、エミリオ様と接触しているのだろう魔族が訪れている様子もないようだった。と、いうことは、魔族はエミリオ様の近くに潜んでいるのかもしれない。しかし、その存在をミレーナ嬢もまだ知覚できていないのだという。

 自分の魔法が効かないのは不自然なのでは? と主張したミレーナ嬢に


「大丈夫だ。魔族というのは、ミレーナ嬢たちが想像している以上に気位が高く自惚れも強い。彼らは高慢だからな、人間程度では自分たちの魔法に干渉できなかったとしても疑問に感じたりはしないだろう」


 私を膝に乗せた状態のマクス様は軽く答える。ミレーナ嬢は「そういうものなんですね」と納得してくれたらしい。そして、私たちのこの体勢については一切の疑問はないようだった。

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