第103話
ふーっと長く息を吐くと、気を取り直したように頭を振って
「話を整理するぞ」
マクス様は長い指でコツコツとテーブルを叩く。
「まず大前提。エミリオはビーに対しての恋心を未だに抱いている。そして、私が彼女を自分から奪っていったとお門違いな恨みを募らせている。ということだったな?」
『はい』
とうとう呼び捨てになったことについて、やっぱり誰もなにも言わない。蔑称よりはマシと考えるべきなのかもしれないけれど、どちらにしろ王族を語る言葉遣いとしてそれはないのでは……? いやしかし私の夫もある意味王のような立場なのだからいいの? と葛藤している私を無視して彼らは話し続ける。
「それから、惚れ薬を飲ませたのは第二王子で間違いないんだな?」
「だろうねー。淹れてきたのは別の人間だったみたいだけどさー、飲む前にカップを交換したって言ってたよねー? 淹れただけじゃ効果は発揮されないものだからさー、触れた時に自分の魔力でも通したんだろうなー」
ソフィーとメニミさんが頷きながら肯定する。
「じゃあ現状を確認しよう。その1。エミリオの執着みたいなものが、鎖のような形状でビーに絡みついているとルクシアが言っている」
「そうそう。それ、ボクには見えないんだけど、常に繋がってるみたいだねー。光精霊いわく、その鎖を構成しているのは王子の念そのものなんだけど、そうなったのには手を貸してる存在がいるはずだ――って言うんだよねー?」
マクス様の言葉をメニミさんが補足する。
うん、と頷いて、マクス様は2本指を立てた。
「その2。ルクシアはその鎖に見覚えがあって、それを過去に見たのは初代聖女がルミノサリアに現れた頃だ」
「ルミノサリアの英雄って呼ばれてるオスリアン王、いるだろう? 聖女と共に世界を救ったとか言われてる人間だねー。あの人がさー、魔族に操られてる時に見たものにそっくりなんだって言っててねー?」
聖女が現れて、魔族からの侵攻などを防ぐべく奮闘していた頃。ルクシアは初代と一緒にこちらの世界に来ていたのだろうか。
――その頃のことを知っているのだから、きっとこっちに来ていて……もしかしたら、初代聖女様のお手伝いをしていたのかもしれないわね。
もしそうだとしたら、とんでもない精霊と契約をしてしまったことになる。もしも聖女の成し遂げたとされていることのいくつかがルクシアの力のおかげだったとしたら。
――私にも、初代聖女と同じようなことができる可能性が、あるのかも。
ぞわっと鳥肌が立つ。それがどんな感情から来たものかは定かではなかった。
『……そのルミノサリアの英雄最大の危機については詳細を伺いたい気持ちも当然あるのですけれど、今はそれどころではないですものね。我慢しますわ』
「ははッ、そういうふうに言ってしまっては、結局我慢できていないことになるな」
ソフィーの言葉を笑い飛ばしたマクス様は指を3本立てる。
「その3。つまり――今回の件の裏には、魔族がいる可能性が高い」
「ってことになるだろうねー」
「そもそも、聖女がこのタイミングで現れたことについて、彼女が必要になるような事態が引き起こるのだろうと一部のものは理解していた。これはきっと、魔族の再来を意味しているのだろうとな。こちらでも、教会側も同じように考えて動きだしているのは確認できた。多分、国王だって楽観視はしていないだろうな。私の方でもいろいろと調べている話はしただろう? しかし、未だにその確証が得られていない状況だった……」
聖女の出現は、必ずしも喜ばしいものではない。それは聞いていた。むしろ、この国の防衛を担うひとたちにとっては不穏なものだったのかもしれない。
結婚式のあの日、聖女が現れたという報告を聞いた時の国王様の表情は必ずしも嬉しそうなものではなかったように思える。もしかしたら国王様にとっても、この国にまた脅威が訪れる予兆を耳にした瞬間だったのかも。
――でも、聖女の降臨をただ喜ばしいことだと思っている国民の前では、そんなことを表には出せなかった。
そう考えると、国王様の悩みも理解できるような気がする。
「こちら側から閉ざした異界の扉は、どこも封は解かれていません。力を削られてあちらに戻っていた連中の仕業ではないでしょう」
コレウスの言葉にマクス様は難しい顔になる。
「と、いうことは、もともとアレは異界に逃げ戻ってなかったということだ。てっきり聖女にやられて逃げ戻ったと思っていたんだが」
「戻るほどの力すらなかったのかもねー」
『解呪を試さなくて良かった、というのは、下手に手を出していたら魔族からやり返されていたかもしれない、ということですか?』
尋ねるソフィーの顔色は悪い。真っ青になっている。いくら優秀な聖なる乙女と言われてきた彼女でも、いざ魔族を相手にするとなると躊躇うのは当然だ。
「そうそう。敵だと認識されちゃったら面倒だろうからさー、とりあえず王子の味方のフリしておくのが一番だろうねー」
「本当に魔族が絡んできているとなると、ミレーナ嬢の力も借りなければいけないだろうな。契約者の命が尽きれば術は解けるかもしれないが、それも確実でないうえに、仮にも愛しい妻のためとはいえ、一国の王子の命を狙ったら私だけでなくビーやビーの実家にも迷惑がかかるだろうからなぁ」
それはできないとマクス様は目を細めた。
「魔族から渡された惚薬なんだったら、そりゃこっちにあるものだけじゃ解除できないのも当然だって納得できたねー。でもなー、普通だったらあっちで作られた薬なら効果は抜群だからさー? こんな感じにこんがらがって発現することはないと思うんだけどなー?」
「それだけビーの私に対する愛情が深かったということだな」
何故か胸を張ったマクス様に「それは関係ないさー、多分」とメニミさんは遠慮がない。
「そっちじゃなくて、効果に関してはベアトリス嬢の方になにかあったんだろうねー」
「だから、ビーの私への愛が」
「だから違うって言ってるじゃないかー」
絶対に違うと言い切られ、マクス様は非常に不満そうな表情を浮かべる。そんな彼の腕にそっと手を乗せる。
「マクス様」
「ん?」
「メニミさんはああおっしゃってますけど」
私はマクス様の耳元に顔を近付けて。
「もしも、私の『愛』のせいで正常に術が発動していなかったというのなら、この想いは本物だということですよね?」
「……っ!」
「……マクス様?」
小声で尋ねれば、彼は唇を固く引き結んで黙ってしまう。どうしましたか? と聞いても答えてはくれない。今まで軽口を叩いていたのに、神妙な顔になってしまった。
――今は、こんなことを言っている場合ではなかったのだわ。
マクス様は、重くなりそうな空気を和ませてくれていたのだろう。状況を受け止めれば、少し浮かれたような発言をしてしまった自分が恥ずかしくなった。
下を向けば、マクス様は彼の腕に乗せた私の手に彼の手を重ねて来て、優しく握ってくれる。その仕草は、励まされているようで余計に少し浮かれてしまった自分が情けなくなった。
「それにしても、ミレーナ嬢はうまい具合に立ちまわってくれているな。最初に『お姉様』とかビーに言ってきていた頃の話を聞いている限りでは、非常にお転婆で思い込みの激しいお嬢さんなのかと思っていたが」
マクス様は空気を変えるように話を斜めに向ける。ソフィーは軽く握った手を顎に当てて、思い出すように斜め上を見た。
『そうですね。私もはじめはとんでもない方の補佐になってしまったと思いましたが……このような言い方をしてはいけないかもしれませんが、とてもよく状況を把握していらして、それだけでなく、周囲のご自分に対するイメージに沿った行動をされているように思えます』
「あの子についても調べたいことは多々あるのだが、今はそれどころではないしなぁ……ビーの親友の目から見て、彼女は信用できる人間だと思えるかい?」
その問いに、しばらく考えていたソフィーは、まっすぐにこちらを見て綺麗な笑みを浮かべた。
『少なくとも、ベアトリスの敵にはならない方だと思います。ということは、ベアトリスを心の底から愛していらっしゃるシルヴェニア卿にとっても、そして親友である私にとっても、敵ではないということになりますね。私、ソフィエル・アンネビーの名にかけて、聖女ミレーナ・カレタス様はこの件に関しては信用するに足る方だと断言できますわ』
「なるほど? ……あなたはビーを絶対に裏切らないと信じているよ、ソフィネル嬢」
ソフィーの言葉ににこりと微笑み返したマクス様は、あまりにも美しくて、そして同時にとても恐ろしかった。
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