第102話

「阿呆なのか、あの王子は」

「マクス様、お言葉が過ぎます」

『そうおっしゃる気持ちはわかりますわ、シルヴェニア卿。私も毎日のように思いますもの』


 この場で私以外で唯一の人間でありルミノサリアの国民であるソフィーまでもそう言うものだから、これ以上彼を擁護するような発言をすると私が責められるかもしれない。エミリオ様への発言について窘めるのは、今しなければいけない話の本筋から外れてしまう。また後日話すことにして、口を閉じる。

 そんな私の態度をどう思ったのかソフィーは彼女は鹿爪らしい顔で言う。


『……ねえベアトリス? 覚えておいて。恋している人なんて、総じて愚かなものなのよ』


 恋愛に慣れていないから知らないだろうけど、と言うけれど、しかし聖なる乙女としてずっと教会暮らしをしていた彼女の浮いた話も聞いたことはない。でも、これも今は関係のない話になるから声に出さない。


「それとは別の意味でアレは愚かだろうが」


 マクス様の文句は止まらない。今の状況を作り出した張本人だろうから気に入らないというのは十分に理解できる。私だって、今やどう転んでみても彼が賢いとは思えない。

 例えマクス様を愛していなかったとしても、離縁後に私が再婚相手としてエミリオ様を選ぶことはない。一度は公的に、しかも国民の多くが知っている状況下で婚約破棄してきた相手と、厚顔無恥にも結婚しようとする人間がどこにいるというのだろう。もしも本気で婚約者を愛していたのだとしても、どんな顔をして婚姻関係になれるというのか。その後の一生を送れというのか。

 第一、この国では誰もが、聖女様と時の王子様の結婚は当然のことだと信じている。エミリオ様の『正しい』結婚相手はミレーナ嬢であるべきだというのが大半の意見だろう。

 ――いえ、エミリオ様はミレーナ様とは結婚しないというようなことをおっしゃっていたけれど……これって他の方はご存じなのかしら。

 そろそろ理解した方が良いわ、とお姉さんのような顔で言ったソフィーは、皆を見回すような様子を見せてから『これから話すことは、私の推測が主なものであって、確実なのものではありませんわ』と念を押してから口を開いた。


『エミリオ殿下は、今回のこの結婚について、本気で自分のものを不当に奪われたと思っていらして――婚姻誓約書に穴はないか、どうにかしてベアトリスの婚姻をなかったことにできないかと調査を続けていらっしゃるのはご存知ですわね?』

「いくら探したところで見つかるものか。誰かに文句を言われるような筋合いはないぞ」

『今度、シルヴェニア卿とベアトリスを王宮に呼び出そうとしているという話を小耳に挟みました。もし今の、ベアトリスがエミリオ殿下を愛していると思わされていて、シルヴェニア卿を拒絶している状況を国王様や王妃様がご覧になったのなら――どちらの発言が本当だと思われるか……それがとても不安なのです』

「ああ、確かにな。国王は私のこともよく知っている。ベアトリスの感情を自分の思うままに操ることも可能だと思うかもしれんなぁ。ビーの態度でこの婚姻が不当なものであると主張しようというというのなら……なるほど、考えたな」


 しかし、それにしてはこの惚れ薬がどこから出てきたものなのか、という疑問は解決されていない。


「あのー、いいかい?」


 メニミさんが短い腕をぶんぶん振り回して自分に注目を集めさせる。


「光精霊と闇精霊が、ベアトリス嬢に鎖みたいなのが絡みついてるって言ってる話はしたよねー? それなんだけどさー、大昔にも見たことがあるって言うんだよー」

「どこでだ?」

「大昔も大昔。初代聖女がここに来た頃らしいんだよねー」


 初代聖女の時代といったらどれほどに古い話なのか。思いがけない人物の名前を聞いて、私はソフィーを見る。


「ほら、途中まで英雄として前線で戦ってた王子がさ? 一時的に魔族に操られていたのを、聖女が救い出したって話があるだろー?」

『あ、それは……』


 そんな話、あっただろうか。首を傾げたのは私だけで、マクス様は当然、それからソフィーも知っている話のようだった。私の反応に、メニミさんは「おやぁ?」と私と同じ方向に首を傾げる。


「知らないかい?」

『その話は、教会でも極秘とされているのです。教会の中でも高位の方々と、聖女となる素質のある聖なる乙女たちにしか知らされません。ベアトリスは知らなくて当然よ』


 私が無知なわけではない、というようなフォローを入れてくれたソフィーは、メニミさんから続く言葉に苦笑いすることになった。


「なんで秘密なんだい? 王家の人間が魔族と繋がりがあったと誤解されるのが困るのかねー?」

『あれは不意をつかれて魔族の絶大な力に勝てなかったというだけであって、それだけで魔族と繋がっていたなどと、ましてや自分の意思で操られたなどと、そんな捻くれた見方をするものはおりませんわ。ただの人間では太刀打ちできないような力を持つ魔族相手だったからこそ、聖女様のお力が必要だったのですから』

「そうなのかい? じゃあ……」


 どういうことなんだろうねー? とメニミさんは上を見て身体を揺らす。


「ああっわかったよー! 初代聖女が個人的に魔族と交渉できる立場だったってのを知られるのが困るんだねー? そうだよねー、聖女と魔族が顔見知りなんて、そんなの妙な疑い持つのもいるだろうからなー」

『……はい?』

「違うのかい? じゃあなんだろうねー?」


 ソフィーが困り果てた顔になって、私とマクス様に助けを求めるような視線を向けてくる。そんな目で見られても、私も困る。私の知らない話ばかりで、しかもメニミさんの言葉が真実なのかどうかもわからないのだ。どうなのでしょうか、とマクス様を見れば、彼は苦い顔をしていた。


「メニミ、その話は人間は知らないことなんだがな? 余計なことをベラベラ喋るんじゃない、まったく。お前は、精霊たちから聞いた話だけを話せばいいんだよ」


 お前、やらかしたな。

 マクス様は額を押さえて溜息を吐いた。

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