第101話
「やあ、こんな時間にすまないね」
『大丈夫です。親友であるベアトリスの一大事と言われたら、もっと深夜の呼び出しでも応じますわよ?』
鏡の向こうで、ソフィーは上品に微笑む。しかし、その笑顔が私を見て引き攣った。
『……ベアトリス? その格好はどうしたことなの……?』
「お願いだから、聞かないで」
ユニコーンからなにかをされて上半身べとべとなのだけど、見えていなかった私自身はなにが起こっていたのか把握していないままなのだ。周囲の反応を見るに、理解しない方がいいのだろうということは理解している。だから、ソフィーにも深く考えないでもらいたい。
『ベアトリス、今まで黙っていたけど、大体のお話は教えていただいていたの。エミリオ殿下が貴女に惚れ薬を飲ませたのでしょう? 身体は辛くない?」
「知っていたの?」
それにしては、彼女たちがなにかをしてきたということはなかった。ミレーナ嬢もソフィーも、いきなり「一緒に行動してください」と理由も告げていない不審極まりない申し出を快く受け入れてくれて、可能な限り学院では共にいてくれていたけれど、それだけだった。
アレク先生に必要とも思えない手伝いをお願いされていたので、お昼休みにもエミリオ様と交流しなければいけないということは少なくて、顔を合わせて話をするたびに彼に対する愛しさが増してしまうように感じられる私にとっては非常に助かる状況だった。あれがマクス様が手を回してくれていたから、と説明されれば、なるほどと納得できる。
「状況がはっきりするまで余計なことはしないでほしいというお話でしたので、浄化や解呪などは試みておりません。一緒に行動することは増えていましたが、私たちの動向についてエミリオ殿下が怪しんでいる様子はないように思います。もしかしたら、彼女に対するベアトリスの態度の変化は、惚れ薬の効果によるものだと思っていらっしゃるのかもしれませんね。これからご自分が結婚するはずの聖女と、自分に想いを寄せている元婚約者が仲良くなるはずもないと思うのですけれど』
エミリオ様がなにを考えているのかわからない、というソフィーの言葉に全員が同意を示す。
「世の中の女がみんな自分のことを好きだとでも思っているのか? 全員が自分を愛していれば平和だとでも?」と呟いたアッシュは、メニミさんから揃えた指先で脇腹をズンッと刺されて軽く悶える。
「あー、解呪は試さなくて良かったと思うよー」
メニミさんは、ノートになにやら書きつけている。字は小さく、見たこともない文字なので書かれている内容は理解できない。
「相手が悪いみたいだからさー? いくら聖女様でも、無防備な状態でやってたら無事では済まなかったかもしれないねー」
「相手が悪い、というのは、エミリオ様のことですか?」
「いんやぁ? 人間なんてのはどうでもいいのさー。光精霊がヒントをくれて、多分これが黒幕だろうなーっていう見当はついたからねー? これからは、じゃあアレにどうやって対抗するかって相談をすることになるねー」
本人はルクシアとの会話からなにか理解したように見える。しかし、まだ説明を受けていない私たちにとっては、メニミさんがなにを言っているのかさっぱりなのだ。早く教えてほしい、という周囲の空気感はあるが、マクス様は鏡を指す。
「まずはソフィエル嬢の話を聞こう。以前私に聞かせてくれた例の話。あれをビーにも聞かせてあげてくれるかい?」
はい、と頷いたソフィーは話しはじめる。
『以前もお話しましたが、エミリオ殿下は、ベアトリスをシルヴェニア卿に奪われたと思っていらっしゃいます。当初そこにシルヴェニア卿に対する悪意はありませんでしたが、今はその限りではないというのがミレーナ様の見立てです。ベアトリスに対する執着だけだったのが、今は彼女を篭絡しているシルヴェニア卿を妬んでいるようですね』
ソフィーは落ち着いた口調で話す。本当なら黙って話を聞くべきだろう。でも、その内容に思わず口を挟んでしまう。
「待って、ソフィー。私、エミリオ様に執着される覚えなんて――」
彼とは様々な条件を鑑みて婚姻が決まっただけであって、婚約する前の幼馴染時代も、立場的に当然のものであって特別なものではなかったはずだ。正式な婚約者として決まった後も、何度思い返してみたところでそこに恋愛関係における甘いようなものはなかった。
『ベアトリスにはなくても、あちらにはあるのよ。貴女は、自分に向けられている好意に対して鈍すぎるわ。貴女が思っているように相手も想っているとは限らないのよ』
「ビー、理解できたかい? そういうことだ」
マクス様が面白くなさそうに目を細める。どういうこと? とうっすらわかりかけているものを理解したくなくて、思考を停止させている私に、ソフィーは焦れたように首を振った。
『とっても無粋なことだってわかっているけれど、ビーにははっきり言わなければ駄目なようね。エミリオ殿下は、昔からベアトリスのことが好きなのよ。幼馴染に対する親愛の情じゃなくて、ちゃんと一人の女性に対する感情として、貴女に好意を寄せていたの』
まさか、と笑いそうになる顔を、ソフィーは怖い顔で睨んでくる。
『あれだけ長いこと一緒にいたのだから、エミリオ殿下もその想いをいつだって貴女に伝えられたはずよ。でも、聖女は自分たちの代ではもう現れないだろうと、貴女は絶対に自分の妻になるのだと高を括って、鈍いベアトリスに自分の感情を伝えなかったエミリオ殿下に非がないとは言わないわ。でも、貴女の『決められた婚約者だから』って、それ以上の感情を持たないようにしていた態度もどうかと思うわ」
「え、待って。そんなの知らないわ」
『嘘をついてどうするの』
半端に浮かんだ笑顔をそのままに、問い返せば、ソフィーは首を横に振った。
『今になって、シルヴェニア卿に盗られたと思って惜しんでいるわけではないのよ。昔から、彼は貴女のことだけが好きだった。貴女と結婚するつもりだった。彼の人生において、彼の隣に立っているべきだと考えられているのは、聖女であるミレーナ様ではなくて、ベアトリス、貴女なの』
エミリオ様の発言と私に惚れ薬を飲ませたという事実から、今の彼にとって、私が彼に対して恋愛感情を持っているという状況になんらかの得があるのだろうと想像は出来た。
しかし、国に益をもたらすと言われている聖女よりも、公爵令嬢であっただけの私に固執する理由があるようには思えない。私の召喚魔法についてもまだ知らないだろうから、それを必要としているわけでもないだろう。
『それにね、ベアトリス。貴女、エミリオ殿下から言い寄られた時、既婚者なので、と毎回断っていたでしょう? その断り方のせいで、まだ自分にもチャンスがあると思ってしまったのではないかと思うの』
「既婚者でなければ、私がエミリオ様と結婚する可能性があるという意味?」
『結婚しているのは事実だとしても、そこに愛がないのなら、相手から無理矢理に結ばされただけの関係であるのなら、まだ自分と結婚してくれるかもしれない、ってことでしょうね』
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