第99話

 食事を終え、応接室に皆が揃う。


「いや、こういう話は食事の前にするべきだったねー。ベアトリス嬢が内容聞いて具合悪くなるような話だからねー」

「いえ、大丈夫です」


 どんな話かはわかっている。想像するだけでも少しの頭痛はあるけれど、前に比べたら痛みにも慣れてきている。気遣われて、自分のことなのに蚊帳の外にされるのも避けたい。


「じゃあ、精霊たちから聞いた話をするよー」


 全員が真剣な顔で、メニミさんの話を聞く態勢になる。それがねー、とメニミさんが話し出そうとした時、窓がバシバシ叩かれた。手で叩いているとは思えないような大きな音。いや、通常の客人であれば、玄関から来るはず。それ以上に、ここに立ち入れるものなど限られている。全員一斉にそちらを見るが、カーテンに遮られてなにも見えない。

 コレウスが音もなく窓に近付く。アッシュが私を庇うように私の前に立った。


「どなたですか。訪問は玄関から――」


 カーテンを開けながらコレウスが静かな声で語り掛ける。しかし、彼はその仕草の途中で動きを止めた。


「……クイーン?」


 コレウスの言葉の通り、暗くなった外にクイーンの真っ白い姿があった。早く開けろ、とでも言いたげに身体を窓ガラスにぶつけている。それ以上やられたら硝子が割れてしまう。窓を開ければ、クイーンはゆっくり室内へと入ってきた。


「クイーン? 久し振りですね」


 私に向かって真っすぐにやってくるペガサスの長に、メニミさんもアッシュも頭を下げる。私の前は彼女のためにあけられる。クイーンは、私が倒れた日に消毒をしに来て以降、姿を見せていなかった。私自身も混乱していたこともあって、どこに行ってしまったのかを気に掛ける余裕もなかった。

 ブルッと鼻を鳴らしたクイーンは、気に入らなさそうに私の匂いを嗅ぐ。来る、と覚悟を決めたのだけれど、クイーンは私を舐めようとはしなかった。


「クイーン?」


 どうしたの? と見上げればすりすりと私に顔を擦りつけたクイーンは窓の外へ出ていった。


「?? なんだったのかしら……?」

「どうしたんでしょうね、クイーン」


 しかし、帰ったわけではないらしくまたすぐに室内に戻ってきた。その後ろに、クイーンよりも小柄な姿があった。クイーンと同じく輝くような白い体躯だが、翼はない。その額の真ん中には螺旋状の角が生えている。


「わー。ペガサスとユニコーンが並んでるよー」


 珍しいねぇ、と感嘆の声を上げたメニミさんに、すかさず「アンタも一応幻獣種だろ」とアッシュが軽く小突くような仕草を見せる。

 トボトボというのが相応しい様子で入ってきたユニコーンは、クイーンに怯えているようにも見える。明るいところで見たその顔や身体にはいくつもの傷がついていた。


「怪我をしたユニコーンを連れてきたんでしょうか?」

「いやーあれはー」


 手当をしなくちゃいけませんね、と回復魔法を使えるものを連れてこようとしたクララを、メニミさんが止める。見ていると、クイーンがユニコーンを鼻先でつついている。とりあえず動くなと指示されるので、全員座ったままクイーンの動向を見守る。ぐいぐい押されたユニコーンは渋々といった様子で私の前にやってくるとそっとその角で私に触れた。


「…………」


 なにをされているのかはわからない。とりあえず、ユニコーンを驚かせるのも、怖がらせるのも、怒らせるのも駄目だ、と息を殺してされるがままになる。そのうちに、ユニコーンはクイーンがするように私の顔を舐め始めた。べろべろと舐められている私を、アッシュが気色悪そうな顔で見ている。実際に長く分厚い舌で顔を舐めまわされている私は、本当に気持ち悪いのだけど。

 目を瞑って終わるのを待っていると、ユニコーンの顔が遠ざかったように感じられた。うっすらと目を開けると、クイーンとユニコーンが揃って私を覗き込んでいる。


「っ!?」


 なんとか悲鳴を上げずに堪える。歯を食いしばって、拳を握ってメニミさんからの許可が出るまで動かずに耐えていると「……っ、わ……ッ」クララが耐えかねたように声を上げ、慌てて口を押える。


「ひっ……!!」


 頭の上から、なにか生温かい液体が降って来る。クララはとんでもない形相で口を押え、アミカは唖然として目を真ん丸にしている。アッシュとコレウスは見るに堪えないといった様子で、私から顔を逸らした。他のひとたちの様子とは対極的に、メニミさんは目をキラキラさせてこちらを見ている。

 完全に硬直した私の頭から顔にかけて、どろどろねばねばとしたものが伝い落ちてきている。


「ベアトリス嬢、危険はないから落ち着いて。動かずにいるんだよー」

「っ……」


 うんうん、と小さく頷く。大丈夫だから、と言うメニミさんの声が楽しそうだ。顔面にも粘度の高い液体はべたりと張り付いてきているけれど、苦しくはないし、目も見えている。


「苦しくないかい?」


 私はまた頷く。


「クイーンは一体何を……?」


 小声のクララに、メニミさんはしーっと唇に指をあてた。なにをされているのか理解したくなくて、上を向くことはできない。表情を強張らせたまま、私は浅い呼吸を繰り返している。しばらくして、クイーンとユニコーンは私から離れると部屋の隅に移動した。

 クララから差し出されたハンカチで目元を拭う。お風呂、といいたいところだけど、そう言い出せる雰囲気でもない。


「奥様、ええと、その」

「なにも言わないで……」

「あの、ええと」

「いいの、なにも言わないで」


 私から距離を取ろうとするアッシュを少し恨めし気に見てしまう。ずっと顔を背けているアッシュは居心地が悪そうだ。いつの間にか部屋を出ていたコレウスが、温かな濡れたタオルを持って来てくれた。それで顔を拭うと、メニミさんが笑顔で話し掛けてきた。


「いやー。面白いものを見たよー」

「面白いってメニミさん」

「やー、ペガサスが自分にとって嫌な匂いを取るために舐めてるのは見たけどねー? ペガサスにそういう力はあんまりないから、消臭的な程度しか効果はなかったみたいなんだけどさー」


 メニミさんが声をひそめる。クイーンが気分を害してはいけないと思ったのかもしれない。しかし、ユニコーンには浄化の力があるのだという。


「だから多分、あれ、無理矢理連れてこられたんだよー。勝負に負けて逆らえなかったんだろうねー」

「クイーンが、私の今の状況を打開するため、ユニコーンを連れてきてくれたということですか?」

「ベアトリス嬢のためというより、自分のためだろうねー。ところで」


 小さな音を立ててドアが開く。誰が入ってきたのかと顔を向ければ、そこにはマクス様の姿があって。


「マクス様……」


 彼は、戸惑ったようにそこから入ってくる様子はない。


「えっ、旦那様?! どうして帰ってきちゃったんですか?! 奥様の身体に障るかもしれないじゃないですか!」

「メニミが、多分帰ってきて大丈夫だと……」


 ビー、と言いたそうな目で見てくる。なんだか、悪いことをしてしまった子供のように見えて笑えて来る。


「……本当に大丈夫か?」

「大丈夫です、一応」

「……あれ?」


 クララがぱちぱち瞬きしてから、私とマクス様を何度か見る。それから「奥様、旦那様のこと、嫌じゃないんですか?」驚いた声で尋ねてきた。


「あら? そういえば」


 この前までは、顔を見ても不快感がこみあげていたというのに、今は大丈夫だ。なんの問題もない。

 もしかして、元に戻ったの? 私は、期待半分に頭の中に思い浮かべる。

 ――私の好きな人は……マクシミリアン・シルヴェニア様……!!


「! マクス様、マクス様、私っ、大丈夫ですっ」


 思わず彼に手を伸ばす。駆け寄ってくれた彼は、私の手を握って「私のことが、嫌ではないのか?」と恐る恐る聞いてきた。


「はい、全く。いえ、そうではなくて、好きです、私、マクス様のことを愛してます」

「ああ……っ、ビー!」


 良かった、と私を抱き寄せたマクス様の身体にもドロドロがまとわりつく。

 ……これがなにかは、深く考えるまい。


「ほー??」


 大きな目を真ん丸にしたメニミさんが身体ごと傾いでこちらを見ながら興味深そうにしている。


「思った通りだねー? 一応、今のところは効果が消えてるよー。っていっても、これ多分一時的なものだろうけどねー。どれくらいの時間、効くのか試してみようねー」

「は? 一時的? 完全に戻ったんじゃないのか」


 不機嫌な声を出すマクス様に、メニミさんはにこにこしている。


「そんな簡単には戻らないさー。一時的といっても、仲介して話をするとズレてしまうことがあるからねー? 直接話をできるようになったなら良かったよ。マスターがまだベアトリス嬢に手を付けてなかったからユニコーンの力が働いたんだねー。いやーベアトリス嬢が清らかな乙女で良かった良かった。処女じゃなかったら、ユニコーンは助けてくれないよー」

「?!」


 絶句したマクス様と私に、メニミさんひとりだけが満面の笑みだった。

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