第97話
「あのさー?」
つんつん、と私の腕をつついてきたメニミさんが小さな声を出す。
「名前呼べば、来てくれるって言われてたのかい?」
「その……ようです」
「知らなかったんだねー?」
困ったような笑みを浮かべたメニミさんが、複雑そうな顔をしている。
精霊の姿が見えるのも話が出来るのも一般的ではない、という話も知らなかったし、呼んでいいと言われたのが、名前だけで召喚できるという話なのも理解していなかった。
――そんな話、メニミさんからも教えてもらっていないし、読んだことのある召喚魔法に関する文献にもなかったもの。
責められることではない、と開き直りたいが、しかし私がこの事実を認識していなかったせいで召喚魔法の訓練なども遅れてしまったのは確実だろう。
「まあ、こっちもそんな契約内容とは想像してなかったからさー? 普通に今のやり方で召喚魔法を使わせようとしてたのがいけなかったんかねー。それにしても……こりゃ説明不足ってやつさー」
はふ、と溜息を吐いてさらに小さな声を出す。
「ゲートを開くために魔力が必要ないとなると、精霊がこっちに滞在するための力だけ貸せばいいってことだよねー?」
メニミさんは、少し悩むように低く唸る。
「うーん、ちょっと判断が難しいなー。今光精霊から、闇精霊も呼び出すように言われたんよねー?」
「はい」
「同時に2体も召喚して大丈夫なんかねー?」
「私に言われても……」
メニミさんにもわからないのなら、彼と比べて圧倒的に知識の不足している私に判断がつくわけがない。ふたりして困っているとルクシアの輝きが強くなる。
『ベアトリス、なにをやっているの? 呼ぶだけよ。早く』
チカチカと光っている彼女は、少し苛立っているようにも見える。精霊から要求されたのなら、やるべきなのだろう。しかし、メニミさんは安全性を保障できないからあまりやらせたくないようだ。
――もしも失敗したら、精霊が暴走するようなことがあったら。
そっと胸に手を当てる。
――私の、命は。
ぐらっと世界が揺らぐ。ああ駄目だ。ここにある彼の印を思い出すと、また頭が痛くなって、体調が一気に悪くなる。しかし、今は気を確かに持たなければいけない。痛みを逃がしつつ魔力の安定を図っていると、アミカから送られてくる力が多くなった。彼女が必死に私に合わせようとしてくれてるのを感じる。アミカの努力を無駄にさせるわけにはいかない。
ルクシアに送る魔力量を減らせば、調整は少し楽になる。
「ルクシア。あなたとノクシアを同時に呼び出すことが、私に出来ますか?」
『いいから、早くノクシアを呼んで』
メニミさんと目が合う。これ以上引き延ばしても、ルクシアをもっと苛立たせるだけだ。精霊の機嫌を損ねるのも危険だ、というのはメニミさんから教え込まれた。仕方がないから信じてやってごらん、と言われたように思えて頷いて返す。
「ノクシア、ここに顕現してください」
成功しますように、と祈るような思いで闇の精霊の名を呼べば、すぐさま彼女が目の前に現れた。
ズッ、と一気に魔力を持って行かれる。視界の隅で、アミカも苦しそうな顔になっているのが見える。私の魔力量も増やそうとすれば、アミカが首を横に振る。
「話の内容によっては精神の安定が難しくなるかもしれないので、今はまだこのままで」
「アミカの言う通りだねー。なんだか、嫌な予感がするよー」
「コレウスさんかアッシュを呼んできましょうか?」
気配を消して部屋の隅で小さくなっていたクララが這うようにやってくる。しかし、その提案はメニミさんによって拒否された。こうやって私の目の前には簡単に姿を現してくれているから誤解しそうになるが、本来彼女たちは気難しい種族なのだ。少しでも意にそぐわないことをすれば、帰ってしまうかもしれない。契約が切られてしまうかもしれない。基本エルフならば精霊から嫌悪感を表されることはないだろうけれども、それも確実とは言い切れない。
姿を見せたノクシアは、私を見てルクシアと同じような反応を示した。
『ノクシア、あれ』
『見える』
ノクシアは険しい顔になって、ルクシアが見たのと同じ方向を見てまた眉を顰める。
『マクシミリアンは』
『どこにいるの?』
「今、マクシミリアン・シルヴェニアはこの城を空けています。魔導師の塔にいるのではないかと思われますが――」
『こんな時に?』
その名を呼ぶのでさえ、気を強く持たなければいけない。表情が硬くなっているのを自覚しながら彼女たちに告げれば、つん、とまたメニミさんにつつかれた。
「なんでしょうか?」
「彼女たちに話しかける許可をもらってもらえるかい? 精霊は、基本的に契約したものとしか話をしてくれないものだからさー」
だからさっきから直接質問することはなかったのか、と納得しながらルクシアとノクシアにメニミさんやアミカ、クララを紹介する。
「彼らにルクシアとノクシアとお話する許可をいただきたいのですが、可能でしょうか?」
『ええ』
『どうぞ』
「じゃあ……」
深く礼をしたメニミさんは、一歩前に出ると言語として再現するのが難しい言葉で話しはじめる。
――なにを話しているの?
クララとアミカに視線をやれば、彼女たちも呆気にとられたような顔をしている。彼女たちもその言葉を理解していないようだ。聞いたこともない言語で話し掛けられ、一瞬驚いたような顔をした精霊たちだったが、次第に真面目な表情になって、それから大きく頷きあった。精霊たちの口からも歌うような不思議な響きを持った言葉が紡がれる。数回言葉を交わして、メニミさんはまた頭を深く下げて下がった。
『そういうことだった』
『のね。わかったわ。でも』
『わたしたちではベアトリス』
『に掛けられているそれを解除する』
『ことはできない。ごめんなさい』
『『力になれなくて』』
彼女たちは声を合わせる。
「呼び出して早々に厄介なお話をしてしまって申し訳ないんさー」
へにゃっと眉を下げたメニミさんは、今度は私たちにもわかる言語で話し出す。
「ひとまず、マスターに連絡、だねー」
ぽりぽりと頬を掻くメニミさんと精霊たちの様子にあれはただの惚れ薬ではなかったのではないかと想像して、背筋がゾクリと冷えた。
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