第96話

 今日は、エミリオ様のごく近くの教室で大爆発が起きた。後から魔法薬の調合に失敗したと説明されたのだが、それにしても咄嗟に詠唱なしで自分やエミリオ様の周囲に防御壁を作り上げたオリバー様はかなり有能でいらっしゃる、と変なところで感心した。帰りがけにそんな感想を口にした私に、アッシュは


「あれは魔道具で自分の魔力を増幅させているし、無詠唱じゃなくて詠唱済の魔力を込めた道具も持ってるぞ。あんなの誰でもできる。」


 と言い返してきた。それでも万が一を想定して自分の力を過信せずに準備を整えておける人は、無能ではないと思う。そういう意味合いの発言をすれば「俺もあの程度の防護壁なら無詠唱で張れるぞ。」となにに張りあっているのやら、な言葉を返される。

 爆発によってドアが吹き飛んだものの廊下にいた生徒や教職員に怪我はなく、部屋の中にいた人たちも全員、傷一つ負っていなかった。ドアが大きな音を立ててぶつかった壁にも傷はなかった。丁度いい加減で爆発を起こさせつつ、同時に周囲にいる人たちや建物に被害の出ないように守ったアッシュから言わせれば、人間のまだ司祭になりたてな人間の能力など大したことはないのかもしれない。

 ――アッシュもかなりの魔法の使い手のようだけど、魔導師の塔にはこんな実力者がたくさんいるのかしら。

 これだけ様々な魔法を使えるアッシュでも、特に地位のある魔導師ではないらしい。こんな人たちを束ねているマクス様は――と、つい想像して頭が痛くなる。


「痛……」

「大丈夫か?」

「え、ええ」


 うっかり思い出してしまった。普段は意識的に彼を思い出さないようにしているのに、胸が苦しくなれば具合が悪くなってしまう。彼のことが愛しい、と思う私と、昔から愛しているのはエミリオ様なのだと考える自分が頭の中で争っている。


「とにかく、帰ろう。ここよりもアクルエストリアの方が落ち着く。」


 アッシュにエスコートされて城に戻れば、よほど顔色が悪かったのだろう。駆け寄ってきたクララは「なにをしたの?!」とアッシュに食って掛かる。しかし、小柄なクララに睨まれたところで一切怖くないようで、アッシュは表情一つ変えずに彼女を見下ろす。


「なにもしていない。」

「でもベアトリス様が」

「彼のせいじゃないから怒らないで」


 その言葉で、私の調子が悪そうな理由に思い至ったらしい。クララはきゅっと唇を噛んだ。


 アッシュの態度が失礼だ! とクララがぷりぷりしている様子は、もはやここでは「いつものこと」になってしまっていた。ついには、いつまでも苦情を言われ続けているアッシュに同情的な声が聞こえたくらいだ。

 当然クララは憤慨していたのだけど、アミカまでが「なんでもかんでもアッシュのせいにするのは愚かだわ」と言い出したものだから、彼女のショックは大きいようだった。


「そろそろ諦めたらどうなの? 何度言ってもアッシュは変わらないでしょう」


 アミカは続けて、いくら厳しい言い方を繰り返して矯正しようとしたところで、アッシュ本人に改善させようという意識は一切見えないのだから、むしろ彼に注意しているクララの声の方が実質的に私や周囲にストレスを与えている、とそのものずばりを突きつける。


「アミカまでそんなことを言うの?」

「クララ。あなたがベアトリス様を大事に思っているのは私も十分にわかっているわ。でも、今一番大事なのは、ベアトリス様がここだけでなく学院でも安全に過ごすこと。アッシュのやり方で今のところ問題は起きていないのだから、彼が適任だと判断されている以上、文句を言ってはいけないわ」

「話を聞くと、必ずしも安全って言えなさそうな状況もあるみたいじゃない。それでも大丈夫って言えるの? 奥様が怖い思いをすることもあっちゃいけない、と思うのもだめってアミカは言うの?」

「……私やミレーナ様、ソフィーのことは、アッシュが魔法で守ってくれているから、ちょっと派手なことが起きていても大丈夫よ? 彼の実力は理解したもの」


 クララが気遣ってくれているのはわかる。それは素直に嬉しい。

 アミカの言うことがもっともなのもわかる。彼女の言う通りだと思う。

 アッシュが自認している任務というものも、わかっている。彼は彼なりに最善を尽くしてくれているのだろうと思う。

 みんながみんな、私のためにと動いてくれているのはわかっているから、誰かを責めたくもないし、全員に感謝を伝えたい。ひとまずアッシュへの誤解を解きたいと思ってクララに話し掛ければ、彼女は感情が昂ぶり過ぎたのか瞳を潤ませる。


「お……っ! ベアトリス様、状況に慣れすぎてはいけません! ベアトリス様の心身共に安全な状況で守られなければいけませんっ」

「安全よ。少しは驚くけど、アッシュは私を守らなければいけないという任務から外れたことをしているわけではないのよ」


 彼なりに、エミリオ様が接触してくる時間を減らすべくあれこれやっているのだ、と何度目かになる説明をすれば、彼女は深呼吸して「失礼いたしました」と深く頭を下げた。

 そんな彼女の後ろでは、今日も請求書を手渡されたコレウスが露骨に胃のあたりを押さえていた。


 帰宅後、いつものようにまずはお風呂に入って身を清める。すぐにお風呂から上がると、メニミさんの授業の時間だ。

 少し不安定になっていた私の魔力は、落ち着きを取り戻していた。アミカとの波長を合わせる練習も順調で、手を握り合わせて二呼吸もすればぴったり合うようになっていた。


「じゃあ、今日は実際に召喚してみようかねー」

「はい」


 アミカと手を握り合わせて魔力を合わせていく。私の力が6割、残りの4割は彼女の力を借りる。波動が合った瞬間、ぱぁっと世界が広がるような感覚をおぼえる。


「では、召喚します」

「大丈夫、ちゃんと呼べるよー」


 アミカは無言で、強く手を握ってくれる。なんて心強いのだろう。部屋の隅に座っているクララが、祈るように両手を強く握り合わせているのが見えた。


「聖なる光の中にて、我が魂を灼き魔法の座標を描く。光輝の道を辿り、足跡を刻みて、我が呼びかけに応じ給え。光の精霊ルクシアよ、我が前に姿を現せ。我が名はベアトリス・シルヴェニア。精霊の力と共に歩む者――」


 名乗った瞬間、波長が乱れそうになる。ぐっとアミカに引き寄せられ、なんとか精神を研ぎ澄ます。

 足元の魔法陣が強く輝いて光の玉が浮かび、長く伸びて少女の姿になる。白い髪に真白い肌、輝く瞳は金色。


「お久し振りです、ルクシア」

『ベアトリス。やっと呼んでくれたのね』

「やっと、お呼びできるようになりました」


 成功した、と達成感を覚えながらルクシアに礼をすれば、彼女は不思議そうな顔をした。


『最初から呼べるでしょ? そういう契約になっているわ』

「……え?」

『わたしたちを顕現させ続けるにはベアトリスの力を借りなければいけないわ。でも、ただ想いを込めて名前だけ呼んでくれたら、いつでも来るって言ったでしょ?』

「え、っと。それは、知りませんでした……」

『……名前を呼んで、って、言わなかった?』


 呼んで、とは言われたけれど、名前を口にするだけで簡単に来てくれるものとは聞かされていない。

 ――もしかしたら、マクス様は知っていたのかしら。

 ズキっと頭が痛めば、ルクシアまでも不快そうな顔になる。


『ベアトリス。魔力が乱れると、痛いわ。安定させられないのなら、ここにはいられない』

「申し訳ありません、今すぐ……」


 召喚士の魔力が乱れると、精霊にも痛みや不快感があるようだ。召喚中なにものにも影響されない強靭な精神力が必要だという理由を、身をもって経験し、納得する。精神面だけではなく、肉体的な痛みにも動揺しないだけの心と身体が必要だ。

 私はすぐに冷静さを取り戻すように努め、魔力を安定させる。


『なんでそんなことになっているの? その鎖、どこに繋がってるの?』

「鎖とはなんのことでしょう?」

『あなたに絡みついているそれよ。見えていないのね? あら。誰も見えていないの?』


 何の話かと周囲を見回すが、アミカもクララも、メニミさんも首を横に振る。彼女がなんのことを言っているのかわからない。


「申し訳ありません。説明していただくことは可能でしょうか?」

『それはいいけれども……ところで』


 マクシミリアンはどこ? と小首を傾げたルクシアは、なにかを辿るようにどこか遠くを見て。


『……あら、大変』


 ぼそっと呟くと、早急に闇の精霊ノクシアを呼ぶようにと言ってきた。

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