第92話
結局あまり状況は変わらぬまま、メニミさんは帰ってしまって私は夕食の時間になる。
いつもよりも遅めの時間。今日、この部屋のテーブルについているのは、私だけだった。
大きなテーブルに、私ひとり。コレウスは給仕のために側にいてくれるけど、彼は一緒に食事をしてくれるわけではない。
こういう場合、立場上自分だけで食事をするべきなのはわかっている。そればかりでなく、普段だったらこの状況を気にすることなく食べられただろう。しかし、今日は1人だというのが寂しくてならない。あのひとがいないのが、とても寂しい。
でも、そう考えると頭が痛くなる。なにも考えずにいるために、だれかとお喋りしていたい。
「ねえ、コレウス」
「どうなさいましたか」
「誰か、一緒に食事をしてくれる人はいないかしら?」
我儘だとわかっていながらもメインを運んできたコレウスに尋ねれば、間髪入れずにクララとアミカを呼んできます、答えて部屋を出て行く。驚くことに、この事態を想定していたかのように、トレーを持ったふたりがすぐに入ってきた。
「私たちがご一緒してもいいのでしょうか」
「ふたりが嫌でなかったら、私とお食事しながらお喋りしてほしいわ」
「嬉しいです!」
私を挟むように左右に腰掛けたふたりが持ってきた料理は、私の食べているものとは全く違う。立場を考えたら当然なのだけど、少々居心地が悪く思えてしまう。学院で出されるランチをどれでも躊躇なく食べられるようにもなりたいし、いい機会なのでしばらくは私も彼女たちと同じものを用意してもらうようにするのもいいかもしれない。食事内容を変えることをキーブスに伝えてくれるように頼んで、彼女たちが昼間なにをしているのか……という話を聞いているうちに、身体の不調を覚えることもなく食事は終わる。
食後の甘いものが運ばれてきたところで、コレウスが「ベアトリス様にご挨拶があるというものがおります」と言い出した。
「わかったわ。会いましょう。では……そうね、応接室に準備をしてちょうだい」
「いえ、彼も使用人扱いとなりますので、ベアトリス様の許可をいただけるのならこちらで紹介させていただきたく」
「そういうことなら、構わないわ。呼んで」
それでは、とコレウスが外に合図をすれば、長身で黒いマントに身を包んだ人物が音もなく部屋に入ってきた。フードを深くかぶっているので、顔は見えない。
「しばらくの間、この者がベアトリス様の身辺警護をさせていただくことになりました」
「身辺警護の方ですかぁ?」
クララが言って、おもむろに立ち上がると入り口から動かないその人に近寄っていき、無遠慮に覗き込む。
ベアトリス様の近くにいるのなら、私たちが納得できる人じゃないと――などと言いだすクララにコレウスは「こちらの選んだものに疑いがあるのか?」と冷たい声を出す。
「そう言われても、だってこの人、男の人ですよね? 良いんですか? 警護って言ったら、四六時中一緒にいるってことじゃないですかぁ。異性っていうのはいただけませんよぉ」
「彼は主に、学院にいる間の警護をすることになります。こちらにお帰りになっている間は我々ども全員でお守りできますが、あちらにいる間はそうもいきませんので」
私へ説明してきたコレウスの言葉に、珍しくアミカが言葉を挟む。
「私たちが同行するというのでは駄目なのですか? ベアトリス様をお守りするのなら、私とクララで――」
「どんな相手だろうとお守りしきれると言いきれないのなら、意味がない」
アミカの言葉は一刀両断に捨てられる。どんな相手でも、と言われてはその自信はなかったようで、彼女は口を噤み、クララも元の席に戻ってきて揃って私の後ろに立った。
ピリッとした空気が流れる。部屋に入ってきたきり、私の警護役という人は一言も発しない。それどころか、身じろぎ一つしないのだ。あれではこちらも緊張する。
「ベアトリス様にお仕えするというのなら、顔くらい見せたらいかがですか。ご挨拶もなしのおつもりですか」
アミカはその人をじっと見つめながら言う。彼は、アミカの声に促されるようにフードを降ろした。
褐色の肌に赤く鋭い切れ長の瞳。薄い唇も相まって全体的にとても冷たい印象を与える。臙脂色の髪は短く刈られてツンツンと跳ねていて、マントに隠されてよく見えないものの、その首元にはなんらかの紋が入っているようだった。
「……アッシュだ。しばらくの間、アンタを守るように言われてきた。」
「あなた、自分の前にいらっしゃるのがどなたかわかっているのですか?」
「……ああ。」
「ならば」
「アミカ、これに話し方の指導をしても無駄だ」
苦言を呈するアミカを止めようとすれば、私よりも早くコレウスが手で彼女を制した。
コレウスによると、彼はエルフの中でも少数民族に属していて、魔術だけではなく体術、剣術も人並み以上に使えるのだという。いわゆる万能型。隠密行動も得意なのだという。
「ベアトリス様に対する態度が失礼なことを除けば、彼の実力は確かです。魔術だけではなく武道にも優れておりますので、今魔導師の塔から派遣できる者の中では一番頼りになるかと」
「みんなで相談して決めてくれたのでしょう? ならば私に依存はないわ」
よろしくね、と軽く微笑みかけようとすれば、アッシュは無表情なまま私を睨むように見た。
「自分から危険なことに突っ込んでいくのはやめてくれよ。なにかあったら俺の責任にされる。」
「……わかったわ」
「短い付き合いになることを願ってる。」
ムキーッと変な声を出したクララから殺気のような気配が漂う。怒らないように言えば、フーフーと荒い息を押し殺そうとしている。私のために怒ってくれているのだと思うと笑ってしまいそうになる。
「そうね。なるべくそうならないようにするわ」
私の言葉に、彼は黙って頷いた。
その夜、私は広いベッドに1人だった。初期であれば、なんとも思わなかっただろうこの広さが、今では違和感でしかない。
ゴロゴロ転がっていると、外から声がした。
「まだ起きているのか?」
「そうね……まだ寝られていないわね」
アッシュの声にそう返すと、遠慮がちにドアが叩かれた。許可を出せば彼が部屋に入ってきて「寝られないのか?」と尋ねてくる。正直にその通りだと伝えれば、彼は少し逡巡した後で「横になれ。」と命じてきた。なにをするのか問えば「眠れる魔法をかけてやる。」と言って。
「大丈夫だ。アンタの信じたいひとに任せておけ。」
アッシュは私の目の前で指を鳴らし、それと同時に私は夢も見ない深い眠りに誘われたのだった。
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