第90話

「メニミさん、奥様はすぐに元に戻りますよね?」

「うーん、うーん。簡単に戻るよーとは言い難いなー」

「そんな」


 首を捻りながら答えるメニミさんに、クララがショックを受けた顔をする。私自身、彼らの困惑している様子を見せられていなければ、当然のようにマクス様があっさりと解決してくれると考えていただろう。できないことなどないと信じていたのだから。

 しかし、どうやらこの惚れ薬らしきものの効果を、マクス様は解けないようだ。呼び出されたメニミさんの万能薬? でもだめだったようで、これはもしかしたら、いわゆるお手上げ状態というものなのかもしれない。

 ――それでも、マクス様にできないことなどないはず。きっと彼がどうにかしてくれる。

 そう思っている自分と

 ――早く私の前から立ち去ってくださらないかしら。

 なんて考えている自分がいる。

 今の私は彼のことを見るのも考えるのも身体が拒絶する状態なのは間違いがなく、かといって、愛しい人と誤識してるエミリオ様のことも考えたくない、という自分自身でもどうして良いのかわからない状態で、考えれば考えるほどに文字通り頭が痛くなる。


「だって、こういうの、専門分野なんじゃないんですか?」

「いやー、ボクの専門は古代魔法だって言ってるじゃないかー。まあ解呪とかはパズルみたいなもんで面白いから好きだけどねー? でもこれ単純な呪いには見えないんだよねー。初めて見る」

「うん? ビーが飲んだのは惚れ薬だって、今自分で言ったじゃないか」


 呪いは関係ないだろう、というマクス様にメニミさんは首を左右に振る。


「だからー、これもさー? 惚れ薬っていうのは、いろんな薬草とか素材も使ってさ、精神を操るまじないを強化するものなんだよー。マスター、知らないのかい?」

「あ゛?」


 そんなことも知らないのか、という調子のメニミさんに、マクス様は明らかに不機嫌そうな声を出した。


「甘い味はいろんな薬草の味を誤魔化すため。花の香りっていうのは、素材のひとつかなー? うーん、淹れた後の茶葉でもあれば分析も簡単なんだけど、ないとなると手探りになるなー。時間かかるかもよー?」

「メニミさん!」


 どうにかしてください、となぜか半泣きになるクララに、メニミさんはへらりと笑って手を振った。


「そんなに心配しなくて大丈夫だよー。今のベアトリス嬢は、マスターが嫌いでここの第二王子を愛してるってだけで、日常生活を送るのにはなんの支障もな――」

「あるだろうが。大ありだ。私の顔を見るたびにあんな……あんな、心底毛嫌いしているものを見るような目を愛している女性からされるんだぞ?! 耐えられない。早くどうにかしろ」


 ちらっと見れば、マクス様はメニミさんの襟首を持ち上げて迫っている。

 ――私、そんなひどい顔でマクス様のことを見ていたのかしら。

 頬を押さえてみるけど、自分の顔は鏡で見ないとわからない。そうだったの? とアミカを見れば、神妙な顔で頷かれたからよほどなのだろう。まぁ今だって、彼の声を聞いているのも少々苦痛なのだけど、それを顔に出さない程度の嗜みはある。


「でも、別に命に別条があるわけじゃないんだからさー」

「そういう問題ではな……っ、くはないが、しかし、お前」


 マクス様は持ち上げたメニミさんと目を合わせて苦い顔をしている。

 自分が迂闊だったせいで、彼らに迷惑をかけている。確かに、これは死ぬような現状ではない。マクス様が私に近付いてこなければ、触れようとしなければ、話しかけてこなければ私は普通に生活できるだろう。

 しかし、エミリオ様についてはどうなのか。彼に会ったら、私は胸の高鳴りを感じてしまうのだろうか。彼のことを知りたいと思って、切なくなるのだろうか。

 ――ミレーナ様と一緒にいるところを見たら、苦しくなるのかしら。

 エミリオ様。

 その名前を思い浮かべただけで、胸がきゅんと鳴る。でも、これが間違いだともわかっているから、頭が混乱する。自分の身体の反応が気持ち悪くて、また上半身を折り曲げて吐き気を逃がそうとする。


「どうにかしてくれ」

「そうは言われても、これ多分かなり厄介なものなのさねー」

「は・や・く・し・ろ」

「でもこの後ベアトリス嬢と召喚魔法の特訓が」

「それどころではない」

「それはー、マスター側の事情やねー?」

「く……ッ」


 どさっという音がして、メニミさんがベッドの上に落ちてくる。メニミさんを放したマクス様は、顔を覆って床にしゃがみこんでしまったようだ。


「あの目、嫌だ……違う、私のビーはあんな」

「私はマクス様のものではありません」


 口から勝手に言葉が出る。慌てて押さえても遅い。


「ッ……!! いや、うん、あなたのせいではない。本心ではないことをわかっているよ。うん、大丈……だいじょうぶ、だから、うん」


 ショックを受けている。明らかに傷心の様子だ。

 ――エミリオ様は、私になにを言われても平気な顔をしていたのに。

 申し訳ないと胸を痛める自分と、彼のそんな様子をなんとも思っていない私が同時に存在している。


「あの王子は、連日これを食らっても平気だったということか? なんだ、そういう趣味があるのか? 信じられん。私は嫌だ……っ」

「旦那様。ゴネるだけでなにもできないなら、お部屋からでていってください。奥様の負担になります」

「お前たち、少しは傷ついている主人に優しく――」

「今一番傷ついていらっしゃるのは、奥様です!」


 出ていってください! とクララにマクス様だけが追い出される。「はてさてどうしたものかねー」とメニミさんが首を捻った時、窓をなにかが叩く音がした。アミカがカーテンを開ければ、そこにはクイーンがいた。


「クイーン? どうしたの?」


 私がここに運び込まれた時にはいなかったのだろう。いつもの儀式をやってくれようとしてくれたのか、窓を開けて招き入れると彼女は私の匂いを嗅いで不愉快そうに鼻を鳴らし、いつものようにベロべロと舐め始めた。


「ほー?」


 メニミさんは目を丸くしてその光景を見ている。

 いつもならやめてくれる時間になっても、何度か匂いを嗅ぐ様子を見せてはまた舐め始める。いつまで続くのかしら、と思っていると、そのうちにブルッと首を振って顔を離してくれた。そのまま、また窓から空に飛んで行ってしまった。


「終わったみたいですね? では奥様お風呂に行きましょうか」

「……ええ」

「じゃあ、いつもの部屋で待ってるねー」


 ――あ、本当に召喚魔法の訓練はやるのね。


 ということで、風呂場に連れていかれて髪を洗われているのだった。

 まるでなにもなかったかのように思い出してはみたけれど、状況は何一つ変わっていない。クイーンに舐められたことでこの効果が切れるのでは? なんて思ってみたけど「ペガサスの浄化の力はそこまで強くないからねー。いくらペガサスの長っていっても、ボクの薬でも無理だった薬の効果を消すほどのものではないさー」とメニミさんから否定されてしまった。

 思い出すほどに、なんであの時エミリオ様のお話を断れなかったのかと後悔しかない。クララもアミカも、あえて惚れ薬を飲まされたことについては触れてこない。普段通りの態度で接してくれている。それが逆に辛い。

 いろいろと考えてみて気付いたのは、過去のこととして考える分には、エミリオ様を迷惑だと思っていた気持ちはそのままに蘇るし、マクス様に関してはまるで昔好きだった人のような気持ちになるということ。

 ただ、今の私の思考となると、愛しい人はエミリオ様で、横から言い寄ってくるのがマクス様、という現実と真逆の構造が正しいと思ってしまっている。それが間違いであるともわかっているから、矛盾だらけで気持ち悪くなる。

「本当なら、完全に第二王子を好きになるものなんだろうけど、なにかが邪魔して完全にかからなかったんだねー。元の思考が残ってるから、だから矛盾で気持ち悪くなるんだよー」

 幸か不幸か、ということだろう。

 ――これ、どうしたらいいのかしら。

 考えたところで、自分に出来ることなどない。


 オイルを手に部屋に戻ってきたクララは、軽い調子で話しだした。


「旦那様、しばらくここを留守にするらしいです。調べ物と、メニミさんが必要だというものを集めに回るんですって」

「そう、なの?」

「はい。連絡はコレウスさんを通じて取れるみたいですけど。だから、いつもと変わらず生活なさってくださいね」


 ベアトリス様、と笑いかけられ、気を遣われているのだと理解して情けなくなる。奥様という呼び方では、マクス様を思い出してしまうと考えたのだろう。


「ごめんなさい……私」

「ベアトリス様が笑顔でいてくださることが、何よりの願いですから」


 誰の、というのは言われなくてもわかった。同時に、理解したがゆえにまた頭痛と吐き気に襲われた。

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