第87話

 あまり親し気にしないで欲しいと告げても、「幼馴染だろう?」という今までの言葉に加えて「学友じゃないか」という言い訳に気付いたらしく、そのどちらかで押し切られる。身分に関係なく学ぶことのできるここでの学友、というものを全面に出されてしまうと「夫以外の男性と同席はできません」などという発言があまりにも自意識過剰に思えてしまって、なにも言えなくなる。

 時に食堂以外の場所、例えば中庭などで食べようとお昼を作ってもらって持参すれば、いつどうやって察知しているのか、彼らは入学当初のようにバスケットに詰められた食事を手に現れ「偶然だな、ビー」と私の隣に座ってくるのだ。

 エミリオ様かミレーナ嬢の二択であるのなら、なるべくミレーナ嬢の隣に座りたい。でも、そうなると正面に座ったエミリオ様の視線をまともに受けることになってしまって、お昼の最初から最後まで彼に見詰められることになる。かといって視線を避けるためにエミリオ様の隣に座れば、さり気なく身体を寄せられ、手に触れられる。今日のように、正面から手を伸ばしてくることは多くなかったけれど、どちらにしろ落ち着かない。食事どころではなくなってしまう。

 今の婚約者の前で、昔の婚約者(しかも既婚)へのその親密すぎる態度。どう考えても異常だ。なのに、周囲も慣れすぎていて「またやっている」という顔しかしなくなっているのも、私にとっては問題だった。

 ――私が疲れて見えるというのなら、その原因はほぼすべてエミリオ様なのですけど。

 しかし、そのようなことを口にするわけにもいかず、私は奥歯を強く噛み締める。

 どちらにしても、人目の多いところでこのような誤解を招く行為はすべきではない。

 言葉を選んで進言すれば、エミリオ様は軽く笑う。


「人目のないところでは、もっと問題になるんじゃないかと思うんだけど?」


 そんなのは当たり前だ。なにを言っているのだろう、この王子様は。

 無言で見返せば、彼はそれまで見せたこともなかったような柔らかな笑みを浮かべてみせた。柔らかく綻ぶ口元、愛し気に細められた目、慈愛に満ちた視線、感情が溢れて止められなくなる指先。その表情が恋仲でもない相手に向けるものではないことを、恋を知った今の私は理解できた。どうして、そんな顔を彼が私に向けてしているのかは、一切わからなかったけれど。


「……ご自身の婚約者の前で、他の女性とまるで親密であるかのような振る舞いをなさるのは、お相手にも失礼だとは思われないのですか?」

「ミレーナのこと?」


 エミリオ様はミレーナ嬢を見て、うーん、と眉根を寄せた。

 聖女様は、まったくこちらを気にする様子もなく、幸せそうな顔で食事を続けている。いくらなんでも食い意地が張りすぎているのではないかしら、と思わずにいられない。


「見ての通り、彼女に気にしている様子はないけど……そうだね、婚約者であるのなら、不誠実で、失礼だ。でも僕とミレーナは、まだ正式に婚約していないんだ」


 エミリオ様の言葉に、私は数度の瞬きで返す。

 ――正式に婚約していない?

 婚約破棄してから、次の婚約までに時間を置かなければいけないという規則はないはず。ミレーナ嬢にも婚約者はいない。隣国暮らしの長い彼女にはまずは花嫁修業を、という話でこの国に呼び戻されたという話だった。

 確かに、第二王子と聖女様の婚約を祝う会などが開かれたという話は聞かない。そんなことがあれば、また国中がお祭り騒ぎになっているはずだ。


「だからね。僕は、今婚約者も恋人もいない。自由な身だよ」


 そんなのは形式上の話ではないのか。聖女が現れた場合には、未婚の王族との婚姻が定められているのだから、今の王室でミレーナ嬢の夫となるのに相応しい年のエミリオ様が彼女と結婚するというのは決まっていることではないか。

 私の考えていることが分かったかのように、エミリオ様は言葉を続ける。


「ビーは、どうして王族と聖女の婚姻が当然のものとされているのか、知っているかい?」

「それは、そのように定められているから、では?」

「ビーは相変わらず愚直なほどに純粋だね。それはそうなんだけどさ、じゃあ、どうしてそんな決まりが出来たのかは知っている?」


 改めて言われれば、詳しくは知らない。

 聖女伝説の中で、この地に降り立った聖女が魔族を追い払った後、未婚だったこの国の王と恋に落ち、結婚して幸せに暮らした、という風に語られていること。その後に現れた聖女たちも全員が王族と結ばれ、この国を栄えさせたという物語。それは、この国の民ならば誰でも知っていることで、誰もが王族と聖女の婚姻は当然のものだと思っていて――待ち望んでいる結末だ。


「王家だけに伝わってる話があるんだけど……この話は、あまり人の耳がある場所でするものではないよね」


 にこっと笑ったエミリオ様が手を差し出してくる。


「詳しいことは、談話室で話そうか。この後の時間、ビーは授業を取っていなかったよね?」

 

 気になるでしょ、というエミリオ様の言葉と同時に横からの視線を感じて目線だけで確認すれば、パンを千切った格好のまま、ミレーナ嬢がこちらをじっと見ていた。


―――――――――――――――


本当はこの話で話を勧めたかったのですが、少々分量が多くなりましたので分割しました。

本日17時に続きをUP予定です。よろしくお願いいたします。

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