第85話

 それからは、目まぐるしく日々が過ぎていった。


 一番の変化といえば、私が召喚魔法を使いこなせるようになるための特訓が始まったことだ。当初は学院内に講師を招待してもいいという話ではあったが、それでは多くの人にこの力を知られてしまう。契約している精霊の性質上、今はまだこの力について知っている人は最小限に留めるべき、という話になり、私の召喚魔法の勉強や訓練は授業が終わった後、城に帰ってきてからの課外授業ということになった。


 なにはともあれ、召喚魔法については教会にも王家にもなるべく内緒にしなければいけない。

 マクス様やクララたち以外では、アレク先生と、アレク先生から情報を聞いていた学院長、それからミレーナ嬢とソフィーがこの件について知っている全員だった。話を知っている人数がとても少ないとはいえ、それでもどこからどう情報が洩れるかわからない。アクルエストリアの人たち以外はマクス様から呼び出され、私を守るための契約を結ばされたようだった。


「いやいや、なにも脅したわけではない。平和的に話し合いで受け入れてもらったよ。ただ、あなたの力について他言無用という約束をしてもらっただけだ」


 と、にこやかに笑ったマクス様になんとなく嫌な予感を覚えて具体的になにをしたのかと問えば、意外とあっさりと教えてくれた。

 私の召喚能力について、知っていたところで私の手助けにならないだろう学院長――あまりにひどい言い方だと思ったけれど、実際学院長が私の指導をしてくれるわけではないので、マクス様の考えが全く理解できないわけではない――には記憶の消去を、アレク先生とソフィーにはマクス様が許可した人間以外にこのことを語ることができなくなる制限魔法をかけたらしい。それについて話そうとしても、言葉にならないようになっているという。聖なる乙女は、毒だけでなく自分に害をなす類の魔法などの影響も受けにくいというが、さすがはマクス様。彼にはそんなものは関係ないようだ。

 後日、ソフィーが「お行儀が悪いけど、ベアトリスには見せてあげるわ」と言いながらこっそり見せてくれた舌の中央部には、よく見なければわからない程度にうっすらと小さな魔法陣のようなものがあった。掛けられた時も痛みはなかったようで、今も、違和感などそれがあることによる不都合はないようだ。


「普段はこの魔法のことは忘れてしまっているわ。もしかしたら、それも効果のひとつなのかしら。ベアトリスの身の安全のためですもの、これで貴女とシルヴェニア卿が安心できるのなら、なんでもないわ」


 そう笑ったソフィーも器が大きいというか、なんというか。私のためにありがとう、と、ついついその場で彼女を抱き締めてしまった。

 アレク先生の舌にも同じものがあるというが、さすがに男性にそんな場所にあるものを見せてくださいとは言えない。人間とエルフ、まったく同じ魔法なのか、それぞれに合わせてあるのかが気になってマクス様に尋ねてみたら「……アレのを見たいのか?」と複雑そうな顔をされたのでそれ以上興味を持つのはやめた。


 そして一方の、聖女であるミレーナ嬢。

 彼女の自由を拘束するような魔法は、あのマクス様でも掛けられなかったのだという。それを聞いた私の動揺を見たマクス様は、とても驚いていた。


「彼女はあれでも聖女だからな? さらには神眼持ちだ。人間と言っても、そこら辺のものと同じに考えるわけにもいくまい」

「でも、マクス様にも出来なかっただなんて。私、信じられませんわ」

「ははッ、そこまで私を高く評価してくれているのか? 嬉しいことだな」


 そんなこんなで、魔法で制限をかけることが出来なかったミレーナ嬢には「くれぐれも口外するな」ときつく言い含めることしかできなかったということで。一番不用意な発言をしそうな人が野放しというのが少々気になった私だったが


「ミレーナ嬢は、自分を『ベアトリスお姉様ガチ勢』と自称していたからな。あなたに不利になることは多分しないだろう」


 と彼女と話し合いをしたマクス様が信用しているのなら、私も信じるしかない。


 それにしても、彼はすっかりミレーナ嬢と打ち解けているようでもある。

「ビーは知らなくていいこと」と、ふたりだけで話していることも頻繁にあるのだが、なにを話しているのかは教えてくれないのでもやもやしてしまう。そのたびにクララが「奥様。遠慮なくガツンと!」と握った拳を見せてくれるまでが最近の流れである。


「ガチ勢、とはどのような意味なのですか?」

「あなたのことがとても好きで、あなたを第一に思っている、という意味のようだな。ははッ、だとしたら、私がその筆頭ということになるだろうな?」

「マクス様ったら……っ」


 からかわないでくださいませ、と言う私を、彼は抱き上げてまた楽しそうに笑った。

 それにしても、聖女の力というのはどこまで絶大なものなのだろうか。マクス様の魔法をも無効化してしまうだなんて……彼女の能力が恐ろしくなる。

 

 そして、肝心のマクス様と私の恋愛関係について。

 あの日、週末に――というようなことを言ってしまったものの、その後すぐに、幻魔法と飛行魔法の同時発動を安定させること、それから召喚魔法を確実に使えるようになることを優先させることになったので、未だ進展はない。

 お約束したのだから、と思った私はそのつもりでいたのだけど、マクス様側から拒否されてしまった。


「加減はするつもりだが、翌日あなたは動けなくなってしまうだろうから。休みの日でも召喚魔法の練習はしなければいけないだろう?」

「昼食後の予定ではありますが」


 お寝坊は可能だとそれとなく意思を伝えた私に、マクス様は苦悩の滲んだ表情で言った。


「女性の身体的な負担は相当なものとも聞く。無理はさせたくない。今一番重要なことは……だから今は――」


 彼は、その夜も私を抱き寄せて眠りについただけで。


 そんなわけで、少し残念なような、少しだけホッとしたような。そんな複雑な心境だった。時間や体力の余裕のある時であれば優しくはされるが、それだけだ。


 ――朝に夜にと口付けはしてくださるけれど。

 いってらっしゃい、と言いながら、玄関先でみんなに見守られながら唇にされるのは恥ずかしい。これはどうやら、ミレーナ嬢の入れ知恵のようだ。


「帰ってきた時に、ただいまと言いながら私に口付けしてくれてもいいんだぞ」


 笑いながらマクス様は言うのだけど、これもミレーナ嬢から教えてもらったのだろう。本当に妙なことばかり知っている聖女様だ。

 平民層ではごく普通にされるものなのかしら、と想像もしてみたが、ミレーナ嬢はいくら隣国で育っているとはいえ、貴族は貴族に違いはない。そこまで平民層の暮らしに詳しくなるような環境にいたのだろうか?

 私たちの関係について、クララやコレウスあたりは焦れているようだけど、私の状況も理解してくれている。今はもう夫婦同じ寝室で眠ることは当然のようになっていて、寝る直前に時々マクス様が「やり残したことがある」と少しの間部屋を空けることはあっても、朝まで戻ってこないということはない。

 クイーンもすっかり諦めたのか、マクス様を認めてくれたのか、彼の香りが移った私を『消毒』しようとすることはなくなっていた。

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