第84話

 どうして彼女がここにいるの? と驚きはしたが、昨日までのようなミレーナ嬢に対する苦手意識は減っている。おはようございます、と挨拶をすれば、彼女は少しホッとした様子を見せた。


「警護もなくここにいらっしゃって大丈夫なのですか?」

「部屋の外に、レオ様が控えてくださっています」


 レオ様、というのは騎士見習いのレオンハルト・アルカディウス様のことだろう。彼からは、オリバー様やユリウス様から伝わってくる、私に対する壁のようなものは感じない。粛々とご自分の任務に就いているようだ。


「お知らせした方が良いと思われるお話があって、アレク先生に相談があるということにしてエミリオ様たちよりも早く登校したんです。ということでお姉様。アレク先生のお部屋に移動しましょう」

「どんなお話かしら?」


 ここでは話せません、と囁かれ、腕を絡められてアレク先生の部屋に連行される。少し離れた場所を歩いているレオンハルト様は、私と目が合っても真面目な顔で頭を下げただけで、特に言いたいこともないようだ。彼は護衛という立場を超えるつもりはないようで、アレク先生の部屋の中までは付いてこず廊下を見張っているらしい。

 さて、レオンハルト様には聞かせられない話、となると。

 ――エミリオ様のことね。

 想像がつけば、聞きたくないという気持ちが膨れ上がる。


「それでですね、ベアトリスお姉様」

「ミレーナさんは、ぼくの部屋をなんだと思っているんです? いい加減、密談できる別の部屋を用意してもらえばいいじゃないですか」

「アレク先生がいらした方がお姉様にとっても安全なので、ここがいいんです」


 密談に使われることに文句を言いながらも、アレク先生はお茶を出してくれる。昨日に続いて今日も朝から申し訳ありませんと言う私に、彼は困り果てたような笑みを返してきた。


「どうしてそう思うのですか? 王室騎士団の彼の方が、ぼくよりも強いですよ。頼りになるでしょうに」

「魔法ならば、この学院内で一番の実力者はアレク先生だからです」

「買いかぶりすぎですよ?」

「それに、この話を聞かせていい相手は限られるので、ここが都合がいいんです」

「どうしてそれがぼくなんでしょうね」


 聞かないようにも出来ますが、どうしますか? と言うアレク先生に、ミレーナ嬢は「聞いてください」と巻き込む気満々な様子。遠慮のないものすごく嫌そうな顔を見ていると、ついマクス様を連想してしまう。つい数分前に別れたばかりだというのに、もう彼が恋しくなる。


「アレク先生、シルヴェニア卿を呼んでいただけますか?」


 あまりのタイミングの良さに、私の気持ちが伝わってしまったのかとドキリとする。しかし、それとは関係がなかったようで、ミレーナ嬢が指したのは、例の通信ができる鏡だった。

 お願いされたアレク先生は私をちらっと見ると


「……ベアトリス様がお呼びになれば、すぐにでも本人が来ますよ」

 

 自分の手首を親指と中指で作った輪で掴んで、くるっと回す。このブレスレット? と腕を上げれば「それを外した瞬間、マスターが来るじゃないですか」自分にやらせないでくれ、とでも言いたげに横を向いてしまう。


「今のマスターにとっての最優先事項は、なにはさておき奥様です。なにをやっていようと、例え国王との謁見中であろうと駆けつけていらっしゃいますよ」

「お仕事のお邪魔をしたくないのですけど」

「今の時間は、まだなにもやっていませんよ、多分」


 そこまで言うのなら。

 私はブレスレットを外す。その瞬間「なにがあった?」アレク先生の言った通り、すぐにマクス様が現れた。わぁ、と声を弾ませ小さく手を叩いたミレーナ嬢と、もはや虚無顔のソフィーは、立ち上がってマクス様に挨拶をする。


「ミレーナ・カレタスとソフィエル・アンネビーか。なるほど。なにか進展があったんだな」


 ここにいる顔ぶれになにかしら思うところのあったらしいマクス様は、一人掛けのソファに座ると私を手招きする。

 ――まさかまたお膝の上に?

 そのまさかだった。躊躇っていると、ぱちんと指を鳴らしたマクス様が宙で自分の方へ引き寄せるような動きをする。私の身体はふわりと浮き上がって、抵抗する間もなく彼の膝に乗せられる。


「なんだ、あの第二王子が私に文句でも言い出したか」

「苦情と申しますか……」


 代表して話し出そうとしたソフィーは、私を見て「ベアトリスもちゃんと話を聞いてね」そう言ってきた。

 その格好では落ち着かないかもしれないけど、という意味合いだろうか。しかし、ドギマギしているのは私だけで、誰もこの体勢を疑問に思わなくなりつつあるということに動揺を隠せない。

 ――世の中のご夫婦って、こんなに人前で密着しないわよね?

 あわあわしていると、マクス様は私を抱き寄せた。「ビー? ほら話を聞いて」と耳元で囁かれたら、もっと集中できない。しかし。

 ――修行、これも集中力を保つための修行と思うのよベアトリス。

 自分に言い聞かせ、なんとか表情だけでも平静を保つ。


「ベアトリス、あなた昨日エミリオ様からブローチを渡されたでしょう?」

「そういえば、そうだったわね。今も持っているわ」


 鞄のポケットから、昨日強引に押しつけられたブローチを取り出す。捨てるのも不敬なのでは、とそのままになっていた。相変わらず、見ていて胸がざわつく。


「それを受け取ってしまったからでしょう。エミリオ様は、ベアトリスが自分のことを受け入れてくれたと思ったようです。ベアトリス・イウストリーナは自分たちの一派であり、彼女のことは自分が守る、と言い出されました」

「私も実家もエミリオ様の派閥ではないし、彼から庇護されるような立場でもないわ」

「ええ。ベアトリスは、第二王子との婚姻成立直前の婚約破棄に傷ついて、シルヴェニア卿の元で療養していることになっています。エミリオ様が近くに置いて庇護するなんて、有り得ない話です。周囲も止めたのですけれど、聞く耳を持たないという態度でいらして……」

「あの王子、私とビーの婚姻を認めていないということか。ベアトリス・イウストリーナ、か。はッ、この私に喧嘩を売ろうとは、まあ身の程知らずな」


 マクス様の指が、苛立たし気にひじ掛けを叩く。

 実家の名で呼ぶということは、今のシルヴェニア姓となった私を認めていないということだ。昨日の様子からすれば、エミリオ様の脳内では、この婚姻はマクス様が強引に結んだものであって、私は彼に助けを求めている、という妄想を事実と思い込んでいるのだろうか。


「なにかしらシルヴェニア卿が卑怯な裏工作をしたのだろうと、再調査を命じられています。近いうちに王宮に呼び出されるかもしれません」

「教会が認めている正式な婚姻なのにか?」

「王族しか使えない誓約書を使っているというのが有り得ない、そもそも教会を抱き込んだのだろう、と。このタイミングで聖女が現れたのも自分からベアトリスを奪う機会を窺っていたのだなどと主張されていて、この話には教会も怒りを禁じえないようです。私のところにもそれとなく苦情が入っています」


 王室と教会が明確に対立するなどということは、起きるべきではない。しかもその原因が私だなんて。

 キリキリと胃が痛くなってくる。


「そんなのを狙っていたのなら、ビーが一番傷つくようなタイミングを選ぶはずがないだろう。もっと早く手を出している。それに、あれが使えた理由は簡単に説明できるが、あー……私のことを説明しなければいけなくなるのが面倒だな。あまり知られたくないんだ。その場に誰が呼ばれるのか――国王がなんとか収めてくれたらくれたらいいんだが」


 どこからどう見ても面倒臭いを体現したような表情と仕草で言ったマクス様は、前髪をかき上げる。

 確かに、マクス様がエルフ族の長であることや、あのまま婚姻が成り立たなかったらこの国は衰退を迎えるはずだった、という話をすればいいだけの話かもしれない。しかし、その言葉を誰が素直に信じるというのか。事実を話せば話すほどに、マクス様の特異性が目立ってしまう。

 国にとって脅威と受け取られたら、彼の立場はどうなる? 追われることになりはしない?

 いや、アレク先生の言葉が正しいのなら、マクス様と敵対することに国としての益などない。それは国王様も理解されているはず。

 それに、教会とも完全に決別してしまったら? 王家の方々への祝福がなくなるかもしれない。これから生まれてくる第一王子ご夫妻のお子様は?

 ――王家が衰退してしまったら、この国の将来はどうなるの?

 私とマクス様が結婚した意味がなくなってしまう。それどころか、この結婚こそが国にとっての不利益だったということになる。

 ――いいえ、大事にしたくないと国王様が思われるのなら、選択する可能性が一番高いのは、きっと。


「エミリオ様、今ちょっと暴走気味なんですよねぇ。誰の話も聞こえないみたいで『ビーは僕が守る』って聞かなくて。お姉様が正気だということはわたしが確認して、ソフィー様もその通りだって証言してくださってるのに」

「はい。ミレーナ様のおっしゃる通りです」

「それに……わたし、見えてしまったんです」


 視線を一身に浴びた彼女は、自分の目を指す。


「エミリオ様のお姿が何度か二重に見えました。これをお伝えしたいと思って」

「……ほう?」

「触れて確認しましたけど、なにかが成り代わっているわけではないと思います。あれはご本人で、残念ですけど正気みたいです。でも、なにかしらの意思を持った存在が干渉してきている可能性があるかも……シルヴェニア卿はどう思われますか?」

「ああ、それは――」


 問われたマクス様が黙ってしまう。アレク先生も、ミレーナ嬢を黙ったままじっと見ていた。

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